ラーマ4世
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| ラーマ4世チョームクラオ พระบาทสมเด็จพระจอมเกล้าเจ้าอยู่หัว |
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| 生誕 | 子年十一月白分十四日 1804年10月18日 |
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| 即位 | 亥年五月白分一日 1851年 |
| 退位 | 辰年十一月白分五日 1868年10月1日 |
| 死亡 | 上記に同じ |
ラーマ4世(พระบาทสมเด็จพระจอมเกล้าเจ้าอยู่หัว,漢字表記;鄭明。1804年10月18日 - 1868年10月1日)は、タイ王国の現王朝チャクリー王朝の4代目の国王(在位:1851年 - 1868年)。本名チョームクラオ王。幼名をモンクットと言うため、外国ではモンクット王が名前としてよく使われる。ただし、ラーマ6世の本名にもモンクットと言う語が登場するため注意を要する。
元々は兄のラーマ3世よりも彼の方に王位継承権があったが、学業専念のために兄に王位を譲り、学問を続けた。即位までの27年間は寺に属し、経文の言語であるパーリ語、サンスクリット語をマスターした。その中でタイの仏教のあり方に疑問を感じていた。
その後、キリスト教宣教師の手を借りて、英語・ラテン語を学び、ルネサンスを通じて教義が合理化されたキリスト教にふれ、新時代の宗教は合理化されたものでなければならないと感じ、俗信を排除した仏教を建てた。このとき建てられた革新派の仏教集団をタマユットニカーイと言う。ラームカムヘーン大王碑文を発見した人でもある。
即位後は、西洋との関係を重視し、イギリスからアンナ・レオノーウェンズ女史(Mrs. Anna Leonowens)を家庭教師に招き入れ、西洋の教育を子弟に行った。このときのことは『アンナとシャム王モンクット』に書かれているが、アンナに虚偽の癖があったため、信用しない方がよいと言われる。この話は後に『王様と私』で劇作化、『アンナと王様』で映画化されたが、いずれもタイでは上映が禁止されている。
西洋と自由貿易を開始し、米を輸出するようになった。このためタイの中央平原部に運河が多く建設され、米の増産がはかられた。今でも米はタイの大きな輸出品目である。外国人の便宜を図るため、ニューロードを建設したりもした。この王は62人もの子を残したと言われる。
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最終更新 2009年11月26日 (木) 17:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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