リオデジャネイロ市
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| リオ・デ・ジャネイロ Rio de Janeiro |
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| 愛称 : 「Cidade Maravilhosa(素晴らしい街),Rio(リオ)」 | |||||
| 位置 | |||||
リオ・デ・ジャネイロ市の位置(リオ・デ・ジャネイロ州) |
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| 座標 : | |||||
| 歴史 | |||||
| 建設 | 1565年5月1日 | ||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 地域 | 南東部 | ||||
| 州 | リオデジャネイロ州 | ||||
| 市 | リオ・デ・ジャネイロ | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 市域 | 1,260km2 | ||||
| 標高 | 0~380m | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (IBGEの調査による2007年現在) | ||||
| 市域 | 6,093,472人 | ||||
| 人口密度 | 4,781人/km2 | ||||
| 都市圏 | 11,714,000人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | UTC-3 (UTC-3) | ||||
| 夏時間 | UTC-2 (UTC-2) | ||||
| 公式ウェブサイト : City of Rio de Janeiro | |||||
リオ・デ・ジャネイロ市(ポルトガル語:Rio de Janeiro)は、ブラジル南東部に位置するリオデジャネイロ州の州都で、ブラジル最大の港湾都市。南米有数の大都市かつ世界都市である。
"Rio de Janeiro"とはポルトガル語で「1月の川」という意味。ブラジルポルトガル語の発音では「ヒウ・ヂ・ジャネイル」のようになる。
一般的にポルトガル語で都市名を読み書きする場合は男性形・女性形の区別をつけないが、リオデジャネイロは必ず "o Rio de Janeiro"という男性形(都市名の前に"o"を最初につける)で呼ばれる。ただし、長距離バスや航空機の行先表示などでは単純に「Rio」と略記されることもある。
目次 |
[編集] 概要
サンパウロ市と並ぶブラジルの経済的、文化的中心。カーニバルで有名。コパカバーナ、イパネマなどの世界的に有名な海岸を有し、世界3大美港の一つに数えられる美しい都市である。
1960年にブラジリアに遷都するまではブラジルの首都であった。また、1808年にナポレオンに本国領土を奪われたポルトガル王室が遷都してからブラジルが独立するまでは、ポルトガルの首都であった。また、中南米有数の貿易港でもあるためにブラジルの経済的な中心地でもあった。近年はその地位が低下しているものの、依然としてブラジルのみならず世界でも有数の観光地として、ショーロ、サンバ、ボサノヴァを生んだ音楽の都としても名高い。人口は約800万人である。
[編集] 歴史
1502年、ポルトガル人探検家ガスパール・デ・レモスたちがこの地に到達。ポルトガル語で「一月の川」と命名した。当時は先住民のトゥピ族がこの地域に住んでいた。1555年にフランスの植民地開拓者が南極フランス居留地をつくったが、1567年にこれをポルトガル人は追い出し、18世紀までここに小さなコミュニティをつくっていた。
18世紀前半に内陸のミナスジェライス州周辺で金鉱が発見すると、リオはミナスの金やダイアモンドの積出港となり、ブラジル植民地の交通と富の中心となった。このため、それまで栄えていた北東部から南東部への重心の移動が生じ、1763年にはブラジル総督がサルヴァドール・ダ・バイーアからリオにうつされ、ブラジル植民地首府となった。
1808年に半島戦争の勃発により、リスボンのポルトガル宮廷はナポレオン軍を逃れてリオに移転した。この時リオがポルトガル・ブラジル連合王国の首都となるが、1821年には王の帰還と共に首都もリスボンに再遷都された。1822年はブラジルが独立し、リオはブラジル帝国の首都となった。
1889年に帝政が廃止され共和制に移行するものの、リオは引き続きブラジル連邦共和国の首都となった。ヴァルガス時代の開発政策により、第二次世界大戦後に商工業が発展すると、内陸部や北東部からから職をもとめて大量の人々が流入した。しかし1960年、首都はブラジリアに移された。1975年にグアナバラ州とリオデジャネイロ州が合併し、ニテロイ市にかわって新リオデジャネイロ州の州都になった。
[編集] 地域
- セントロ地区
- セントロ地区はリオの歴史的中心部であり、また現在でも経済的中心でもある。
- 南地区
- 有名なコパカバーナ、イパネマ海岸を有する観光地。イパネマ海岸はリオで生まれた音楽ボサノヴァの名曲イパネマの娘の舞台としても有名である。
- 北地区
- 工業地区。サッカーで有名なマラカナン競技場がある。
- バラ・ダ・チジュカ地区
- ファヴェラ地区
- 地域の名前ではなく、不法に立てられた貧民街を「ファヴェーラ」と呼ぶ。映画『シティ・オブ・ゴッド』(2002年)の舞台となった。
[編集] 交通
[編集] 市内
リオデジャネイロ市内やその近郊には、バスと地下鉄、そして郊外電車の路線網が張り巡らされており、また、比較的安価な価格で利用できるタクシーもポピュラーな移動手段である。ちなみに地下鉄には女性専用車も設置されている。
[編集] 市外
他の都市との移動は、高速道路を使った長距離バスや、市内に2つある空港—主に国内線向けのサントス・デュモン空港と、主に国際線向けのリオデジャネイロ国際空港(アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港/ガレオン国際空港)からの旅客機での移動が主流である。
特に市内のサントス・デュモン空港とブラジル最大の都市であるサンパウロ市内のコンゴニャス国際空港との間には、「ポンチ・アエレア」(空の架け橋)と呼ばれるシャトル便が就航しており、世界でも有数の搭乗者数を誇る路線となっている。所要時間はサンパウロまで車・バスで6時間、航空機で1時間弱かかる。
長距離バスの便数も多い。特にサンパウロ・チエテバスターミナルとの便はバス会社3社(Itapemirim, Cometa, Expresso Brasileiro)が同区間を別々に運行しており、日中は数十分に1本の頻度で運行されている。サンパウロだけでなく、ニテロイ接続のサンパウロ行きや、ベロオリゾンテ行きの便も多い。
また、リオデジャネイロ港は世界3大美港の一つでもあり、ブラジルでも最大級の港湾設備を有している。そのため近隣の港湾都市、島嶼とのフェリーの運航も頻繁に行われている。
[編集] 日本との交通
なお、近年までヴァリグ・ブラジル航空によって成田空港からロサンゼルス、サンパウロ経由の直行便が運航されていたが、ヴァリグ・ブラジル航空の経営状況の悪化に伴い廃止された。1980年代までは日本航空も直行便を運航していた。現在はサンパウロで日本航空の直行便に接続するか、パリやロンドン、ニューヨーク乗り換えで行くのが一般的である。
[編集] 文化
[編集] カーニバル
英語版en:Rio Carnivalも参照されたい。
ポルトガル語でカルナヴァル(Carnaval)。カトリックの謝肉祭のことで、カーニバル自体は世界各国のカトリック文化圏で行われている他、ブラジル各地でも行われている。もともとはポルトガルの謝肉祭エントルードがブラジルに渡ったものであるといわれる。リオのカーニバルは派手で規模が大きいので特に有名で、開催時期は世界各国からの観光客を集める。
復活祭(イースター)を基準に太陰暦で日程を決めるため毎年開催日程は変動するが、だいたい2月の中旬から下旬になることが多い。
なお、カーニバルといえば真っ先にサンバが連想されるが、サンバ以外にもマルシャ(ブラジル版マーチ)やポルカなどもある。サンバの場合、ファンタジアと呼ばれる華やかな衣装を身に着け、サンバを踊り、打楽器隊などによる演奏や歌で行進する。4日間行われ、開催中は世界各国から見物客が集まる。いわゆるリオのカーニバルとして知られているのは、マルケス・ヂ・サプカイ通りにあるサンボードロモ(サンバ会場)で行われるコンテスト形式のパレードである。ここで行進するサンバチームはエスコーラ・ヂ・サンバ(Escola de samba、直訳:サンバの学校)と呼ばれる。なお「学校」はジョークで名付けられたもので実際はリクリエーション団体の傾向が強い。そのため多くの団体はグレーミオ・ヘクヘアーチヴォ・エスコーラ・ヂ・サンバ、略称:G.R.E.S.(~チーム名)と冠がつけられ、一般的にはチーム名で呼ばれることが多い。なお日本ではこれらを総称してエスコーラと呼ばれる。これらはリオ市や隣接する他の市に点在する地域を代表するサンバのコミュニティーである。
パレードはコンテスト形式になっており審査が行われる。有名なサンバ団体を挙げると、ポルテーラ、マンゲイラ、インペリオ・セハーノ、サウゲイロ、ヴィラ・イザベウ、ウニードス・ダ・チジュッカ、ウニアォン・ダ・イーリャなどで、どれも歴史的なサンバの名手(Sambista、サンビスタ)や名曲を生んだエスコーラである。他にも沢山のエスコーラが存在し順位や優勝を競っている。今日、世界に誇るリオ各地域の市民による手作り文化の結晶として光り輝いている。
リオのカーニバルは1959年公開のブラジル・フランス合作映画「黒いオルフェ」の背景舞台にもなっており、開催前の人々の準備ぶりや浮かれ具合、当時のカーニバルの様子などうかがい知ることができる。オルフェウ率いる架空のエスコーラもあれば、本物のカルトーラ夫妻やポルテーラ、マンゲイラ、インペリオ・セハーノもチラリと登場する。1999年公開のブラジル映画「オルフェ」は現代のリオを窺い知ることが出来る作品。リオのカーニバルのトップリーグ、Grupo Especialに出場するエスコーラのパレードテーマ曲集は毎年日本の輸入盤扱いのある大型CDストアなどでも手に入れることが出来る。カーニバル後にはその年の模様を収めたVHS(近年ではDVD)も発売されている。
なお、リオのカーニバルが観光化・商業化が進むと、それに嫌気をさしたりエスコーラの内紛などによりカンディアやカルトーラ、メストリ・マルサルなどの著名サンビスタがエスコーラを去ったケースも多い。またいくつかのサンバコミュニティーがファベーラと呼ばれるスラム街に拠点があることなどから、賭博や麻薬取引との関係も指摘される。
また、カーニバル期間中はリオ・ブランコ通りなどをはじめ、各所でエスコーラより小規模であるブロコやコルダゥンと呼ばれる各チームがパレードを行う光景も見られる。
[編集] 教育
- リオ・デ・ジャネイロ連邦大学
- リオ・デ・ジャネイロ州立大学
[編集] スポーツ
[編集] サッカー
リオのみならずブラジルを代表する名門クラブとして知られているフラメンゴをはじめとして、CRヴァスコ・ダ・ガマ、フルミネンセ、ボタフォゴなどの名門サッカークラブの本拠地として有名で、これらのクラブは多くのクラッキ(名選手)・ジョガドール(サッカー選手)を輩出してきた。近年ではロナウド、アドリアーノなどがリオ出身のクラッキとして有名である。
また、世界最大のサッカースタジアムで、1950年のサッカーワールドカップ・ブラジル大会の決勝戦が行われたマラカナン・スタジアムがある。
[編集] その他
- 1989年までフォーミュラ1選手権が郊外のネルソン・ピケ・サーキットで行われていた他、各種マリンスポーツやハンググライダーなどが盛んに行われている。
- 2007年7月13日〜29日にパンアメリカン競技大会が開催された。
- 2016年夏季オリンピックの開催地に立候補している。
[編集] 観光
- コパカバーナ海岸(Copacabana Beach)
- イパネマ海岸(Ipanema Beach)
- コルコバードのキリスト像
- マラカナン・スタジアム
- ポン・ジ・アスーカル(Pão de Açúcar)
- サントス・デュモン空港
- 市立植物園
- リオ-ニテロイ大橋(Rio-Niterói Bridge)
- ニテロイ現代美術館(ニテロイ市)
[編集] リオデジャネイロ市出身の著名人
リオデジャネイロ出身の人を「カリオカ(Carioca)[1]」という。
- ジーコ(サッカー選手、元サッカー日本代表チーム監督)
- ラモス瑠偉(サッカー選手)
- ネルソン・ピケ(F1ドライバー)
- ピシンギーニャ(音楽家)
- エイトル・ヴィラ=ロボス(音楽家)
- カルトーラ(音楽家)
- アントニオ・カルロス・ジョビン(音楽家)
- ジョルジ・ベンジョール(音楽家)
- マルコス・スザーノ(音楽家)
- オスカー・ニーマイヤー(建築家)
- ジョアン・アベランジェ(元FIFA会長)
[編集] 姉妹都市
イスタンブール、トルコ、1965年
神戸市、日本、1969年
アトランタ、アメリカ合衆国 、1972年
バルセロナ、スペイン、1972年
サンクトペテルブルク、ロシア、1986年
ブエノスアイレス、アルゼンチン、1986年
サント・ティルソ、ポルトガル、2000年
マイアミ、アメリカ合衆国 、2001年
ジッダ、サウジアラビア
リスボン、ポルトガル
ニテロイ、ブラジル
カボ・フリオ、ブラジル
テレゾポリス、ブラジル
クスコ、ペルー
カラカス、ベネズエラ
[編集] ギャラリー
[編集] 脚注
- ^ カリオカ (Carioca) は、ポルトガル語の形容詞・名詞で、「リオデジャネイロ市出身の」、あるいは「リオデジャネイロ市出身の人」をさす言葉。この語は、トゥピ・グアラニー族Tupi people)の方言で、「白人の家」(家 home:oca、白人 white men:cari)に由来する。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 公式
- リオデジャネイロ市公式サイト (ポルトガル語)
- 日本政府
- 在リオデジャネイロ日本国総領事館 (日本語)
- 観光
- リオデジャネイロ市 - ウィキトラベル
- リオデジャネイロ市観光局 (ポルトガル語)(英語)
arz:ريو دى جانيرو
最終更新 2009年7月31日 (金) 18:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【リオデジャネイロ市】変更履歴

















