リビアの国旗

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リビアの国旗
用途及び属性 市民陸上、政府陸上、軍隊陸上、市民海上、政府海上、軍隊海上?
縦横比 1:2
制定日 1977年11月11日
使用色:

リビア国旗は、世界で唯一、一色のみでできた国旗である。

緑色はイスラームの開祖ムハンマドターバンの色とされ、イスラーム世界では最高の色とされており、イスラム社会主義と人民革命の決意を表す。またカダフィ大佐が1975年に出版した『緑の書』(الكتاب الأخضر, 人民主権・イスラム社会主義など自身の政治哲学を記した書)に基づく「緑色革命」を象徴する。

目次

[編集] なぜ緑一色か

かつてリビアはエジプトなどとアラブ共和国連邦を結成し、汎アラブ主義を唱えていた。そのため、同一の国家を強調する目的で、リビアはエジプトの国旗を共用していた。ところが、エジプトのサダト大統領第四次中東戦争の後にアラブの宿敵イスラエルと単独で和解、友好条約を結んだ上、アメリカ合衆国寄りの外交を開始した。このことに怒ったカダフィ大佐は即日エジプトとの合邦を解消、側近たちに翌日までに新しい国旗を完成させろと命令した(しかもそれは深夜にであった)。時間が1日しかないために側近たちは戸惑い、苦肉の策でイスラームで最高の色である緑一色の布を国旗とした。

一色の国旗の前例は、オスマン帝国国旗(赤一色)、フランス王国国旗(白一色)、アフガニスタン首長国国旗(黒一色)があった。またリビア国旗の制定後には、アフガニスタンターリバーン政権の国旗が白一色に定められたが、いずれの国旗も廃止や変更がなされている。地方の旗としてはボリビアの県旗に一色のものがある。

[編集] リビア国旗の歴史

[編集] 1918年から1923年まで

短命に終わったリビア西部のトリポリタニア共和国では、空色の地、中央に緑の椰子の木、その頭上に白い星という国旗を使っていた。[1]

[編集] 1951年から1969年まで

現在使われていない歴史的な旗?王政期の国旗 (1951年制定)

リビアは第二次世界大戦でのイタリア敗戦により植民地支配から解放されたが、戦後は英国(トリポリタニアおよびキレナイカ)、フランス(フェザーン)に分割され国連信託統治領となった。1951年にこれら3地域がリビア連合王国を形成すると、近代リビア初の国旗が制定された。この国旗は赤・黒・緑の水平三色旗に、中央には白い三日月と星を配したものであった。中央の黒は、赤と緑の二倍の幅があった。この旗は、21世紀に入っても、リビアの王制支持派や海外のリビア人による抵抗運動に使われている。この旗は19世紀以降この地を拠点としたイスラム教の教団を率いるサヌーシー家(Senussi)の旗(黒地に三日月と星)を基にしたものである。

[編集] 1969年から1972年まで

現在使われていない歴史的な旗?リビア・アラブ共和国の国旗 (1969年制定)

1969年9月1日クーデターで青年将校のカダフィが国王イドリース1世を追放し、王政は倒れ共和国となった。リビアの正式国名はリビア・アラブ共和国(Al-Jumhuriya al-Arabiya al-Libiya)となり、国旗は赤・白・黒の汎アラブ色による水平三色旗となった。

[編集] 1972年から1977年まで

リビアは、1972年3月にエジプトシリアとともにアラブ共和国連邦(Ittihad al-Jumhuriyat al-Arabiya)を形成し、三カ国で同じ国旗に変えた。この旗は汎アラブ色の中に、連邦のアラビア語の名を書いた巻物を持つ金色の鷲(クライシュ族の鷲)をあしらっていた。

1977年3月、連邦は解体した。カダフィは1977年3月8日、国名をリビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国(Al-Jamahiriya al-Arabiya al-Libiya ash-Shabiya al-Ishtrakiya)に変更した。緑一色の国旗に変わったのは、1977年11月11日、エジプトのサダト大統領のイスラエル訪問(11月19日より)の発表に反発してのことだった。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月25日 (水) 09:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【リビアの国旗】変更履歴

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