リビドー

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[編集] 概要

リビドー: Libido)とは、日常的には性的欲望または性衝動と同義に用いられることが多々ある。これはジークムント・フロイトが「性的衝動を発動させる力」とする解釈を当時心理学で使用されていた用語Libidoにあてた[1]ことを継承したものである。一方で、カール・グスタフ・ユングは、すべての本能のエネルギーの本体のことをLibidoとした。二人が決別した原因は、リビドーの解釈の違いが大きいといわれる。

対義語はデストルドーと誤認される事もあるが、これはフロイト晩年の理論(「快楽原則の彼岸」)における: Todestrieb(タナトス)の源泉であって、正確な対義語はない。フロイト自身はしばしば性的欲動の対義語として攻撃欲動という言葉を使っている。そのため精神分析の臨床においては、リビドーの正反対の対義語として攻撃性(アグレッション)という言葉がしばしば使用される。

[編集] 精神分析的理解

精神分析学ではリビドーを、様々の欲求に変換可能な心的エネルギーであると定義している。リビドーはイドを源泉とする。性にまつわる物だけでなく、より正確には精神分析学では人間の性を非常にバラエティに富んだ物であり、暴力的な側面を持つ支配欲動やサディズムもリビドーの一つであると考えられている。これらが自我によって変換・中和化(アンナ・フロイトの言う防衛機制)される事で、例えば男根期の露出癖が名誉欲に変わるなど、社会適応性を獲得する。また支配欲動が自己に向かい厳格な超自我を形成して強い倫理観を獲得する事もある。この例で解る通りリビドーは超自我や自我にも備給されている(自我リビドー)。

根本的にはリビドーは生物学的理論に根拠を置いており、またフロイトの精神分析の臨床において最も頻繁に確認された欲動として理解された。リビドーの最初の認識はフロイトのヒステリー研究と夢分析によって導き出されており、その様相は彼の著作『ヒステリー研究』や『夢の解釈』などで明確に確認出来る。

簡潔に言えばリビドーはそれ自体非常に性的な性質を持つとして見られる一方で、全ての人間活動はこれの変形としてフロイトには理解されている。特に文化的活動や人間の道徳的防衛はリビドーの変形したもの、もしくはそのリビドーから身を守るために自我が無意識的に転換したものとして理解されている。

[編集] 一般的理解

世間一般的には、リビドーという言葉は男女における押さえきれない性的欲求のようなものを指すとして使われる。しかしリビドーという言葉は特に男性の荒々しい露骨な性的欲求を表現する言葉としてしばしば使われ、また時には男性の性的欲望を軽蔑する意味合いの言葉としても使われる。

[編集] 現代精神分析と脳精神医学による批判

リビドーはフロイトにおいては生物学を基本とした本能的欲求として理解されたが、そのエネルギー概念は現在においては徹底的に批判されている。その概念は心のエネルギー理解のための隠喩として使うのは良いとしても、もはや現代科学においてはその存在はほぼ否定されている。そのため一般的には使うにしても、科学的にはもはや使われる機会がないに等しい。

特に脳精神医学では、脳において移動するのは電気信号であってエネルギーではないという見解をはっきりと示している。この事によってリビドーという言葉またその概念自体は科学的にはほぼ否定されていると言っても良い。飽くまでも脳から発信されるのは生殖器を刺激するような信号のみが送られるのである。

よってリビドーという概念はそれは非常に仮説的であり、また実際に使用したフロイト理論においてはそれはもはやメタ心理学―心理学の中でも検証不可能な仮説として受け入れられている。実際に現在の臨床心理学や精神分析学においてはそのように捕らえられている。

現代の精神分析や脳精神医学においては、フロイトの心的葛藤論は利用されても、リビドーという概念や言葉の使用は、ほぼ放棄されているようである。

[編集] 注釈


最終更新 2009年11月1日 (日) 23:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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