リュブリャナ

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リュブリャナ市
Ljubljana v Sloveniji
面積: 275,0Km²
市長: ゾラン・ヤンコヴィッチ
Zoran Jankovič
人口
 - 男性
 - 女性
265.881人
126.237人
139.644人
平均年齢: 40,37歳
住宅区域:
 - 世帯数:
 - 家族数:
28,87m²/人
102.646
74.900
労働者:
 - 失業者:
130.122人
14.243人
平均月収 (2003年8月):
 - 総計:
 - 正味:
 
310.000SIT
187.389SIT
大学生徒数: 13.256人
スロベニア共和国統計局、 2002年度の国勢調査より(*印の項目を除く)

リュブリャナLjubljana, ドイツ語 Laibachライバッハ), イタリア語 Lubiana, ラテン語 Emona)はスロベニア共和国の首都。11の特別市の1つにもなっている。スロベニア国土の中央で、アルプス山脈地中海の中間に位置し、サヴァ川へとつながるリュブリャニツァ川の河口にある。北緯46度3分、東経14度30分。日本の地図でも第一次世界大戦以前の古い地図ではスロベニア語読みのリュブリャナではなくドイツ語読みのライバッハで表示しているものもある。

海抜298m。気温変化は、1月の3.4 °Cから7月の21.9 °Cの間である。平均年間雨量は1350mm。

目次

[編集] 地勢

国土の中央に位置し、ザグレブから140km、ヴェネツィアから250km、ウイーンから350km、ブダペストからは400kmである。 クラス地方とジュリアン・アルプスの間に位置し、リュブリャニツァ川の作り出す峡谷部にある。標高はおよそ300m。

[編集] 気候

リュブリャナの平均気温
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 14 (57) 19 (66) 23 (73) 30 (86) 31 (88) 38 (100) 39 (102) 35 (95) 31 (88) 29 (84) 20 (68) 16 (61) 39 (102)
平均最高気温 °C (°F) 2 (36) 5 (41) 10 (50) 15 (59) 20 (68) 24 (75) 27 (81) 26 (79) 22 (72) 15 (59) 8 (46) 4 (39) 15 (59)
平均最低気温 °C (°F) -4 (25) -4 (25) 0 (32) 4 (39) 9 (48) 12 (54) 14 (57) 14 (57) 11 (52) 6 (43) 2 (36) -1 (30) 5 (41)
最低気温記録 °C (°F) -27 (-17) -28 (-18) -16 (3) -5 (23) -3 (27) 4 (39) 7 (45) 4 (39) 1 (34) -2 (28) -11 (12) -15 (5) -28 (-18)
降水量 mm (inches) 88 (3.5) 89 (3.5) 76 (3) 98 (3.9) 121 (4.8) 133 (5.2) 113 (4.4) 127 (5) 142 (5.6) 151 (5.9) 131 (5.2) 114 (4.5) 1,383 (54.4)
出典: http://www.bbc.co.uk/weather/world/city_guides/results.shtml?tt=TT004670 {{{accessdate}}}

[編集] 歴史

竜(ズメイはリュブリャナのシンボル
リュブリャナ中心地:三本橋(トロモストウイエ)とフランシスコ教会
リュブリャナ大聖堂
左の丘にリュブリャナ城がある

紀元15年にローマ帝国の街エモナ(Emona)が設立された。エモナは約500年間発展したが、フン族に破壊された。6世紀ごろにスラブ民族スロベニア人がスロベニアに定着して、1144年にリュブリャナ城が建設された。そして現在使われている地名で記述されたのは、1144年(ドイツ語:Laibach)と1146年(Luwigana)が最初だった。

1335年にリュブリャナはハプスブルク家の支配下に入った。1461年には司教管区になり、中世にはスロベニア文化の中心地として発展した。ハプスブルク家の支配はナポレオン戦争時に一時的に中断した。1809年から1813年の間、リュブリャナはフランス第一帝政イリュリア州の首都だった。1821年にリュブリャナはライバッハ会議の主催となった。オーストリアの支配下中は、リュブリャナはクランスカ地方の首都だった。

第一次世界大戦後の1918年のオーストリア・ハンガリー帝国崩壊で、リュブリャナはセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後にユーゴスラビア王国)の一部となり、スロベニア地方の中心都市となった。1929年にユーゴスラビア王国の行政区分が再編された際には、現在のスロベニアとほぼ同じ領域を占めるドラヴァ州(Drava Banovina)の州都となった。

第二次世界大戦の1941年4月にリュブリャナはイタリアに占領された。リュブリャナ中心市街の外部で起こったスロベニア人の抵抗運動が強かったため、1942年2月23日にイタリア軍は32Kmの有刺鉄線でリュブリャナ中心市街を完全に囲ってしまった。それはヨーロッパで最も大きい戦時下キャンプであり、リュブリャナ中心市街へ入るには、イタリア軍の厳重なチェックポイントを 通らなければならなかった。

第二次世界大戦後、リュブリャナはユーゴスラビア連邦人民共和国スロベニア人民共和国の首都になった。そして1955年にヨシップ・ブロズ・チトーは、第二次世界大戦時の抵抗運動の功績を称えてリュブリャナ市に英雄都市称号を与えた。それはユーゴスラビアで最初の英雄都市称号だった。1980年5月4日、チトーはリュブリャナの病院で亡くなった。

1991年にユーゴスラビア軍との十日間戦争でスロベニアが独立を勝ち取り、リュブリャナはスロベニアの首都になった。

[編集] 建築

スロベニア国会議事堂

リュブリャナはたびたび地震で荒廃した。1511年の大地震後、リュブリャナ市街はルネッサンス様式で再建された。そして1895年の壊滅的な大地震後は新古典主義と脱退(アール・ヌーヴォー)様式で再建された。このようにリュブリャナの建築物は様々な様式の混合である。

リュブリャナ市街の象徴の1つであるリュブリャナ城は現在も再建中である。また、旧市街と新市街を結びつける三本橋ヨジェ・プレチニックが設計した。そして彼は新市街の建物のいくつかも設計した。

[編集] 芸術

リュブリャナには、偉大なスロベニア人芸術家の美術品を所蔵している国立美術館と、1945年に建設されて主に近~現代美術品を展示している近代美術館がある。Metelkova(メテルコワ)はユーゴスラビア軍に対するカウンターカルチャーの中心地であり、そこの壁は落書きで覆われている。

[編集] 教育

1693年に、リュブリャナでAcademia operosorum Labacensisが設立され、1701年に音楽協会が後に続いた。1919年にリュブリャナ大学、1938年にスロベニア芸術科学アカデミーが成立した。

[編集] 名所

[編集] 交通

[編集] 姉妹都市


[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
公式
観光


最終更新 2009年11月18日 (水) 13:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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