リングネーム

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リングネーム(ring name)とは、格闘家リングに上がる際を中心に、選手活動・リング外での活動を通じて用いる登録名である。

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[編集] プロレスラー

命名については、格闘家の持つイメージやその団体の売り出し方によって所属団体が付けることが多い。時には長州力のように公募によって決める場合もある。ギミックを用いる場合は、そのギミックを連想させるような名前が用いられることが多く、ギミック変更のたびにリングネームを変えるレスラーや、武藤敬司のようにギミックによってリングネームを使い分けて試合をするレスラーもいる。また、佐々木健介アレクサンダー大塚のように特定の団体においては別のリングネームを用いるレスラーも存在する。女子プロレスでは「強そうなイメージ」ではなく「可愛らしそうなイメージ」を強調するリングネームも存在する(ミミ萩原キューティー鈴木など)。

草創期のプロレスでは力道山ジャイアント馬場大木金太郎マッハ文朱など、リングネームを用いるのがごく普通であった。だが現在では日本では本名をリングネームとするプロレスラーの比率が増加している。一方で名字は変えずに名前のみ変える場合があり、古くは山本勝→山本小鉄・高田伸彦→高田延彦など、現在では佐野直喜→佐野巧真・飯塚孝之→飯塚高史・倉垣靖子→倉垣翼などの例がある。ただし、平田淳二→平田淳嗣は本名そのものを改名している。アメリカでは本名のファーストネームの一部・ミドルネームを省略したり略称に変えたりしてリングネームとする例が多く、ニック・ボックウィンクルスタン・ハンセンディック・マードックボブ・サップなどが有名である。変わった例として、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンは本名が著名なプロレスラーと同姓同名(スティーブ・ウィリアムス)であるため新たにリングネームを採用し、のちに本名の方をリングネームと同じ名前(スティーブ・オースチン)に改名している。

相撲出身のプロレスラーは、以前は相撲時代の四股名をそのままリングネームとすることが多かった。力道山、豊登道春天龍源一郎が代表例だが、1980年代以降は相撲出身でも本名を名乗る例が多くなっている(田上明安田忠夫北尾光司など)。ただ依然として四股名由来の人物もおり、輪島大士曙太郎は四股名と本名が同じで、力皇猛は四股名の同音異字(四股名は力猛)となっている。

アメリカでは団体がリングネームを登録商標とすることが多く、団体を離れたレスラーは同じリングネームを名乗れないことが多い。日本でもビッグバン・ベイダーUWFインターナショナルへ転出した時にスーパー・ベイダー、のち全日本プロレスに参戦した時にはベイダーに改名している。

なお、リングネームの場合は四股名などと違って基本的に襲名はしない。現在四代目のタイガーマスク高木功が名乗る二代目・嵐、K-1ファイター草津賢治が父のリングネームを襲名した二代目・グレート草津、大分のプロレス団体に所属するVINNIが名乗る二代目・上田馬之助が数少ない例である。赤城マリ子は二代目とされているが、初代は「赤木マリ子」と表記が異なっている。1960年代後半から1970年代に大木金太郎百田光雄に「力道山襲名」という話が(大木は朝鮮半島出身で力道山と同郷、百田は力道山の次男という縁から)持ち上がったが、両方とも実現しなかった。これ以外にも長州力の一時引退後に佐々木健介が二代目を襲名するという話があったがこの話も流れた[1]メキシコルチャリブレでは二世レスラーが多いが、例えばエル・サントの息子はエル・イホ・デル・サントスペイン語で「エル・サントの息子」の意)と名乗っていて、リングネームをそのまま襲名するわけではない。

また、学生プロレスでは下ネタ絡みの名前や既存の著名人、著名なレスラーの名前をもじったリングネームをパロディの一環として用いることが多い。男色ディーノは学生プロレスのリングネームを職業人としてのプロレスでも使用している珍しい例である(「男色ディーノ」自体も著名漫画キャラのもじり)。インディーズにおいても泉州力などオマージュとしてリングネームをつけるケースが存在する。また、JWP時代の渡辺えりか橋本真也をもじって「橋本真弥」としていた時期があった。

団体幹部の個人的な趣味で改名させられるケースもある。豊登道春は改名魔として有名で、アントニオ猪木や山本勝→山本小鉄のほか、佐野浅太郎大熊熊五郎、高崎山猿吉といった「被害者」がいる。またWWEビンス・マクマホンは、かつて「ビンス・マクマホン・ジュニア」という名前だったのをジュニアを外した関係で、WWE入りした「ジュニア」が付くレスラーは全員ジュニアの付かない名前に改名させており、ドリー・ファンク・ジュニアすら例外ではなかった。女子でもJWPでは1999年2月に当時のジュニア選手全員のリングネームの改名を決行し、上記の倉垣翼や橋本真弥の他、日向あずみ輝優優美咲華菜カルロス天野といったリングネームにされている。

プロレスを引退して芸能界に転向する場合、リングネームをそのまま芸名とする場合がほとんどであるが、ストロング小林の場合、芸名を「ストロング金剛」として俳優・タレント活動を展開している。

[編集] キックボクサー

キックボクシング発案者・創始者野口修は1964年タイ内のルンピニー・スタジアムで空手代表としてムエタイの強豪を倒した中村忠にあやかり第一号選手ともいうべき白羽秀樹に沢村忠と命名。

他に代表的な例が小林雅人→魔裟斗、小比類巻貴之→小比類巻太信、小林悟→土屋ジョー、田島佳代子→田嶋はるなど。

ムエタイではリングネームは選手の所属するジムの名前がつけられたり、スポンサーについた会社や商品名がつけられたりすることがある。ウィラポン・ナコンルアンプロモーションブアカーオ・ポー.プラムックがその代表例で、タイ出身のプロボクサーであるイーグル京和も同様である。

総合格闘技でもスポンサーの商品名から韓国人選手が「辛拉麺」というリングネームを使用している。

[編集] プロボクサー

日本ボクシングコミッション(JBC)では、「ファイティング原田」・「バトルホーク風間」・「牛若丸原田」・「鈴木石松→ガッツ石松」・「スパイダー根本」・「ピューマ渡久地」・「パンサー柳田」・「パワフル本望」のように2単語以上を組み合わせたもののみリングネームとして規定している。リングネームはプロテスト合格直後に初のボクサーライセンス申請書提出の際にリングネーム記入欄に記載、それ以外の場合もJBCにリングネーム変更届として提出し、認められれば使用できる。基本的に所属ジムにより選手のイメージから名づけられる。

日本人選手の場合、戸籍上の姓名(本名)でリングに上がるケースが大半だが、国際ジムにおいては、日本ランカー以上の選手に対して、ロイヤル小林クラッシャー三浦レパード玉熊、ジャッカル丸山、セレス小林トラッシュ中沼プロスパー松浦など外来語と姓を組み合わせて付けることが慣例となっている。このパターンは元々、堀口恒男がキャッチフレーズであった「ピストン」と合わせて「ピストン・堀口恒男」からやがて「ピストン堀口」として定着したのが始まりとされている。

新日本木村ジムでは戸籍名より強いイメージを与え縁起を担いで読み方同じで小熊正二→大熊正二、赤木武幸→赤城武幸、日高和彦→飛天かずひこと表記を変更している。(同様のケースにアベジムの高橋直人→高橋ナオト、石川ボクシングジムの島袋忠司→島袋忠、ヨネクラジムでは会長夫人の姓名判断で松本弘司→松本好二や西澤良徳→西澤ヨシノリ。その米倉健司会長は本名は米倉健治で現役時代は米倉健志。沖縄ジム平仲信明が平仲伸章、花形ジム福島学が一時期は福島仕)

また刑事事件を起こし謹慎を経て復帰するごとにリングネームを変更する者もいる(田中敏之→田中健友→五代登)。

これ以外に、姓はそのままで名前だけ変えたもの(前出の平仲が世界タイトル獲得時には平仲明信、鬼塚隆→鬼塚勝也松村謙二→松村謙一など)、本名を組み入れないもの(牛若丸あきべぇ<あきべぇは幼少時の綽名>)、出生地の愛称と名前の音を漢字変換したもの戸籍上は浜崎隆司→鬼ヶ島竜(出生地が香川県高松市女木町)、姓を変え名は表記を変えたもの(佐藤晃→大雅アキラ)、姓名順を逆にして名前の読み方や表記を変えたもの(真教杉田キンジ天野コウジ有沢など)も見られる。

輪島公一は試合の時にリングアナウンサーに「わじま・はむいち」と誤読されたことがキッカケで輪島功一に変更、輪島を尊敬する三迫ジムの後輩の三谷大和はデビューから戸籍名をリングネームとして使用し戸籍名が松岡大和に変更後も従来のリングネームを使い続けた。

引退したり改名により使用されなくなったリングネームの一部を拝借する形で名乗るケースもある。内藤純一がモハメド・アリの旧名であるカシアス・クレイにあやかりカシアス内藤、小野寺正明がオサムジムの偉大な先輩である西島洋介山より「洋介山」を襲名した小野寺洋介山大場政夫は本名だったが木下貴志が大場政夫にあやかり政夫が所属していた(自身の所属先ではない)東京帝拳の許可を得て大場貴志(戸籍上は木下貴志のまま、自身の所属先は自身の実父が会長たる姫路木下)、大場政夫のライバル花形進が愛弟子田中冴美に与えた花形冴美それに当たる。米国でもシュガー・レイ・ロビンソンから取ったシュガー・レイ・レナードなどの例が存在する。リングネームをそのまま使用するケースとしてウィリアム・ハリソン・デンプシージャック・デンプシーにあやかって同じリングネームにしているが、プロレス同様その数は少ない。

後にトレーナーとして大場政夫を育てることになる桑田勇は元々戸籍上は桑原勇だったがリングネームと本名を一致させ、その桑田の愛弟子たる世界チャンピオン浜田剛史(旧名は読み方同じで浜田剛)もリングネームと本名を一致させた。また、本名の表記を読みやすい漢字に変えたリングネームも存在する(多田悦子など)

2008年の女子解禁の際、それまで日本女子ボクシング協会において1単語のリングネームを使用していた選手が存在していた。そのため彼女らは改名を余儀なくされ、ライカ→風神ライカのように別の単語、あるいはSAKURA→大内さくらのように本名の苗字を冠するか、アヤカ→宮尾綾香のように本名に戻すなどの対処が行われた。

日本のジムの所属する外国人選手は、日本人風のリングネームがつけられることが多い。ハワイ出身のポール・タケシ・フジイが藤猛米軍三沢基地に勤務する者が八戸帝拳ジム所属選手となりフレデリック・ロバーツ→リック吉村やマーク・ブルックス→マーク堀越、在日コリアンでは通名を用いて金啓徳→千里馬啓徳や洪昌守→徳山昌守、裵在樹→武本在樹、慎鏞旭→大東旭(ただし自身が生まれ育った大韓民国でプロデビューした李東春は大阪のマキジムや東京ワタナベジムの所属選手として日本のリングに上がりグレート金山北朝鮮国内で生まれ育った崔鉄洙後楽園ホールでプロデビューした際は本名をリングネームに)、メキシコ・プロボクシング界のホープが来日しヘルマン・トーレス→大関トーレスやミゲル・アンヘル・ゴンザレス→東京三太、フィリピン・プロボクシング界の至宝が世界タイトル返り咲きあるいは世界タイトル獲得目指しジョー小泉(戸籍上は小山義弘)とマネジメント契約締結しルイシト・エスピノサ→ルイシト小泉やジョマ・ガンボア→ガンボア小泉を、ロシア国籍のユーリ・アルバチャコフが一時期ユーリ海老原を名乗っていたのは、その一例である(協栄ジムの偉大な先輩海老原博幸にあやかる。ただし、その偉大な先輩も本名は松田博幸)。だがユーリの場合、海老原がロシア語で卑猥な意味の単語「エビ」を連想させる為本人の希望で本名に戻し、さらにマネージャーマック金平(戸籍上は金平理宰)が公募し新リングネーム「勇利アルバチャコフ」に変更された。また、オケロ・ピーター(本名はピーター・オケロ)のように日本人同様姓名順にした例もある。台湾(中華民国)国籍の林明佳のように所属先(ロッキージム)の名称に合わせロッキー・リンとする場合もあり。

プロボクサー時代は戸籍名と同じリングネームで活動しながら、引退後に戸籍名と違う芸名でタレント活動する者もいる(斎藤清作→たこ八郎、浜伸二→島木譲二、北村雅英→トミーズ雅佐藤修→蓮ハルク)。

[編集] その他

対戦格闘ゲームにおいても、大会などで本名以外の呼称をリングネームとして名乗る者も多い。ファーストパーソン・シューティングゲーム界では選手を『Naonobu "uNleashed^" Tahara』というようにミドルネームの様に、ゲーム内で使うネーム(ハンドルであり、一種のリングネーム)を入れて書くことが多い。この場合本名が『Naonobu Tahara』で、ハンドルが『uNleashed^』である。

その他の用法についてはペンネームハンドルネームを参照。

[編集] 出典

  1. ^ 佐々木健介『光を掴め! 佐々木健介自叙伝』メディアワークス、1999年、p129.

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月27日 (金) 00:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【リングネーム】変更履歴

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