ルクセンブルク (都市)

ルクセンブルク (都市)の最新ニュースをまとめて検索!

ルクセンブルク市
Lëtzebuerg

ルクセンブルク市内の城壁

位置
の位置図
市長 Paul Helminger
地理
面積  
  市域 51.46km2(19.87mi2
標高 402m(1,319ft
人口
人口 (2009年現在)
  市域 88,586人
    人口密度   1,721人/km2(4,460人/mi2
その他
等時帯 CETUTC+1
logo

ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群
ルクセンブルク

.
英名 City of Luxembourg: its Old Quarters and Fortifications
仏名 Ville de Luxembourg : vieux quartiers et fortifications
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(iv)
登録年 1994年
拡張年  
備考  
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図
ルクセンブルク (都市)の位置
世界遺産テンプレートを使用しています
  
ルクセンブルクの地図

ルクセンブルク市Luxembourg Cityルクセンブルク語Stad Lëtzebuergフランス語:Ville de Luxembourgドイツ語:Luxemburg Stadt)は、ルクセンブルク大公国の首都である。人口は90,000人(2009年)。周囲のコミューンを含めた都市圏人口は、103,973人。

アルデンヌの高地にあり、標高はおよそ500m。ペトリュス川がモーゼル川の支流のアルゼット川に合流する所に位置する。北緯49度36分、東経6度8分。ブリュッセルから188km、ケルンからは190km。

世界でも最も富裕な都市の1つであり、市の中心部にはノートルダム大聖堂および市庁舎がある。副都心のキルシュベルクには欧州司法裁判所欧州投資銀行等の欧州連合の機関、ルクセンブルク大学、ラジオ・ルクセンブルクなどが存在する。

目次

[編集] 歴史

ローマ帝国時代、2つのローマ街道がこの地で交差する要衝点だった。963年トリーアのセント・マクシミン修道院と交わした交換条約でアルデンヌのジークフリートがこの地を手に入れた。ジークフリートは、西フランク王国ルイ2世の孫で、神聖ローマ帝国オットー1世の姻戚であった。ジークフリートは、このアルゼット川に囲まれた岩だらけの崖地に、堅固なボック城を建設する。地理的に重要な戦略拠点に位置していたため、要塞は強化され市場もでき、12世紀末までには市域は西方に今日のノートルダム大聖堂のあたりまで拡大し、新しい城壁も作られた。ルクセンブルク伯ヨーハン(盲目王)の時代には新たな要塞も建造された。息子のカール4世神聖ローマ皇帝となり、ルクセンブルク家ルクセンブルク公に上り詰めていく。

1443年フィリップ3世ブルゴーニュ公国に征服され、その一部に組み込まれる。その後、スペイン領やオーストリア領の南ネーデルラントとしてハプスブルク家の統治下に入る。この時期に城は繰り返し強化され、ルクセンブルクの要塞は欧州でも最も堅固で壮麗なものとなった。

フランス革命戦争ではフランス軍に2度占領される。2度目の戦闘ではフランス軍の包囲を7ヶ月間耐え忍び難攻不落ぶりが有名となった。「北のジブラルタル」という市の愛称は、この古事に由来する。結局、オーストリア軍は降伏、ルクセンブルクはフランスに併合される。ナポレオン戦争が終結すると、1815年ウィーン会議ルクセンブルク大公国が誕生するが、ネーデルラント連合王国オラニエ=ナッサウ家同君連合としてルクセンブルクも統治することになった。また、(第二次)パリ条約で、ドイツ連邦に加盟することになり、プロイセン王国軍が進駐した。フランスとプロイセンの間で、ルクセンブルクをめぐってルクセンブルク危機が起こると、1867年、(第二次)ロンドン条約で両大国間の永世中立国となることが決められ、市内の城は解体されることになった。城内に張り巡らされた地下通路網「カズマット」(Casemates)の取り壊しには16年もかかった。同時にプロイセンの駐屯地も廃止された。

オランダ国王でありルクセンブルク大公であったヴィレム3世1890年に男子の世継ぎも無く死ぬと、アドルフルクセンブルク大公となり、オランダとの同君連合を解消、ルクセンブルク大公国は独立を果たし、ルクセンブルク市がその首都となった。

第一次世界大戦が勃発すると、中立宣言にもかかわらず1914年ドイツ帝国に占領され、ルクセンブルク市にはフランスに近いという理由でヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケの総司令部が置かれた。大戦末期には共産主義運動が盛んになり、大公国でも「ルクセンブルク社会主義共和国」が宣言された(ほんの数時間の政権であったが)。

1940年ナチス・ドイツが侵攻、1942年には第三帝国に完全に併合されるも、1944年連合国軍に解放される。

欧州司法裁判所.

戦後、ルクセンブルクは中立政策を廃止、北大西洋条約機構の原加盟国となり、また多くの国際機関のメンバーとして外交を展開する。1952年には欧州石炭鉄鋼共同体の本部となったのを皮切りに、現在でも欧州議会の事務局本部、欧州司法裁判所欧州会計監査院欧州投資銀行などが置かれ、欧州委員会ブリュッセルベルレモンのほかにルクセンブルク市内でも業務を行っている。

[編集] 気候

大陸性気候

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 (°C) 3 4 10 14 18 21 23 22 19 13 7 4
平均最低気温 (°C) -1 -1 1 4 8 11 13 12 10 6 3 0
平均降水量 (mm) 61 65 42 47 64 64 60 84 72 53 67 81
平均雨天日数 (0.25mm+) 20 16 14 13 15 14 14 15 16 15 19 20
Source: BBC Weather

[編集] 言語

住民の多くはドイツ系であり、日常語としてはドイツ語系のルクセンブルク語が話されるが、公文書にはフランス語が使われる。国際都市であり英語も広く通じる。

[編集] 交通

新バロック様式のルクセンブルク駅.

ルクセンブルク市内には地下鉄やトラムは無い。

  国営のChemins de Fer Luxembourgeoisが運営する同国最大の駅。市の中心部から2km南にある。2007年LGV東ヨーロッパ線が乗り入れ、パリ東駅などと結ばれた。

  国内唯一の空港のため国際線だけが発着する。市内から6km。フィンデル空港をハブ空港とする航空会社は、ルクセンブルクのルクスエアカーゴルックス航空である。カーゴルックス航空は、世界有数の貨物航空会社であり、フィンデル空港の貨物取り扱い量も欧州最大規模である。

[編集] 姉妹都市

[編集] 世界遺産

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • (iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。

[編集] 観光名所

  • アルム広場 Place d' Armes
  • ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame
  • 大公宮 Plais Grand-ducal
  • 市庁舎 Hotel de Ville

[編集] ギャラリー

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
公式
日本政府
観光

pnb:لکسمبرگ (شہر)

最終更新 2009年11月9日 (月) 05:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ルクセンブルク (都市)】変更履歴

ご利用上の注意