ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル
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ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル(Ludwig Alois Ferdinand Ritter von Köchel, 1800年1月14日 - 1877年6月3日)はモーツァルトの作品を調べ時系列的に並べたケッヘル番号を作ったことで知られている。科学者、作家で、作曲家、出版者でもあった。正確にはケッヒェル['kœçəl]である。
オーストリア、ニーダーエスターライヒ州のシュタインで生まれた。シュタインはウィーンからドナウ川を上流(西)へ78kmほど上った小さな町である。
[編集] 才能が時の有力者に認められる
ウィーンで法律を学び、15歳の時に神聖ローマ皇帝フランツ2世(オーストリア皇帝フランツ1世)の弟カール大公(1771年 - 1847年)の4人の子供達の家庭教師をしていた。ケッヘルの報酬は騎士の身分と、残りの人生を私的な研究生活に没頭できるだけの財政的な支援だった。
科学者としての彼はアフリカ北部、イベリア半島、ブリテン島、ノース岬 (North Cape)、ロシアの植物調査に貢献した。植物学の他に地質学と鉱物学にも興味を持っていたが、同時に音楽を愛しており、ザルツブルクのモーツアルテウム(モーツァルト音楽院)の会員で、1862年にモーツァルトの作品リストを出版した。これがケッヘル目録と言われるもので現在第6版となっている。
モーツァルトの未亡人コンスタンツェや少数の友人達が残された作品を分類はしたが、約半世紀にわたって、モーツァルト作だと言われる作品と、正真正銘モーツァルトの作品であるというものとが正しく区分出来ていなかった。
[編集] モーツァルトの目録の出版
ケッヘルの「モーツァルト全作品目録 (Verzeichnis samtlicher Tonwerke W.A. Mozarts) 」が1862年に出版されてようやくモーツァルトの生涯の全体像が理解できるようになった。この目録は各作品の冒頭の数小節が記載され、番号も付けられた。モーツァルトの作品は現在、K.+数字 で表している。例えば交響曲第41番『ジュピター』(交響曲)はK.551である。
ケッヘルはモーツァルトの作品を24のカテゴリーに分類した。ブライトコップ社は1877年から1905年まで28年間をかけてモーツァルトの全作品を出版したが、その最初の完全版でこの分類を使っている。この28年間にわたった出版という偉業にはケッヘル自身も携わっている。
その後に続くこうした分野での最初の大規模な学問業績を成し遂げたケッヘルは、1877年6月3日にウィーンで死亡した。
[編集] フックスの作品目録も作成
ケッヘルの探究心には驚愕させられるものがある。彼は楽器を演奏し、作曲をし、教育や文学上の問題にも関与した。モーツァルトの作品リストを作っただけでなくバロック音楽の大家ヨハン・ヨーゼフ・フックス(Johann Joseph Fux, 1660年 - 1741年)の伝記と作品リストも作っているし、様々な音楽学上の論文も書いている。
フランツ・シューベルト(1797年 - 1828年)やヨハネス・ブラームス(1833年 - 1897年)との交際も知られている。
最終更新 2009年8月14日 (金) 23:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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