ルーマニア王国
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ルーマニア王国(ルーマニアおうこく、ルーマニア語:Regatul României)は、1881年にルーマニア公国の大公カロル1世が国王に即位して成立したルーマニアの王国。
[編集] 歴史
長らくオスマン帝国の宗主下に置かれていたルーマニアであったが、ワラキアとモルダヴィアの連合公国から発展したルーマニア公国が1866年に憲法を制定した後、1877年5月9日に独立を宣言。翌年のサン・ステファノ条約およびベルリン条約にて列強の独立承認を受け、1881年に大公カロル1世は国王に即位。名実共に独立国としてのルーマニア王国が成立した。
1912年、バルカン諸国とオスマン帝国の間で第一次バルカン戦争が始まったが、ルーマニアは中立を維持した。その戦後処理をめぐる対立で勃発した第二次バルカン戦争では、ルーマニアはブルガリア王国に侵攻し、南ドブロジャを獲得した。
第一次世界大戦では、連合国側で参戦して勝利。1918年12月1日、トリアノン条約を締結してブコビナ、トランシルヴァニア、ドブロジャ、ベッサラビアを獲得し、大ルーマニアを実現させた。
第二次世界大戦では、枢軸国側で参戦。ナチス・ドイツの圧力の下、独ソ不可侵条約を受けてホルティ政権下のハンガリー王国がトランシルヴァニアに進駐。更に南ドブロジャをブルガリアに割譲した。また、ソビエト連邦もブコビナとベッサラビアを占領した。これらの領土喪失に無為だった国王カロル2世に対する国民の不満は頂点に達し、1940年の軍部クーデターによりカロル2世は退位に追い込まれた。1944年、再度のソ連侵攻に伴う政変によって連合国側に鞍替えし、ナチス・ドイツと戦火を交えた。戦後、一時は奪還していたブコビナとベッサラビア(後のモルドバ)はソ連に併合され、ソ連軍の強い圧力の下、1947年12月30日に人民政府が成立。王政は廃止され、ルーマニア共産党の一党独裁によるルーマニア人民共和国が成立した。
[編集] 関連項目
- ルーマニアの歴史
- ホーエンツォレルン家(ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家)
最終更新 2009年11月6日 (金) 05:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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