ルーマニア社会主義共和国
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ルーマニア社会主義共和国(ルーマニア語:Republica Socialistă România)は、1947年にルーマニア王国の国王ミハイ1世が退位して成立したルーマニアの共産主義国家。1965年までの国号はルーマニア人民共和国(Republica Populară Romînă)。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 共産主義国家の成立
第二次世界大戦に枢軸国側で参戦したルーマニア王国であったが、敗戦の後、ソ連軍の強い圧力の下、1947年12月30日に人民政府が成立。王政は廃止され、ルーマニア共産党の一党独裁によるルーマニア人民共和国が成立した。敗戦処理としてベッサラビアとブコヴィナをソ連に割譲させられ、政治的にも強い影響下に置かれた。1965年には国号をルーマニア社会主義共和国に改称。
[編集] チャウシェスクによる独裁
しかし、1974年に大統領に就任したニコラエ・チャウシェスクの独裁政権にて、次第にソ連との距離を取り始め、西側諸国との提携も行うなど、「東欧の異端児」と呼ばれる独自の路線を進んだ。ルーマニアは豊富な資源を基盤に政権運営を行ったが、官僚の失政が相次ぎ、チャウシェスクが「国民の館」と称する豪奢な宮殿を建設するなどの奢侈に走り、ルーマニアの経済は失速。国民の生活水準は益々厳しいものとなっていった。
[編集] 東欧革命
冷戦末期、ペレストロイカやベルリンの壁の崩壊に連なる、東欧の民主化の波はルーマニアにも波及した。他の東欧諸国が無血革命で民主化を成し遂げる中、チャウシェスク大統領は無謀にも権力の保持を図った。そのため、首都ブカレストを含む全国規模の暴動が発生。1989年のルーマニア革命によってチャウシェスクは処刑され、民主化が実現した。暫定政権として救国戦線評議会が結成され、事実上の政府となった。同評議会はイオン・イリエスクを議長に選出した。
[編集] 関連項目
最終更新 2009年5月15日 (金) 15:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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