レアル・マドリード
レアル・マドリードの最新ニュースをまとめて検索!
| レアル・マドリード | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Real Madrid Club de Fútbol | |||
| 愛称 | Madrid, Merengue, Blancos, Vikingos, Los Galacticos |
|||
| クラブカラー | 白、紫 | |||
| 創設年 | 1902年 | |||
| 所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
| 所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | |||
| ホームタウン | マドリード | |||
| ホームスタジアム | エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ | |||
| 収容人数 | 80,354 | |||
| 代表者 | ||||
| 監督 | ||||
| 公式サイト | 公式サイト | |||
|
|
||||
レアル・マドリー・クルブ・デ・フトボル(Real Madrid Club de Fútbol)は、スペインの首都 マドリードに本拠地を置くサッカークラブチーム。
目次 |
[編集] 概要
1902年に創設。ホームスタジアムはエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ。現在は、リーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属し優勝回数は国内最多31回、更にUEFAチャンピオンズリーグの優勝回数は大会創設期の5連覇を含む9回と世界最多を誇り、FIFAにより「20世紀最高のクラブ」に認められた、世界屈指の名門クラブである。また、デロイト・フットボール・マネー・リーグによれば世界一収入のあるフットボールクラブでもある[1]。
因みに、同チーム創設当初のスペインにはサッカーを統括する団体がなく(スペインサッカー連盟は1909年創設)、また、同チームが唯一のサッカー団体であったため、スペインを代表してFIFAの創設メンバーに名を連ねた。
FCバルセロナ、アトレティコ・マドリードの両クラブとはライバル関係にあり、バルセロナとの対戦はエル・クラシコ (El Clásico) と呼ばれ、100年近く因縁の対決を続けている。同じマドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードとの対戦はマドリードダービー (El Derbi Madrileño) と呼ばれ、この2試合は非常に白熱している。ちなみに、この3クラブをスペイン3大名門クラブと言う。
また、一般的にはサッカークラブチームが有名だが、バスケットボールのクラブチームも持つ、総合スポーツクラブである。スペインバスケットボールリーグ1部ACBのレアル・マドリード・バロンセストがそれであり、優勝回数1位を誇る屈指の名門クラブである。
[編集] 呼称
Real Madrid Club de Fútbol は、一般的なスペイン語では「レアル・マドリー・クルブ・デ・フトボル」と発音する。ただし、マドリード首都圏では前半部分を「レアル・マドリース」と発音する(→マドリード#発音・表記参照)。「レアル」は「王の」「王立の」という意味で、英語のRoyalと同じである。
略称は日本の他、ヨーロッパの多くの地域では「レアル」である。しかし、スペイン国内で「レアル」と言えばレアル・ソシエダ(レアルもしくはラ・レアルと呼ばれる)を指す。
愛称は、チームカラーの白をとってエル・ブランコ (El Blanco) やメレンゲ (Merengue)。その他にも、年代ごとにそれぞれ特殊な愛称も存在する。アルフレッド・ディ・ステファノらスタープレイヤーを擁してUEFAチャンピオンズカップ5連覇を成し遂げた1950年代後半は第一次黄金時代 と呼ばれ、多くのリーグ優勝を成し遂げた1960年代はビートルズの楽曲、シー・ラヴズ・ユーの歌詞より[2]イエイエ・マドリード、リーグ5連覇を成し遂げた1980年代後半のチームは、エミリオ・ブトラゲーニョの愛称である「エル・ブイトレ」からキンタ・デル・ブイトレと呼ばれた。2000年代前半のペレス会長時代は、在籍している選手の豪華さからロス・ガラクティコス(Los Galácticos。英語読みはギャラクティコス)とも呼ばれていた。日本のメディアでは「エル・ブランコ」を意訳した「白い巨人」、「ロス・ガラクティコス」を意訳した「銀河系軍団」や「スーパースター軍団」という呼び名も用いられる。
[編集] クラブの歴史
[編集] 創成期
1895年、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の卒業生がマドリードにフットボール・スカイというクラブを設立。1900年に分裂し、ニュー・フットボール・クラブとフアン・パラシオス会長のエスパニョール・デ・マドリードという2クラブが新たに生まれた。そして、1902年にフアン・パドロスが会長となり、レアル・マドリードの前身のクラブであるマドリードFCが誕生した。
1905年には初のタイトルであるスペイン国王杯を獲得[3]。1912年に、後に会長となるサンティアゴ・ベルナベウが選手としてデビューした。1920年、アルフォンソ13世 によってクラブ名がレアル・マドリードとなる。1924年に、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ以前のスタジアムであるエスタディオ・チャマルティンが完成する。1930年代には、15万ペセタで引き抜いたリカルド・サモラを始め、マヌエル・オリバレス、ジャシント・キンコセスらスペイン代表選手を集めて初のリーグ優勝、翌年にはリーグ連覇を果たした。特に1931-32シーズンは無敗での優勝であった。しかし、1936年にスペイン内戦が起こり、1939年までスペインリーグは中断を余儀なくされた。
[編集] サンティアゴ・ベルナベウ会長時代
1943年にサンティアゴ・ベルナベウが会長に就任。1953-54シーズンに21シーズンぶりのリーグ優勝を達成し、翌1954-55シーズンも優勝、1956-57、1957-58シーズンには連覇を達成した。
また、バロンドール受賞のアルフレッド・ディ・ステファノ、レイモン・コパやフェレンツ・プスカシュなどを擁し、1955年から始まったUEFAチャンピオンズカップ(現:UEFAチャンピオンズリーグ)では第1回大会の1955-56シーズンから1959-60シーズンまで5連覇という偉業を達成した。なお、5連覇はUEFAチャンピオンズカップの最多連続優勝記録であり、2位はアヤックスとバイエルン・ミュンヘンの3連覇である。
1960年代には1960-61シーズンから1964-65シーズンまで国内リーグを5連覇。翌1965-66シーズンはタイトルを逃すものの、1966-67シーズンからは1968-69シーズンは3連覇と9年間で8度のリーグ優勝を記録した。黄金期から残ったフランシスコ・ヘントがキャプテンとなり、ピッリ、アマンシオなどの若手によって世代交代を果たしたこのチームは「イエイエ・マドリード」と呼ばれた。1970年代になっても、1974-75、1975-76、1976-77シーズンと国内リーグを3連覇した。ベルナベウが死去してルイス・デ・カルロスが会長になった後の1977-78、1978-79シーズンも優勝し、1960年代前半に続いて国内リーグ5連覇を達成した。この功績がたたえられ、現在の本拠地スタジアムにはベルナベウの名前が使われている。
[編集] ラモン・メンドーサ会長時代
1979-80シーズンまでの国内リーグ5連覇後、レアル・マドリードは国内リーグとUEFAチャンピオンズカップというビッグタイトルから遠ざかっていたが、メンドーサが1985年に会長に就任するとエミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェルらを下部組織からトップチームに上げ、1984-85シーズンにピチーチ賞を受賞したアトレティコ・マドリード所属のウーゴ・サンチェスを獲得。1985-86シーズンに6シーズンぶりの国内リーグ優勝を果たし、キンタ・デル・ブイトレと呼ばれる時代となった。その後もブトラゲーニョを中心としたチームは1989-90シーズンまでレアル・マドリード史上3度目となる国内リーグ5連覇を達成した。 しかし、1990年代前半はジョゼップ・グアルディオラやフリスト・ストイチコフなどのスタープレイヤーを擁しヨハン・クライフを監督に迎えて黄金期にあったFCバルセロナに主導権を握られる。レアル・マドリード暗黒の時代の到来であった。
また、1994年にエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの改修を行い、この改修費用などでレアル・マドリードは負債を抱えることとなった。
[編集] ロレンソ・サンス会長時代
ここから、再びレアルの栄光の時代が幕を開ける。 FWのラウール・ゴンサレス、フェルナンド・モリエンテス、プレドラグ・ミヤトヴィッチを筆頭にMFにはサヴィオ、フェルナンド・レドンド、クラレンス・セードルフ、スティーヴ・マクマナマン、DFにはロベルト・カルロス、フェルナンド・イエロといったスタープレイヤーが揃い始める。 1996-97シーズンには前年ACミランを率いてセリエA優勝を果たしたファビオ・カペッロを監督に招き、リーガ・エスパニョーラ制覇を果たすも、攻撃よりも守備を重んじるイタリアのサッカーを展開し、それがファンに受け入れられずわずか1年で解任する。その後も1993-94シーズンに指揮を執ったビセンテ・デル・ボスケが再び招聘された1999年までのわずかな間に4度監督が交代し、その間リーグ戦で優勝することはなかったが、1997-98シーズン、1999-00シーズンとUEFAチャンピオンズリーグを3年間に2度制覇した。
[編集] 第一次フロレンティーノ・ペレス会長時代
| UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02 決勝のスターティングメンバー |
辣腕経営者フロレンティーノ・ペレスは旧練習場敷地の売却でメンドーサ、サンス時代に膨らんだ負債を一掃し、豊富な資金力と『レアル・マドリード』というネームバリューを生かし、「毎年一人はビッグネームを獲得する」と会長就任直後に宣言し、レアル・マドリードという存在を知らしめることとなった。
2000年には会長選で公約したルイス・フィーゴをFCバルセロナから移籍金当時史上最高額で獲得[4](禁断の移籍と言われる)してリーグ優勝を飾り、さらに2001年には前年のフィーゴを上回る当時史上最高額の移籍金でユヴェントスからジネディーヌ・ジダンを獲得し[4]、見事5年で3度目となるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を飾る。
- このころから、その豪華なメンバーと他をよせつけない強さと優雅さを兼ね備えたサッカースタイルから銀河系軍団と呼ばれるようになる。スター選手と生え抜きの若手を組み合わせる構想を、ペレスは「ジダネス&パボネス」と表現した(ジダネスとはジダンのようなスター選手、パボネスとはフランシスコ・パボンのようなカンテラ出身の選手という意味)。また、2002年にはUEFAチャンピオンズリーグ優勝で得たボーナスなどを元に、インテルからロナウドを獲得し、リーグ優勝、UEFAスーパーカップ制覇、インターコンチネンタルカップ制覇の3冠を達成、UEFAチャンピオンズリーグでもベスト4の好成績を残す。過去5年のバロンドール受賞者のうち、3人(フィーゴ、ジダン、ロナウド)がチームのスタメンを張り、人気・実力とも世界のトップに立った。そしてこのままレアル王朝は当分続くと思われたが、そもそもクラブとしての経営ヴィジョン、フィールド上の戦術上にも目を見張るような部分がなく、豪華ではあるが、長期的視野に乏しかった。
2003年には、マンチェスター・ユナイテッドで監督のアレックス・ファーガソンと確執のあったデビッド・ベッカムを獲得する。しかし、同時にそれまで個性の強いスター軍団を上手く纏めあげ結果を残していたビセンテ・デル・ボスケ監督を解任し、マンチェスター・ユナイテッドでアシスタントコーチを務めていたカルロス・ケイロスを新監督に迎える。また、キャプテンを務めていたフェルナンド・イエロにいともあっさりと戦力外通告し、チームの銀河系軍団政策に批判的だったフェルナンド・モリエンテスをASモナコへレンタルで放出(翌年、復帰するも冬の移籍市場でリヴァプールFCへ移籍)。更には中盤の汗かき役、クロード・マケレレを給与問題のもつれで解雇した(後にチェルシーFCへ移籍)。その結果、守備での貢献度が高かったマケレレの代役となる選手がおらず、2003-04シーズンは守備が崩壊し、リーグ4位に終わると共に終盤にはクラブ史上初のリーグ戦4連敗を喫し、獲得したタイトルはスーペルコパ・デ・エスパーニャのみに留まった。2004年にはリヴァプールFCからFWのマイケル・オーウェンの他、懸念されていたDFを強化すべくニューカッスル・ユナイテッドFCからジョナサン・ウッドゲートを、ASローマからワルテル・サムエルを獲得し、冬の移籍市場ではエヴァートンFCからトーマス・グラヴェセンを獲得するも、オーウェンの出場機会は少なく、ウッドゲートは怪我に悩まされ続けて殆ど試合出場が出来ず、またサムエルは崩壊した守備陣の中で高い期待に応えることが出来ず、ついに2004-05シーズンは1995-96シーズン以来9季振りとなる無冠に終わった。
- 2003年、中盤の右サイドには既にフィーゴがいたにもかかわらずベッカムを、2004年にはFWにラウール、ロナウド、モリエンテスらがいたにもかかわらずオーウェンを獲得するなど、ペレスの在任中盤から後半にかけてはポジションが重なる選手の獲得が目立つようになった。そのため、ビッグネームとして獲得されたが、レギュラーの座を獲得できなかった選手が現れるようになり、このような立場であったオーウェン(出場試合数と比較すると得点率が高いにもかかわらず十分な出番が与えられなかった)は出場機会を求め、移籍後わずか1年でチームを去っている。
また、2005年にはサントスFCから「ペレ二世」と呼ばれるブラジル代表の期待の星ロビーニョを、またセビージャFCからジュリオ・バティスタ、セルヒオ・ラモスを獲得するなど攻守両面を補強し、フィーゴ、サムエル、オーウェンら余剰戦力の放出も行った。更に冬の移籍市場ではASローマからアントニオ・カッサーノを、サンパウロFCからシシーニョを獲得するなど更なる強化を図った。しかしチームは迷走を続け、このシーズンも無冠に終わった。
- この頃、ブラジル人監督ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴによってブラジル人選手が増え、他の選手たちとの間に溝が出来ていた時期があった。特に、デポルティーボ・アラベス戦でゴールを決めたロナウドがロベルト・カルロス、ロビーニョと共に行ったゴキブリを模したパフォーマンスは、当時アラベスの会長をしていたドゥミトリー・ピーターマンはおろか、ラウール、エルゲラらチームメイトからも批判を浴びた[5][6]。
- 2006年、同クラブを題材にした映画「レアル・ザ・ムービー」が製作された。これは、クラブのドキュメンタリー映画としてだけでなく世界の5大都市(東京、ニューヨーク、ベネズエラ、セネガル、マドリード)を舞台に、そこに住む熱狂的マドリーファンの生き様を描くフィクションとの混同形式で製作された。
また、ビッグネームとそれ以外の選手との年俸格差が激しく、ビッグネームは年俸も銀河系と言われているのに対し、下部組織からの昇格組など、それ以外の選手はスタメンであっても給料面で冷遇されていた。これらスター偏重路線は純粋な戦力補強以外に、世界市場でのマーケティング戦略という意義も強く、2003年から2005年にかけては、リーグ戦が終了すると興行として世界各地で親善試合を行うようになった。そのため、新シーズンに向けての練習期間が短く、新加入のチームメイトとの連携やコンディション維持が難しくなり、選手は疲労を残したまま新シーズンを迎えていた。
また、前述のデル・ボスケ解任後、実に4度の監督交代が行われ、戦術がなかなか定まらなかったり、選手の傲慢な態度が目立つようになるという問題もあった。その結果チームの規律は消え失せ、次第にチームは混乱していった。
巨額の資金をつぎ込んできたが、2003年のスーペルコパ・デ・エスパーニャ制覇を最後に、タイトル獲得なしの状態が続き、2006年2月にUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント一回戦のアーセナルFC戦とスペインリーグにおけるRCDマジョルカ戦での連敗により2シーズン連続の無冠が濃厚となったためペレスは責任を取る形で会長職を辞任した[7]。在任前半は世界のサッカーシーンをチームに釘付けにしたが、後半はその注目度に応えられる結果が得られなかった時代となった。
[編集] フェルナンド・マルティン・アルバレス会長時代
ペレスの辞任後、彼の決断によりその右腕を務めていたアルバレスが会長に就任。アルバレスは、ペレス時代の『銀河系軍団』の構想を真っ向から否定した。クラブへの貢献度を給料査定の基準にし、給料分働かない者はクラブから出て行ってもらうと発言したがビッグクラブの重圧は重く、会長職を2ヶ月で辞任した。
[編集] ラモン・カルデロン、ビセンテ・ボルダ会長時代
カルデロンは2006-07シーズン前に行われた会長選に勝利するとタイトル奪還に向けて始動した。手始めに、カルチョ・スキャンダルによってセリエBに降格したためユヴェントスの監督を辞任したファビオ・カペッロを新監督として招聘。規律を重んじ、1996-97シーズンにリーグ優勝の経験があるカペッロにチーム編成も一任した。2006年夏の移籍市場ではユヴェントスからファビオ・カンナヴァーロとエメルソン、またオリンピック・リヨンからマアマドゥ・ディアッラを獲得し長年の懸案だった脆弱な守備面を立て直すとともに、攻撃面でもマンチェスター・ユナイテッドからルート・ファン・ニステルローイ、アーセナルからホセ・アントニオ・レジェス(ジュリオ・バティスタとの双方レンタルによるトレード)を獲得し、就任直後から堅守速攻型のチームを作り上げた。一方でトーマス・グラヴェセンやジョナサン・ウッドゲートなど余剰戦力を放出すると共に、衰えを見せてきたロナウド(2007年1月、セリエAのACミランへ移籍)やデビッド・ベッカム(2007年夏、メジャーリーグサッカーのロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍)をベンチ要員にするなど、ペレス時代に作り上げた銀河系軍団の解体も行った。
また2007年冬の移籍市場では近未来を見据えてマルセロ、フェルナンド・ガゴ、ゴンサロ・イグアインの3人の若手選手を獲得し、スタメンで起用するなど世代交代も図っている。しかし、若手をカンテラ(下部組織)から昇格させるのではなく国外の選手を集めるやり方に不満の声が挙がった。最終的に2006-07シーズンは4シーズンぶりにリーグ優勝を達成するも、シーズンを通して不安定な戦いに終始したことに加え、10年前と同様にサポーターから「守備的すぎる」との批判が噴出し、クラブからも「我々の求めるスペクタクルなサッカーではない」とされ、タイトルを4シーズンぶりに獲得したのにも関わらずシーズン終了後にカペッロは解任された[8]。
その後、前ヘタフェ監督のベルント・シュスターが新監督に就任。2007年夏の移籍市場でも活発な動きを見せ、ヴェスレイ・スナイデル、アリエン・ロッベンらを総額1億ユーロ以上の大金を注ぎ込み獲得。一方でフランシスコ・パボン、アルバロ・メヒアらカンテラ出身の選手を多く放出、フロレンティーノ・ペレスが掲げた「ジダネス&パボネス」は完全に終結した。2007-08シーズンは、ライバルのFCバルセロナやビジャレアルとの直接対決を制するなど、史上最多となる勝ち点85で18年ぶりとなるリーガ・エスパニョーラ連覇を達成した。またクラブは、2008年2月にチームのカンテラ出身選手であるイケル・カシージャス、ラウル・ゴンサレス、グティの3人と事実上の生涯契約を結んだ[9]。
2008年夏の移籍市場では以前から興味を寄せていたマンチェスター・ユナイテッドのクリスティアーノ・ロナウド獲得に全力を注ぐも同クラブのアレックス・ファーガソン監督の激しい抵抗に遭い失敗、さらに同選手獲得を巡りクラブとの関係が悪化していたロビーニョをマンチェスター・シティへ放出した。新加入選手はラファエル・ファン・デル・ファールト、ルベン・デ・ラ・レッド(買い戻しオプションを行使され、ヘタフェから復帰)、ハビ・ガルシア(同様に、オサスナから復帰)、エセキエル・ガライ(ラシン・サンタンデールに1年間の期限付き移籍により、2009年夏より加入)のみとなった。
しかし2008-09シーズン、UEFAチャンピオンズリーグではグループリーグでユベントスに完敗し、リーグ戦においても一時は6位に低迷する成績不振などから2008年12月9日にシュスター監督を解任。後任には前トッテナム監督のファンデ・ラモスが就任し[10]、さらに冬の移籍市場ではクラース・ヤン・フンテラール、ラッサナ・ディアッラらを獲得した。 これにより15節のエル・クラシコ以降、17勝1分と驚異的な巻き返しをしたが、34節のエル・クラシコでFCバルセロナに2-6で敗れ、その後のリーグ戦も全敗し、獲得したタイトルはスーペルコパ・デ・エスパーニャのみに留まった。
2009年1月、カルデロンにクラブ総会での不正投票操作疑惑が浮上[11]。2009年1月16日、カルデロンはその責任および混乱収拾のため会長職を辞任し、その後は副会長だったビセンテ・ボルダが暫定的に会長を務めた。
[編集] 第二次フロレンティーノ・ペレス会長時代
2009年6月14日に会長選が行われる予定だったが、候補者が元会長のフロレンティーノ・ペレスしかいなかったため、6月1日付でペレスが会長に返り咲いた[12]。それに伴い、ゼネラルマネージャーにホルヘ・バルダーノ、クラブアドバイザーにジネディーヌ・ジダン、スポーツディレクターにミゲル・パルデサといったクラブOBがそれぞれ就任。また、前ビジャレアルCF監督のマヌエル・ペジェグリーニを新監督に迎え入れ、銀河系軍団の再構築へ向けて移籍市場を賑わせた。
ペレスの復帰後、これまでの最高額移籍であった2001年のジダン獲得に次ぐ移籍金史上2番目(後述のクリスティアーノ・ロナウド獲得を含めると3番目[4])の高額移籍金でACミランからカカを、さらに前述のジダン獲得を上回る史上最高額の移籍金でマンチェスター・ユナイテッドから前年獲得に失敗したクリスティアーノ・ロナウドを[4]獲得し、またオリンピック・リヨンからはカリム・ベンゼマを獲得した。一方、スペイン代表であるラウル・アルビオルをバレンシアCFから、シャビ・アロンソ、アルバロ・アルベロアをリヴァプールFCから獲得。カンテラ出身であるアルバロ・ネグレドをUDアルメリアから(一ヶ月後にセビージャFCに放出)、エステバン・グラネロをヘタフェCFから共に買い戻しオプションを使行してスペイン人化も行なっている。この大型補強に費やした費用は総計で2億5000万ユーロ、負債総額は3億2700万ユーロとなった。[13]
選手獲得を優先し、選手登録の上限である25人をオーバーしたため、ハビエル・サビオラ、クラース・ヤン・フンテラール、アリエン・ロッベン、ヴェスレイ・スナイデルなど多くの選手を放出し、クラブの第4キャプテンを務めていたミチェル・サルガドとの契約も解除した[14]。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- プリメーラ・ディビシオン : 31回
- 1931-32, 1932-33, 1953-54, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1960-61, 1961-62, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1985-86, 1986-87, 1987-88, 1988-89, 1989-90, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08
- スペイン国王杯 : 17回
- 1904-05, 1905-06, 1906-07, 1907-08, 1916-17, 1933-34, 1935-36, 1945-46, 1946-47, 1961-62, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1979-80, 1981-82, 1988-89, 1992-93
- コパ・デ・ラ・リーガ : 1回
- 1984-85
- スペイン・スーパーカップ : 8回
- 1988, 1989, 1990, 1993, 1997, 2001, 2003, 2008
[編集] 国際タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ : 9回
- 1955-56, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1965-66, 1997-98, 1999-00, 2001-02
- UEFAカップ : 2回
- 1984-85, 1985-86
- UEFAスーパーカップ : 1回
- 2002
- トヨタカップ : 3回
- 1960, 1998, 2002
- ラテン・カップ : 2回
- 1955, 1957
[編集] 過去の成績
| リーグ戦 | カップ戦 | スーパーカップ | UEFA CUP | UEFA CL | チーム得点王[15] | 得点数 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1975-76 | 優勝 | ベスト16 | ベスト4 | サンティリャーナ | 18 | ||
| 1976-77 | 9位 | ベスト32 | ベスト16 | ピッリ | 14 | ||
| 1977-78 | 優勝 | ベスト16 | サンティリャーナ | 28 | |||
| 1978-79 | 優勝 | 準優勝 | ベスト16 | サンティリャーナ | 26 | ||
| 1979-80 | 優勝 | 優勝 | ベスト4 | サンティリャーナ | 29 | ||
| 1980-81 | 2位 | ベスト8 | 準優勝 | フアニート | 23 | ||
| 1981-82 | 3位 | 優勝 | ベスト8 | フアニート | 12 | ||
| 1982-83 | 2位 | 準優勝 | 準優勝 | サンティリャーナ | 29 | ||
| 1983-84 | 2位 | ベスト4 | フアニート | 21 | |||
| 1984-85 | 5位 | ベスト16 | 優勝 | ホルヘ・バルダーノ | 23 | ||
| 1985-86 | 優勝 | ベスト4 | 優勝 | ウーゴ・サンチェス | 29 | ||
| 1986-87 | 優勝 | ベスト4 | ベスト4 | ウーゴ・サンチェス | 43 | ||
| 1987-88 | 優勝 | ベスト4 | ベスト4 | ウーゴ・サンチェス | 35 | ||
| 1988-89 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | ベスト4 | ウーゴ・サンチェス | 35 | |
| 1989-90 | 優勝 | 準優勝 | ベスト16 | ウーゴ・サンチェス | 42 | ||
| 1990-91 | 3位 | ベスト16 | 優勝 | ベスト8 | エミリオ・ブトラゲーニョ | 25 | |
| 1991-92 | 2位 | 準優勝 | ベスト4 | フェルナンド・イエロ | 26 | ||
| 1992-93 | 2位 | 優勝 | ベスト8 | イバン・サモラーノ | 37 | ||
| 1993-94 | 4位 | ベスト8 | 優勝 | イバン・サモラーノ | 17 | ||
| 1994-95 | 優勝 | ベスト16 | ベスト16 | イバン・サモラーノ | 31 | ||
| 1995-96 | 6位 | ベスト16 | 準優勝 | ベスト8 | ラウル・ゴンサレス | 26 | |
| 1996-97 | 優勝 | ベスト16 | ダヴォール・シューケル | 29 | |||
| 1997-98 | 4位 | ベスト16 | 優勝 | 優勝 | フェルナンド・モリエンテス | 16 | |
| 1998-99 | 2位 | ベスト4 | ベスト8 | ラウル・ゴンサレス | 29 | ||
| 1999-00 | 5位 | ベスト8 | 優勝 | ラウル・ゴンサレス | 29 | ||
| 2000-01 | 優勝 | ベスト64 | ベスト4 | ラウル・ゴンサレス | 32 | ||
| 2001-02 | 3位 | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | ラウル・ゴンサレス | 29 | |
| 2002-03 | 優勝 | ベスト8 | ベスト4 | ロナウド | 30 | ||
| 2003-04 | 4位 | 準優勝 | 優勝 | ベスト8 | ロナウド | 31 | |
| 2004-05 | 2位 | ベスト16 | ベスト16 | ロナウド | 24 | ||
| 2005-06 | 2位 | ベスト4 | ベスト16 | ロナウド | 15 | ||
| 2006-07 | 優勝 | ベスト16 | ベスト16 | ルート・ファン・ニステルローイ | 33 | ||
| 2007-08 | 優勝 | ベスト16 | 準優勝 | ベスト16 | ラウル・ゴンサレス | 23 | |
| 2008-09 | 2位 | ベスト32 | 優勝 | ベスト16 | ラウル・ゴンサレス ゴンサロ・イグアイン |
24 | |
| 2009-10 |
[編集] 2009-10シーズン登録選手
- 2009年8月29日 デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦メンバー
|
|
- 監督
[編集] レンタル移籍中の選手
- OUT
| Pos. | 選手名 | レンタル先 | 期間 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| DF | コルドバCF | 2009- | ||
| MF | ヘタフェCF | 2007- | 買戻しオプションあり | |
| FW | CDカステリョン | 2009- |
[編集] Bチーム登録選手
| No. | Pos. | 選手名 |
|---|---|---|
| 25 | GK | |
| 32 | DF | |
| 36 | DF | |
| 27 | FW |
[編集] 2009-10シーズン移籍選手
| Pos. | 選手名 | 移籍先 | |
|---|---|---|---|
| DF | 契約解除 | ブラックバーン | |
| DF | 契約満了 | ユヴェントス | |
| FW | 完全移籍 | ベンフィカ | |
| MF | 完全移籍 | インテル | |
| MF | 完全移籍 | バイエルン・ミュンヘン | |
| GK | 完全移籍 | ヘタフェ | |
| DF | 完全移籍 | マルセイユ | |
| MF | 完全移籍 | ヘタフェ | |
| MF | レンタル終了 | ウェストハム | |
| MF | 心臓疾患の疑いがあるため登録見送り[16] | ||
| FW | 完全移籍 | ACミラン | |
| DF | 完全移籍 | ヘタフェ | |
| MF | 完全移籍 | ベンフィカ | |
| FW | 完全移籍 | セビージャ | |
詳細は「en:List of Spanish football transfers summer 2009」を参照
[編集] 歴代監督
| 氏名 | 国籍 | 期間 |
|---|---|---|
| アーサー・ジョンソン | 1910-1920 | |
| フアン・デ・カルセル | 1920-1926 | |
| ペドロ・ジョレンテ | 1926 | |
| ホセ・ベラオンド | 1927-1929 | |
| ホセ・キランテ | 1929-1930 | |
| Lippo Hertza | 1930-1932 | |
| ペドロ・ジョレンテ | 1932 | |
| Robert Firsth | 1932-1933 | |
| パコ・ブル | 1934-1941 | |
| フアニート・アルメ | 1941-1943 | |
| ラモン・エンシナス | 1943-1945 | |
| パブロ・エルナンデス・コロナド | 1945 | |
| ジャシント・キンコセス | 1945-1946 | |
| バルタサール・アルベニス | 1946-1948 | |
| マイケル・A・キーピング | 1948-1950 | |
| エクトル・スカローネ | 1951-1952 | |
| イピーニャ | 1952-1953 | |
| エンリケ・フェルナンデス | 1953-1955 | |
| ペペ・ビジャロンガ | 1955-1957 | |
| ルイス・カルニグリア | 1957-1959 | |
| マヌエル・フレイタス | 1959-1960 | |
| ミゲル・ムニョス | 1960-1973 | |
| ルイス・モロウニー | 1974 | |
| ミラン・ミリャニッチ | 1974-1977 | |
| ルイス・モロウニー | 1977-1979 | |
| ヴヤディン・ボシュコフ | 1979-1982 | |
| ルイス・モロウニー | 1982 | |
| アルフレッド・ディ・ステファノ | 1982-1983 | |
| アマンシオ・アマロ | 1983-1984 | |
| ルイス・モロウニー | 1985-1986 | |
| レオ・ベーンハッカー | 1986-1989 | |
| ジョン・トシャック | 1989-1990 | |
| アルフレッド・ディ・ステファノ | 1990-1991 | |
| ラドミール・アンティッチ | 1991 | |
| レオ・ベーンハッカー | 1992 | |
| ベニト・フローロ | 1992-1993 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 1993-1994 | |
| ホルヘ・バルダーノ | 1994-1995 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 1995-1996 | |
| アルセニオ | 1996 | |
| ファビオ・カペッロ | 1996-1997 | |
| ユップ・ハインケス | 1997-1998 | |
| ホセ・アントニオ・カマーチョ | 1998 | |
| フース・ヒディンク | 1998-1999 | |
| ジョン・トシャック | 1999 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 1999-2003 | |
| カルロス・ケイロス | 2003-2004 | |
| ホセ・アントニオ・カマーチョ | 2004 | |
| マリアーノ・ガルシア・レモン | 2004 | |
| ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ | 2004-2005 | |
| フアン・ラモン・ロペス・カロ | 2005-2006.5 | |
| ファビオ・カペッロ | 2006.5-2007.6 | |
| ベルント・シュスター | 2007.6-2008.12 | |
| ファンデ・ラモス | 2008.12-2009.6 | |
| マヌエル・ペジェグリーニ | 2009.6- |
[編集] 歴代所属選手
詳細は「Category:レアル・マドリードの選手」を参照
[編集] GK
リカルド・サモラ 1930 - 1936
フアン・アロンソ 1949 - 1961
フリオ・イグレシアス 195? - 1963
ロヘリオ・ドミンゲス 1958 - 1961
ホセ・ビセンテ・トライン 1960 - 1964
アントニオ・ベタンコルト 1961 - 1962, 1963 - 1971
ミゲル・アンヘル・ゴンサレス 1968 - 1985
マリアノ・ガルシア・レモン 1971 - 1984
アグスティン・ロドリゲス 1980 - 1990
ホセ・マヌエル・オチョトレーナ 1981 - 1988
フランシスコ・ブーヨ 1986 - 1997
サンティアゴ・カニサレス 1994 - 1998
ボド・イルクナー 1996 - 2001
セサル・サンチェス・ドミンゲス 2000 - 2005
ディエゴ・ロペス 2004 - 2007
ジョルディ・コディーナ 2007 - 2009
[編集] DF
シリアコ 1931 - 1936
ジャシント・キンコセス 1931 - 1942
ホセ・サンタマリア 1957 - 1964
パチン 1959 - 1968
イグナシオ・ソコ 1962 - 1974
マヌエル・サンチス・マルティネス 1964 - 1971
グレゴリオ・ベニト 1968 - 1982
ホセ・アントニオ・カマーチョ 1973 - 1989
ウルリッヒ・シュティーリケ 1977 - 1985
チェンド 1982 - 1998
マヌエル・サンチス・オンティジュエロ 1983 - 2001
アントニオ・マセーダ 1985 - 1988
ラファエル・ゴルディージョ 1985 - 1992
オスカル・ルジェリ 1989 - 1990
フェルナンド・イエロ 1989 - 2003
リカルド・ローシャ 1991 - 1993
ミケル・ラサ 1992 - 1997
ラファエル・アルコルタ 1993 - 1997
キケ・サンチェス・フローレス 1994 - 1996
ガルシア・カルボ 1995 - 1997
カルロス・セクレタリオ 1996 - 1997
ロベルト・カルロス 1996 - 2007
フェルナンド・サンス 1997 - 1999
クリスティアン・パヌッチ 1997.1 - 1999
イバン・カンポ 1998 - 2002
イバン・エルゲラ 1999 - 2007
ミチェル・サルガド 2000 - 2009
フランシスコ・パボン 2001 - 2007
ラウール・ブラボ 2002 - 2003、2004 - 2007
アルバロ・メヒア 2003 - 2007
ワルテル・サムエル 2004 - 2005
ジョナサン・ウッドゲート 2004 - 2006
カルロス・ディオゴ 2005 - 2006
シシーニョ 2006 - 2007
ミゲル・トーレス 2006 - 2009
ファビオ・カンナヴァーロ 2006 - 2009
ガブリエル・エインセ 2007 - 2009
[編集] MF
ハイメ・ラスカノ 1928 - 1935
ジョゼップ・サミティエール 1932 - 1934
イピーニャ 1936 - 1949
ルイス・モロウニー 1946 - 1957
ミゲル・ムニョス 1948 - 1958
ジジ 1959 - 1960
ルシアン・ミュラー 1962 - 1965
ピッリ 1964 - 1979
ビセンテ・デル・ボスケ 1970 - 1984
ギュンター・ネッツァー 1973 - 1976
パウル・ブライトナー 1974 - 1977
リカルド・ガジェゴ 1980 - 1989
ミチェル 1981 - 1996
マルティン・バスケス 1983 - 1990, 1992 - 1995
ミゲル・パルデサ 1984 - 1987
ホルヘ・バルダーノ 1984 - 1987
ベルント・シュスター 1988 - 1990
ゲオルゲ・ハジ 1990 - 1992
ロベルト・プロシネツキ 1991 - 1994
ルイス・エンリケ 1991 - 1996
ホセ・アマビスカ 1994 - 1998
ミカエル・ラウドルップ 1994 - 1996
フェルナンド・レドンド 1994 - 2000
フレディ・リンコン 1995 - 1996
ゼ・ロベルト 1996 - 1998
クラレンス・セードルフ 1996 - 1999
サヴィオ 1997 - 2002
ロベルト・ヤルニ 1998 - 2000
クリスティアン・カランブー 1998 - 2000
ジェレミ・ヌジタップ 1999 - 2002
スティーブ・マクマナマン 1999 - 2003
クロード・マケレレ 2000 - 2003
フラビオ・コンセイソン 2000 - 2003
アルベルト・セラーデス 2000 - 2005
ルイス・フィーゴ 2000 - 2005
サンチャゴ・ソラーリ 2000 - 2005
ジネディーヌ・ジダン 2001 - 2006
オスカル・ミニャンブレス 2001 - 2004, 2005 - 2007
エステバン・カンビアッソ 2002 - 2004
デビッド・ベッカム 2003 - 2007
フアン・フランシスコ・トーレス 2004 - 2006
ハビ・ガルシア 2004, 2008 - 2009
ホセ・マヌエル・フラド 2005 - 2006
トーマス・グラヴェセン 2005 - 2006
パブロ・ガルシア 2005 - 2006
ジュリオ・バティスタ 2005 - 2006, 2007 - 2008
エメルソン 2006 - 2007
ハビエル・バルボア 2006 - 2008
ダニエル・パレホ 2006 - 2009
ヴェスレイ・スナイデル 2007 - 2009
[編集] FW
サンティアゴ・ベルナベウ 1912 - 1927
ルイス・レゲイロ 1931 - 1936
マヌエル・オリバレス 1931 - 1934
パイーニョ 1948 - 1953
アルフレッド・ディ・ステファノ 1953 - 1964
フランシスコ・ヘント 1953 - 1971
エクトル・リアル 1954 - 1961
レイモン・コパ 1956 - 1958
フェレンツ・プスカシュ 1958 - 1967
ルイス・デル・ソル 1960 - 1962
エヴァリスト・デ・マセド 1962 - 1964
アマンシオ・アマロ 1962 - 1976
ラモン・グロッソ 1964 - 1976
セバスティアン・フレイタス 1969 - 1972
サンティリャーナ 1971 - 1988
ファニート 1977 - 1987
エミリオ・ブトラゲーニョ 1983 - 1995
ウーゴ・サンチェス 1985 - 1992
アルフォンソ・ペレス 1990 - 1995
イバン・サモラーノ 1992 - 1996
ダヴォール・シューケル 1996 - 1999
プレドラグ・ミヤトヴィッチ 1996 - 1999
フェルナンド・モリエンテス 1997 - 2003, 2004
フェデリコ・マガジャネス 1998 - 1999
サミュエル・エトー 1998 - 2000
ニコラ・アネルカ 1999 - 2000
ハビエル・ポルティージョ 2001 - 2004
ロナウド 2002 - 2007
マイケル・オーウェン 2004 - 2005
ロベルト・ソルダード 2004 - 2008
ロビーニョ 2005 - 2008
ホセ・アントニオ・レジェス 2006 - 2007
アントニオ・カッサーノ 2006 - 2007
ハビエル・サビオラ 2007 - 2009
アリエン・ロッベン 2007 - 2009
クラース・ヤン・フンテラール 2009
[編集] ユニフォーム
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- チームカラーは白、紫
- 胸スポンサー:bwin
- イングランドの古豪リーズ・ユナイテッドのユニフォームも白であり、1960年代前半にドン・レヴィーが監督に就任したときに青と金のユニフォームから変更になった。これは、当時UEFAチャンピオンズカップ5連覇などを成し遂げたレアル・マドリードにあやかってチーム作りをしようとしたためだとも言われている[2]。
- 2009-10シーズンからは、日本語・中国語・アラビア語のレプリカユニフォームも一般販売されている[17]。
[編集] 脚注
- ^ "世界で最も裕福なクラブ". Real Madrid C.F. (2009年2月12日). 2009年10月9日 閲覧。
- ^ い ろ フィル・ボール 『バルサとレアル』 近藤隆文、NHK出版、2002年。ISBN 4-14-080673-7。
- ^ ただし、初期のスペイン国王杯は参加クラブが少なく、この年に参加したクラブはマドリードFCを含め3クラブのみだった。
- ^ い ろ は に "サッカー選手の高額移籍金ランキング". AFPBB News (2009年6月12日). 2009年10月9日 閲覧。
- ^ "ピーターマン「R・マドリーの3選手はピエロを演じた」". livedoor スポーツ (2005年9月27日). 2009年10月29日 閲覧。
- ^ "復活レアル・マドリーと“ゴキブリポーズ”の検証". スポーツナビ (2005年10月6日). 2009年10月29日 閲覧。
- ^ "一時代に別れを告げたマドリー". uefa.com (2006年2月28日). 2009年11月14日 閲覧。
- ^ "マドリー、カペッロ監督を解任". uefa.com (2007年6月28日). 2009年10月8日 閲覧。
- ^ "ラウルとカシージャス、生涯 R・マドリーでプレー". livedoor スポーツ (2008年2月5日). 2009年10月8日 閲覧。
- ^ "シュスター監督が解任、後任はラモス氏". uefa.com (2008年12月9日). 2009年10月9日 閲覧。
- ^ "カルデロン会長、ソシオ集会で不正発覚". livedoor スポーツ (2009年1月15日). 2009年10月8日 閲覧。
- ^ "レアル・マドリーにペレス会長復帰". livedoor スポーツ (2009年6月1日). 2009年10月9日 閲覧。
- ^ "【欧州サッカー】レアルの負債が441億円 ロナルド、カカらの獲得で". MSN産経ニュース (2009年10月9日). 2009年10月9日 閲覧。
- ^ "レアル・マドリー、サルガドの退団を発表". スポーツナビ (2009年8月5日). 2009年10月9日 閲覧。
- ^ そのシーズンに行った全ての試合を含む。
- ^ "デ・ラ・レー、来季も復帰はなし?". Goal.com (2009-07-01). 2009-11-14 閲覧。
- ^ "レアル・マドリー 新加入 カカの日本語、中国語などのユニフォーム発表". TimeWarp (2009年7月1日). 2009年10月6日 閲覧。
[編集] 関連項目
- レアル・マドリード・カスティージャ - レアル・マドリードのBチーム。
- フランシスコ・フランコ - スペインの独裁者。
- ミスタードーナツ - 2004年から2007年までの期間スポンサー契約を結んでおり、日本で流されたCMでレアル・マドリードの所属選手が出演していた。
[編集] 外部リンク
- Realmadrid.com - 公式サイト (スペイン語)(英語)(日本語)
- French Website Unofficial (フランス語)(スペイン語)
- Unofficial Polish Website (ポーランド語)(英語)
- Unofficial Spanish Website (スペイン語)
- Real Madrid YouTube オフィシャルチャンネル
| レアル・マドリード - 現所属メンバー |
|---|
|
1 カシージャス | 2 アルベロア | 3 ペペ | 4 S・ラモス | 5 ガゴ | 6 M・ディアッラ | 7 ラウール | 8 カカ | 9 C.ロナウド | 10 ラス | 11 ベンゼマ | 12 マルセロ | 13 ドゥデク | 14 グティ | 15 ドレンテ | 17 ファン・ニステルローイ | 18 アルビオル | 19 ガライ | 20 イグアイン | 21 メッツェルダー | 22 X・アロンソ | 23 ファン・デル・ファールト | 24 グラネロ | 25 アダン 監督: ペジェグリーニ |
|
ラ・リーガ プリメーラ・ディビシオン, 2009-10
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
欧州クラブ協会(ECA) 創立メンバー
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||
最終更新 2009年11月19日 (木) 22:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【レアル・マドリード】変更履歴


















































































