レイトン・ヒューイット
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| レイトン・ヒューイット | |
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レイトン・ヒューイット
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| 基本情報 | |
| ラテン文字名 | Lleyton Hewitt |
| フルネーム | Lleyton Glynn Hewitt |
| 国籍 | |
| 出身地 | 同・アデレード |
| 生年月日 | 1981年2月24日(28歳) |
| 身長 | 180cm |
| 体重 | 77kg |
| 利き手 | 右 |
| バックハンド | 両手打ち |
| ツアー経歴 | |
| デビュー年 | 1997年 |
| ツアー通算 | 28勝 |
| シングルス | 26勝 |
| ダブルス | 2勝 |
| 4大大会最高成績・シングルス | |
| 全豪 | 準優勝(2005) |
| 全仏 | ベスト8(2001・04) |
| 全英 | 優勝(2002) |
| 全米 | 優勝(2001) |
| 優勝回数 | 2(全英1・全米1) |
| 4大大会最高成績・ダブルス | |
| 全豪 | 3回戦(1998・2000) |
| 全仏 | 2回戦(2000) |
| 全英 | 3回戦(1999) |
| 全米 | 優勝(2000) |
| 優勝回数 | 1 |
| キャリア自己最高ランキング | |
| シングルス | 1位 |
| ダブルス | 18位 |
レイトン・ヒューイット(Lleyton Hewitt, 1981年2月24日 - )は、オーストラリア・アデレード出身の男子プロテニス選手。フルネームは Lleyton Glynn Hewitt (レイトン・グリン・ヒューイット)という。オーストラリアン・フットボールで鍛え上げた強靭な足腰を生かし、どんな球にも喰らいつく足の速いストローク・プレーヤーである。2001年と2002年の2年連続で、年間ランキング1位の座についた。
ヒューイットは非常に早熟な才能を持ち、1998年1月に16歳の若さでネクストジェネレーション・アデレード国際を制し、ATPツアー初優勝を果たしている。1999年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのオーストラリア代表選手に選ばれる。この年、18歳のヒューイットはマーク・フィリプーシスらとともにオーストラリアを13年ぶり27度目の優勝に導いた。2000年に19歳で世界ランキングトップ10入り。同年の全米オープン男子ダブルスでマックス・ミールヌイ(ベラルーシ)とペアを組んで優勝した。(2001年以後は、彼は4大大会のダブルスに出場していない。)
彼は4大大会男子シングルスで、2001年全米オープンと2002年ウィンブルドンで優勝している。しかし2003年ウィンブルドン選手権の1回戦、オープニング・マッチ(前年優勝者が初戦でセンター・コートの第1試合に出る慣例がある)でイボ・カルロビッチ(クロアチア)の時速 210km/h を超える高速サーブの前に敗れてしまい、同選手権の男子大会で1967年のマニュエル・サンタナ(スペイン)以来36年ぶりの屈辱をなめた。
2004年の全米オープン決勝で、ヒューイットはロジャー・フェデラーに 0-6, 6-7, 0-6(0-6 が第1・第3セットの2つあった)で完敗し、同大会で3年ぶりの優勝を逃す。2005年の全豪オープンでは地元選手としてパット・キャッシュ以来17年ぶりの決勝進出を果たしたが、ロシアのマラト・サフィンに 6-1, 3-6, 4-6, 4-6 で敗れて地元優勝を逃した。
2000年からベルギーの女子テニス選手、キム・クライシュテルスと交際する。同年のウィンブルドン選手権で2人のペアは混合ダブルスで準優勝した。それ以後はテニスのトーナメント中にお互いの試合を応援するようになり、2003年12月に婚約したが、2004年10月22日にクライシュテルスが彼女の公式ホームページで婚約解消を発表した。その後ヒューイットは、2005年7月21日にオーストラリア人女優のベック・カートライトと結婚した。
ヒューイットは決して体格に恵まれたほうではなく、強烈なパワーショットを持つわけでもない。そのハンディを補っているのが、メンタル面である。特に最後まで諦めない姿勢と、ここ一番での勝負強さには定評がある。しかし、無理が重なることも多いのか、最近は故障も多くなってきている。彼はデビスカップのオーストラリア代表選手として、シングルスの最多勝利記録保持者になった。
日本のジュニアの選手が大事なポイントを決めた時に叫ぶ「COME ON!」は、ヒューイットの影響だと言われている。彼は以前から、コートマナーの悪さでテニス関係者から非難されることが多かった。前述の言葉を相手のミスショットにも使ったり、最たる例は優勝した2001年全米オープンの2回戦で、黒人選手ジェームズ・ブレーク(アメリカ)に対する問題発言などのトラブルを起こしたこともある。
[編集] 4大大会優勝
| 年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
|---|---|---|---|
| 2001年 | 全米オープン | 7-6, 6-1, 6-1 | |
| 2002年 | ウィンブルドン | 6-1, 6-3, 6-2 |
[編集] 外部リンク
- レイトン・ヒューイット - ATPツアーのプロフィール(英語)
- デビスカップ成績表 (参考:オーストラリア・チームの歴史)
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| オープン化時代(1968以後) |
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| オープン化以後 | 1968 · 69 · ロッド・レーバー | 1970 · 71 · ジョン・ニューカム | 1972 · スタン・スミス | 1973 · ヤン・コデシュ | 1974 · ジミー・コナーズ | 1975 · アーサー・アッシュ | 1976-80 · ビョルン・ボルグ | 1981 · ジョン・マッケンロー | 1982 · ジミー・コナーズ | 1983 · 84 · ジョン・マッケンロー | 1985 · 86 · ボリス・ベッカー | 1987 · パット・キャッシュ | 1988 · ステファン・エドベリ | 1989 · ボリス・ベッカー | 1990 · ステファン・エドベリ | 1991 · ミヒャエル・シュティヒ | 1992 · アンドレ・アガシ | 1993-95 · ピート・サンプラス | 1996 · リカルド・クライチェク | 1997-2000 · ピート・サンプラス | 2001 · ゴラン・イワニセビッチ | 2002 · レイトン・ヒューイット | 2003-07 · ロジャー・フェデラー | 2008 · ラファエル・ナダル | 2009 · ロジャー・フェデラー | |
| オープン化時代(1968以後) |
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| オープン化以後 | 1968 · アーサー・アッシュ | 1969 · ロッド・レーバー | 1970 · ケン・ローズウォール | 1971 · スタン・スミス | 1972 · イリ・ナスターゼ | 1973 · ジョン・ニューカム | 1974 · ジミー・コナーズ | 1975 · マニュエル・オランテス | 1976 · ジミー・コナーズ | 1977 · ギレルモ・ビラス | 1978 · ジミー・コナーズ | 1979-81 · ジョン・マッケンロー | 1982・83 · ジミー・コナーズ | 1984 · ジョン・マッケンロー | 1985-87 · イワン・レンドル | 1988 · マッツ・ビランデル | 1989 · ボリス・ベッカー | 1990 · ピート・サンプラス | 1991・92 · ステファン・エドベリ | 1993 · ピート・サンプラス | 1994 · アンドレ・アガシ | 1995・96 · ピート・サンプラス | 1997・98 · パトリック・ラフター | 1999 · アンドレ・アガシ | 2000 · マラト・サフィン | 2001 · レイトン・ヒューイット | 2002 · ピート・サンプラス | 2003 · アンディ・ロディック | 2004-08 · ロジャー・フェデラー | 2009 · フアン・マルティン・デル・ポトロ |
最終更新 2009年9月21日 (月) 09:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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