レオン・ロッシュ
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ミシェル・ジュール・マリー・レオン・ロッシュ(Michel Jules Marie Léon Roches、1809年9月27日 - 1900年)は、幕末期の江戸幕府を支援したフランス駐日公使。
[編集] 生涯
フランスのグルノーブル出身。1828年、グルノーブル大学に入学するがわずか半年で退学し、アフリカのアルジェリアに派遣されるフランス軍の遠征軍に参加し、アルジェリア侵攻以来フランス軍に対する抵抗運動を行っていたアブド・アルカーディルに対して戦闘を停止するよう交渉した。その間にイスラム教に改宗し、メッカにも巡礼した。ロッシュはフランス軍とアル=カーディルの二重スパイを務めていたといわれている[1]。その後、父の命でフランスに呼び戻され、アラビア語の通訳官となる。ロッシュはそのため、アラビア語に堪能となり、アフリカ諸国で総領事を務めることとなった。特に1860年代初頭に領事を勤めたサドク・ベイ治下のフサイン朝チュニジアでは、同国で進んでいたオスマン帝国より早い憲法制定運動などのハイルディーン・パシャによる近代化=西欧化改革の助言者となった。
1864年、初代駐日公使であったドゥシェーヌ・ド・ベルクールの後任として横浜に来日した。ロッシュはアラビア語には堪能であったが、日本語には疎かったため、函館の宣教師・メルメ・カションを呼び出して公使館の通訳としている。その後は本国フランスとイギリスの対立関係から江戸幕府に接近し、積極的な軍制改革などにおいて幕府を支援した。65年横須賀製鉄所建設の請け負い、横浜仏語学校を設立を行った。66年経済使節団を来日させ借款・武器契約の売り込みを結び67年軍事顧問団を招聘し幕府に軍制改革を着手させた。徳川慶喜が将軍となると幕政改革の構想を建言し幕府中心の統一政権確立に努めた。一連の政策はイギリスの対日政策に対抗するものであった。67年パリ万国博覧会への日本の参加を全面的に支援した。
しかし、本国で自らの親幕府外交を支持した外相が罷免され、後任の外相が親薩摩藩・長州藩政策を採用したため、ロッシュは公使を罷免されて1868年に帰国した。彼の後任にはマキシミリアン・ウートレーが就任した。
1900年、91歳で没した。
[編集] 脚註
- ^ 宮治一雄『世界現代史17 アフリカ現代史V』山川出版社、2000年4月 p.53
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月27日 (金) 11:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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