レオン (ニカラグア)

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サン・ペドロ大聖堂(1905年頃)

レオン(León)は、中央アメリカの国ニカラグアの都市。スペイン植民地時代に認可された法的な正式名は「サンティアゴ・デ・ロス・カバジェロス・デ・レオン」 (Santiago de los Caballeros de León) だが、現在使われることは滅多にない。

レオン県の県庁所在地で、2005年時点の人口は約14万5000人である。チキト川 (Río Chiquito) 沿いにあり、首都マナグアの北西約50マイル、太平洋岸の北約11マイルに位置している。マナグアに比べて知名度の点で劣るが、1813年に設立された大学とともに、国の知的な中心地であり続け、また工業と商業の面でも重要な拠点となっている。

目次

[編集] 歴史

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レオン・ビエホ遺跡群
ニカラグア

英名 Ruins of León Viejo
仏名 Ruines de León Viejo
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(3), (4)
登録年 2000年
拡張年  
備考  
公式サイト ユネスコ本部(英語)
世界遺産テンプレートを使用しています
  

ニカラグアにレオン市が最初に建造されたのは1524年のことだった。この年にフランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバが現在の都市の20マイル東に建造したのである。旧レオンから2マイルしか離れていないモモトンボ (Momotombo) が1610年に噴火し、深刻な被害をもたらした。この後、住民たちは、更なる噴火によって人命や財産に再び甚大な被害が出るのを避けるため、現在の場所に町を移転させることを決めたのである。

新しい町はスブティアバ (Subtiava) と名付けられたアメリカ先住民の町になった。一方、放棄された旧レオン市街は1960年に発掘され、2000年にはユネスコ世界遺産に登録された。

現在のレオンに残る町並みは、スペイン・コロニアル様式の優れた例証である。そこには、1706年から1740年に建てられた聖母被昇天大聖堂も含まれる。この大聖堂には1746年から1779年にかけて、二本の塔が加えられた。

レオンの景観

ニカラグアが1839年に中米連邦から脱退したとき、レオンはニカラグアの首都になった。それから数年の間、自由党の牙城でリベラルなレオンと、保守党の牙城で保守主義のグラナダとの間で遷都を繰り返したが、1858年に二つの町の中間点だったマナグアを恒久的な首都とする妥協が成立した。

1950年には人口は31000人を数えた。1956年9月21日には、ニカラグア大統領アナスタシオ・ソモサ・ガルシアがこの町で撃たれ、致命傷を負った。

伝統・伝説博物館 (El museo de tradiciones y leyendas) は、1979年サンディニスタ革命までは悪名高い21番監獄 (XXI jail) として使われていた。町には、政治的な壁画なども見られる。

[編集] 世界遺産

既に見たように、17世紀に廃れてしまったレオンの旧市街の遺跡が「レオン・ビエホ遺跡群」の名で、ユネスコの世界遺産に登録されている(レオン・ビエホは、「旧レオン」の意)。廃れてしまったことで、かえって初期のスペイン・コロニアル様式を偲ばせる遺構が保存された。

[編集] 登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

[編集] 姉妹都市

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ
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最終更新 2009年11月6日 (金) 09:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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