レジェップ・タイイップ・エルドアン
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| レジェップ・タイイップ・エルドアン Recep Tayyip Erdoğan |
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| 任期: | 2003年3月14日 – |
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| 出生: | 1954年2月26日 イスタンブル県カスムパシャ |
| 政党: | 公正発展党 |
| 配偶: | エミネ・エルドアン |
レジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan, 1954年2月26日 -)は、トルコのカスムパシャ(Kasımpaşa)生まれの政治家で、首相。
目次 |
[編集] 経歴
1973年イマームハティップ高校(イスラーム系宗教学校)卒業後、マルマラ大学経済商業学部入学。在学中、国民救済党(MSP:Milli Selamet Partisi)にて政治活動を開始した。
1983年、「1980年9月12日」クーデター(トルコでは革命と表現するときもある)からの民政移管後、福祉党(RP:Refah Partisi)に入党、政治活動を再開する。
1994年3月27日にイスタンブル市長に当選。イスタンブル市長として活動中の1997年に政治集会でイスラーム教を賛美する詩を朗読したことがイスラーム原理主義を煽動したとして告発され1999年3月26日、国家治安法廷(現在は廃止)により、刑法第312条2項(国民間の宗教および人種差別扇動)の罪により4年半の実刑判決。憲法第76条により被選挙権を剥奪される。服役開始。1999年9月4日釈放。
2001年6月22日美徳党(FP:Fazilet Partisi)解党。その後2001年8月14日に結成した公正発展党(AKP:AK Parti:Adalet ve Kalıkma Partisi)において、被選挙権剥奪のまま党首に就任。2003年12月27日、トルコ大国民議会により憲法第76条が改正され(2003年12月13日憲法改正案をトルコ大国民議会が可決するが、2003年12月19日にセゼル大統領は改正案を差し戻し。2003年12月27日トルコ大国民会議が再可決、2003年12月31日セゼル大統領が国民投票に付託せずに承認。法的な改正日付は2003年12月27日)、被選挙権を回復。
2003年3月9日シイルト(Siirt)県補欠選挙で当選。それにともない、公正発展党副党首で首相のアブドゥラー・ギュルから首相職を譲り受け、2003年3月16日首相に就任(ギュルは外相として内閣に残った)。経済の好調を背景に高い支持率を得て、2007年の総選挙にも勝利して2期目に入った。
一方で姦通罪の復活法案(のち廃案)、大学など公の場での女性のスカーフ着用(トルコではイスラーム主義の表明とみなされる)を認める法案を提出するなど、イスラーム復古を思わせる行動もあり、都市部の知識階級やリベラル派、軍部などの世俗主義派には、エルドアンに対する根強い反感がある。2007年の大統領選挙の際はエルドアン自身が出馬を希望したが、世俗主義者の猛烈な反発に遭い大都市でのデモが頻発したため出馬を取りやめ、代わって擁立されたギュル外相・前首相が紆余曲折の末に大統領に選出された。
[編集] 人物・家族
2004年4月に来日している。エミネ夫人との間に二男二女。夫人は公の場での着用が禁止されているスカーフを常に着用しているため、外遊を除く国家行事の場には招待されていない。娘の一人はアメリカに留学中。サッカーを趣味としており、地元のフェネルバフチェSKの熱烈なファンでもある。
[編集] イスラエルとの確執
2009年1月29日に、ダボス会議の席上でガザ侵攻の正当性を25分の長きに渡って主張したイスラエルのシモン・ペレス大統領に対し、「人殺しをしているのはイスラエルだ」と激しく糾弾し、「(ダボス会議には)二度と来ない」と言い残し立ち去った。[1]エルドアンは帰国した際空港で出迎えた数千人の市民から喝采を浴びた。[2]
[編集] 脚注
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最終更新 2009年11月16日 (月) 18:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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