レパルス (巡洋戦艦)

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レパルス(1922年から1924年頃)
艦歴
起工 1915年1月25日
進水 1916年1月8日
就役 1916年8月18日
その後 1941年12月10日戦没
除籍 1941年12月10日
性能諸元
排水量 満載:38,200トン
全長 242.0m
全幅 31.3m
吃水 9.3m
機関 パブコック&ウィルコックス重油石炭混焼缶42基
ブラウン・カーチス直結タービン
2基2軸、112,000hp
最大速 28.3ノット
航続距離 9,400カイリ(15ノット時)
乗員 1,000名
兵装 38.1cm(42口径)連装砲3基
10.2cm(45口径)3連装砲5基+同単装砲4基
4cm(40口径)ポンポン砲3基
53.3cm水中魚雷発射管2基
装甲 舷側装甲:152mm
甲板装甲:76mm
主砲塔装甲: 279mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
バーベット部:-mm
司令塔:254mm

レパルス (HMS Repulse) はイギリス海軍巡洋戦艦レナウン級の2番艦。 1941年12月10日、マレー沖海戦日本海軍機の攻撃を受けて戦艦プリンス・オブ・ウェールズとともに撃沈された。

Repulseとは「撃退する」「反撃する」の意。

[編集] 艦歴

1914年計画リヴェンジ級(通称R型)戦艦「レナウン」の予算を流用して、船体をフェアフィールド・ゴーヴァン造船所に、機関をキャメル・レアード&バーケンヘッド造船所に12月29日に発注した。1915年1月25日に起工し、1916年1月8日には進水、同年の8月18日にレナウンよりも早く竣工した。

1916年9月、レパルスはグランド・フリートに加わり、第1巡洋戦艦戦隊の旗艦となった。1917年11月17日、第2次ヘリゴラント・バイト海戦に参加。ドイツ戦艦カイザー、カイゼリンと交戦した。翌月、レパルスは巡洋戦艦オーストラリアと衝突した。

1919年から1920年に第1次近代化改装がおこなわれ、防御装甲板を追加し、舷側装甲 152 mm に強化された。1934年から1936年に第2次近代化改装を実施されたが、外観までは変えずに小火器の更新に留められた。

1939年第二次世界大戦勃発時、レパルスは本国艦隊所属でドイツの仮装巡洋艦狩りに参加したが戦果は得られなかった。12月からカナダとイギリス間の輸送船団の護衛任務に従事した。ドイツの北欧侵攻が始まった際、レパルスは機雷敷設部隊の援護を行い、味方駆逐艦グロウワームがドイツ重巡洋艦アドミラル・ヒッパーに撃沈された際に捜索に参加したが、発見できなかった。また、ノルウェーの戦いが終盤になるとノルウェーから引き上げる部隊を輸送する船団の護衛中、アイスランド近海のドイツ艦隊捜索を命じられて捜索を行ったが、実際は派遣されておらず空振りに終わった。その後、輸送船団の護衛任務に戻った。

1941年1月には独巡洋戦艦シャルンホルストグナイゼナウの捜索にレナウンと共に従事した。

1941年5月に当初、本国艦隊所属のまま喜望峰周りでWS8B船団を護衛しながら中東へ向かう予定であったが、フッド轟沈の報を受けてビスマルク追撃戦に参加した。

1941年8月、レパルスは南アフリカケープタウンに配備された。その後インドに移され、10月28日にインド到着。さらに日本との戦争の可能性が高まってきたため極東へ配備された。1941年12月8日、太平洋戦争が開戦、レパルスは戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、駆逐艦4隻とシンガポールを出撃してマレー半島へ向かう日本軍の侵攻部隊を乗せた船団の攻撃へと向かった。

撃沈される前に撮られたレパルス

12月10日、部隊はサイゴンを基地とする日本軍機の攻撃を受けた。マレー沖海戦である。多数の魚雷、爆弾が命中したプリンス・オブ・ウェールズとレパルスは沈没した。それを祝い英国東洋艦隊潰滅という曲が作られた。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
ウィキソース
ウィキソース不沈艦の最期の原文があります。

最終更新 2009年9月7日 (月) 02:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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