レユニオン
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| 地域圏 | Réunion | ||||
| 県番号 | 974 | ||||
| 県庁所在地 | サン=ドニ | ||||
| 支庁 | サン=ブノワ、サン=ポール、サン=ピエール | ||||
| 面積 - 総計 - 水面積率 |
2,512 km² 0.4% |
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| 人口 - 総計 - 人口密度 |
827,000 (1.1.2008年 estimates) 287/km² |
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| 国際電話番号 | +262 (not required from metropolitan France or other overseas departments) | ||||
| ISO 3166-1 | RE / REU | ||||
| ccTLD | .re | ||||
レユニオン(Réunion)はフランス共和国の海外県ならびに海外地域圏(レジオン)である。マダガスカル島東方のインド洋上に位置する。面積2,512平方キロ、人口720,294人。コーヒーの原種の一つブルボン種の原産地とされる。県都はサン=ドニ。
目次 |
[編集] 歴史
- 1507年 ポルトガル人がこの無人島を「発見」。
- 1640年 フランス人が上陸してフランス領と宣言。
- 1642年 ルイ13世によってブルボン島(île Bourbon)と命名されたが、ブルボン王家を打倒したフランス革命によってラ・レユニオン(La Réunion)と改名された。その後、1806年に皇帝に媚を売った提督によって「ボナパルト」島、イギリス占領時(1814)に「ブルボン」島、1848年に「レユニオン」島と、呼称が何度も変わった。
- 1665年 フランス東インド会社はインドへの中継港として重視し、植民を開始。最初はコーヒ栽培(後に失敗)、そして砂糖栽培が重要産業となる。
- 1869年 スエズ運河が開通するとインド方面への中継港としての役割は減少した。
- 1946年 フランスの海外県となる。
- 1952年 3月15日から3月16日にかけて世界最多24時間降水量の1870mmを記録
- 2002年 ユーロ流通。時差の関係で、現地時間2002年1月1日午前0時少し過ぎに、県都サン=ドニのルネ=ポール・ヴィクトリア市長が、市庁舎前の式典会場に設えられた屋台でライチ1キログラムを0.76ユーロで買ったのが、現金による世界初のユーロ使用と(公式には)されている。しかし現地の噂では、それより数分前(2001年12月31日午後11時57分という説がある)に一人のクレオル人男性がATMから20ユーロ紙幣を1枚引き出すことに成功したと言われている。
- 2003年 海外レジオン設置に伴い、「レユニオン海外県ならびに海外レジオン」になる。
- レユニオン島の人の移動と経済関連年表
- 1498年 ヴァスコ・ダ・ガマ インド洋域に入る
- 1502年 ポルトラーノ海図にDina Margabim 或いはDiva Morgabimの名で登場。パーリ語dipa「島」とアラビア語「西の」の混成語。
- 1507年 ポルトガルのトリスタン・ダ・クーニャが接岸し、Santa-Appoloniaと命名。これは発見された2月9日が聖アポローニアの記念日であったため。
- 1513年 ポルトガルのインド植民地総督ペドロ・デ・マスカレニャスが「公式に」発見。彼の名はマスカレン(仏語ではマスカレーニュ)諸島(レユニオン、モーリシャス、ロドリゲス)に残っている。その後、オランダの提督、英国の海賊、ポルトガルのイエズス会宣教師などが相次いで接岸
- 1638年 インドに向かっていたSaint-Alexis号がルイ13世の名において占有を宣言
- 1640年 Saint-Alexis号艦長が「公式」に領有を宣言(Bourbonと命名)
- 1646年 マダガスカルの反乱分子12人がブルボン島に流刑
- 1654年 マダガスカルの反乱分子(フランス人8人、マダガスカル人6人)がブルボン島に流刑
- 1663年 フランス人2人が10人のマダガスカル人(男7人、女3人)と2年滞在
- 1665年 フランス人20人入植
- 1668年 サトウキビがマダガスカルよりもたらされる
- 1671年 人口76人:白人36人、マダガスカル人37人、混血の子供3人
- 1674年 人口130人:奴隷75人
- 1686年 最初の人口調査。総人口約300人:フランス人、ポルトガル系インド人、アフリカ、マダガスカル、オランダ10家族がフランス人夫婦より、12家族がフランス男性とインドーポルトガル女性、14家族がフランス男性とマダガスカル女性から
- 1689年 奴隷人口102人、自由民212人
- 1700年 人口700人、うち320人が黒人
- 1709年 奴隷人口384人、自由民492人
- 1711年 自生のコーヒーが発見される
- 1714年 奴隷人口534人、自由民623人
- 1718年 イエメンのモカからコーヒーがもたらされる。これがブルボン種の元となる。
- 1735年 奴隷人口6573人、自由民1716人
- 1749年 コーヒー苗が虫害によって荒らされ始める
- 1750年 奴隷人口11893人、自由民2834人
- 1763年 奴隷人口15419人、自由民4267人
- 1771年 ブルボン種から変異したコーヒー、ブルボン・ポワントゥの名が始めて記録に登場。以降、ヨーロッパで人気を博する。
- 1779年 奴隷人口30209人(うち白人6464人)、自由民6929人
- 1788年 人口45000人:奴隷33377人(うち白人8812人)、解放奴隷1029人
- 1789年 奴隷人口42588人、自由民9211人
- 1791年 ハイチ革命(サトウキビ経済の崩壊)
- 1793年 国民公会により島名レユニオン
- 1794年 国民公会奴隷制廃止宣言
- 1802年 ナポレオンにより奴隷制復活
- 1804年 奴隷人口50350人
- 1806年 翌年にかけて大型サイクロン来襲、コーヒー畑壊滅。島名ボナパルト
- 1810年 英国の統治下に入る。白人12725人、解放奴隷2840人、奴隷52141人
- 1814年 島名ブルボン
- 1815年 フランスに返還。最初の製糖工場(小屋)
- 1817年 最初の蒸気粉砕機導入。奴隷売買禁止令。非合法売買で1831年までに奴隷約45000人輸入
- 1820年 粉砕機数91。1820年-1825年の砂糖生産量は4500t以下。人口71703人:奴隷51213人、解放奴隷4710人、白人15780人
- 1821年 粉砕機数135。
- 1823年 粉砕器数168。サトウキビ耕作面積48000ha
- 1826年 人口87100人:奴隷60698人
- 1829年 インド人契約労働者が続く3年間で3000人移入
- 1830年 蒸気粉砕機数84。白人と白人系混血30000人、奴隷70000人
- 1832年 続く3年間で奴隷45000人輸入
- 1835年 奴隷人口70406人
- 1840年 奴隷人口66100人。製糖工場数140
- 1848年 奴隷人口62151人、12月奴隷制廃止。島名レユニオン
- 1849年 契約労働者数12032人(インド11309人、中国644人、アフリカ379人)
- 1850年 続く10年間でインド人労働者約60000人
- 1852年 外国人契約労働者16585人、解放奴隷15483人
- 1858年 製糖工場数127
- 1859年 契約労働者数64403人(アフリカとマダガスカル合わせて26784人)。アフリカ人移住禁止令
- 1860年 砂糖生産量73000t。サトウキビ耕作面積62000ha。製糖工場数121。サンルー市、コーヒー栽培を放棄
- 1865年 砂糖生産量48000tに激減。インド・アフリカ移民74500人。44000人の解放奴隷が契約労働に移行せず
- 1869年 スエズ運河開通
- 1870年 人口21万人。うち中国系1180人。
- 1881年 人口17万2000人。砂糖生産量2000t。
- 1882年 粉砕機数168。インド人移住禁止令。契約労働者数46426人
- 1885年 最後のインド人契約労働者移住(男22人、女12人)。人口16万3000人
- 1887年 モザンビークから2000人以上の契約労働者移住。
- 1889年 島で生まれた移民の子へのフランス国籍付与
- 1901年 中国人契約労働者受812人移住。人口173315人
- 1904年 製糖工場数36
- 1911年 人口173293人:インド人ムスリム584人、中国人844人(うち女33人)
- 1914年-1918年 砂糖生産量37000t
- 1927年 移民受け入れ再開。マダガスカルより3000人。
- 1931年 人口197933人、うちフランス国籍192566人
- 1940年 砂糖生産量110000t
- 1942年 コーヒーの輸出がこの年を最後に途絶える
- 1946年 海外県化
- 1956年 製糖工場数13
- 1988年 製糖工場数4
- 2001年 製糖工場数2
- 2007年 コーヒーの輸出再開。
[編集] 政治
フランス内地の県と同様に県会の議長が行政府の長となる。
[編集] 地方行政区分
[編集] 地理
- 主要記事:Geography of Réunion
レユニオン島はマダガスカル島から800Kmの東に位置している(東経55度30分、南緯21度)。面積2,512km²の大きな火山島で、島のほぼ中央にある、最高峰のピトン・デ・ネージュ山(死火山)は標高3069mもあり、島の南東部にも標高2631mのピトン・ドゥ・ラ・フルネーズ山(活火山)がある。そのためにレユニオンは火山学者のメッカとなっている。地震学者安芸敬一も現地の観測所で研究を行っていた。山岳地勢のため、住民の大半は海岸部で暮らしている。
[編集] 経済
- 主要記事:Economy of Réunion
主要作物はサトウキビで、他にはラム酒、キャッサバ、バニラなどである。観光産業も有望である。近年、1940年代に失われたといわれていたコーヒー、ブルボン・ポワントゥ種の野生化した苗木がUCC上島珈琲の川島良彰らにより発見され、フランス政府とレユニオン県庁の協力の下で2006年に再生に成功し、翌年以降少数栽培が行われている。アラビカ種由来で、他のコーヒー豆に比べて細くて小さく、硬いのが特徴。
[編集] 人口動勢
住民は黒人と白人の混血であるクレオールがほとんどで、64%を占め、印僑は28%を占める。残りは少数派のヨーロッパ人や華人などである。貧しいクレオールと、豊かなインド人及びヨーロッパ人との間で経済的格差などで対立しており、1991年には深刻な暴動が起きた。
言葉は公用語がフランス語だが、一般的にはフランス語を母体にしたレユニオン・クレオール語を話す。
宗教はカトリックが89%を占める。残りはイスラム教(ほとんどがインド・グジャラートからの移民)やヒンドゥー教などである。なお、サン=ドニ市のモスクは1905年に建てられた、フランスで最も古いモスクである。
[編集] 交通
サン=ドゥニ・ジロ空港:別名ローラン・ギャロス空港。ローラン・ギャロスはレユニオン出身の飛行家で、テニスの国際大会である全仏オープンにも彼の名が冠されている。
LRTの建設計画がある。鉄道線乗り入れの軽量軌道交通となる予定である。
- 参考:レユニオンのトラムトレイン公式サイト(フランス語)
[編集] 出身者
- ディディエ・アガテ - サッカー選手
- ミシェル・ウエルベック - 小説家
- アンブロワーズ・ヴォラール - 美術商
- ギョーム・オアロ - サッカー選手
- ダニエル・サングーマ - 陸上選手
- フロラン・シナマ=ポンゴル - サッカー選手
- シャルル・ルコント・ド・リール - 詩人
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- レユニオン地域圏政府公式サイト(フランス語)
- ブルボン・ポワントゥ公式サイト(UCC上島珈琲)
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最終更新 2009年12月5日 (土) 05:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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