レヴィー・クルピ

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レヴィー・クルピ
名前
愛称 レヴィー
ラテン文字 Lévir Culpi
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 1953年2月28日(56歳)
出身地 パラナ州クリチバ
選手情報
ポジション DF
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

レヴィー・クルピ(Lévir Culpi, 1953年2月28日 - )は、ブラジルパラナ州クリチバ出身のサッカー選手・指導者。現役時代のポジションはセンターバック[1]。また監督としての評価も高い。レヴィル・クルピとも表記される[2]

目次

[編集] プロフィール

選手引退後ブラジルの小クラブで指導者としての腕を磨く。それが認められブラジルリーグでも名門であるアトレチコ・ミネイロクルゼイロECなどの監督を歴任。若手監督だった当時は同年代のルイス・フェリペ・スコラーリヴァンデルレイ・ルシェンブルゴネルシーニョらと共に、ブラジルの将来を担う「ニュー・ジェネレーション」の指導者として期待されていた。

1997年にはセレッソ大阪の監督としてJリーグでも指揮を執り、セレッソ攻撃サッカーの基盤を築いた。

2001年にはFIFAワールドカップ予選で苦戦を強いられていたブラジル代表監督に、解任されたヴァンデルレイ・ルシェンブルゴの後任として名前が挙がり、本人も意欲を見せていた。しかし「2002年を見据えてベテランのロマーリオは招集しない」の発言が物議を醸し、ロマーリオとの関係も悪化。結局ブラジルサッカー協会はロマーリオを選び、クルピは目の前まで来ていた代表監督の座を逃してしまう(その後、就任したのはエメルソン・レオン)。

2005年シーズンはクルゼイロの監督を務めていたが、シーズン途中で解任される。しかし翌2006年にアトレチコ・ミネイロの監督に就任すると、2部で低迷していたチームを建て直し奇跡の逆転昇格へと導いた。

2007年5月都並敏史の解任を受け、10年ぶりにC大阪の監督に復帰。短期間で低迷していたチームの建て直しに成功し、一時期絶望視されていたJ1への昇格争いにも加わった。結局昇格はならなかったものの、香川真司小松塁森島康仁ら有望な若手の急成長を促し、レギュラーに定着させるなどその手腕を遺憾なく発揮した。

これらの功績から2008年シーズンも引き続きC大阪を指揮。前年の好成績からサンフレッチェ広島と並ぶ昇格候補筆頭として迎えたシーズンだったが、好調な攻撃陣の一方で守備が機能せず、怪我人が続出した事もあり連勝と連敗を繰り返す不安定な戦いに終始。結局4位に終わって昇格を逃した。守備戦術を構築できなかった彼に対する批判もあったものの、継続性を重視したセレッソのフロントの判断により2009年も続投が決定。

2009年シーズンはサンフレッチェ広島ミハイロ・ペトロヴィッチ監督を参考に、攻撃的ながらも現実に即したサッカーを展開し翌シーズンのJ1復帰を果たした。

[編集] エピソード

2009年からブラジルで日本料理レストラン「AZUKI」をオープン。J1復帰を逃した前年ホーム最終戦の挨拶で店のオープンと、サポーターが来店したら無料にする旨を発表して一部サポーターなどから顰蹙を買ったが、チームでは翌夏にホームゲームの夏休み動員キャンペーンとして、ブラジル往復航空券と「AZUKI」ディナー券のプレゼント企画を実施した。[1]

2009年にC大阪のJ1昇格が決定した後に、4日間のオフを貰い夫人と上海に行った時に、2度もスリ被害にあったという。幸い数千円程度の被害で済んだという。

[編集] 選手歴

[編集] 指導歴

[編集] 脚注

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  1. ^ "Levir Culpi (ex-zagueiro do Coritiba, Colorado, Santa Cruz e Botafogo)". Milton Neves.com.br (2008-9-29). 2009年1月17日 閲覧。
  2. ^ "ヒストリー". セレッソ大阪. 2009年1月17日 閲覧。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月19日 (木) 11:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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