ロッド・スチュワート

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ロッド・スチュワート
ロッド・スチュワート
ロッド・スチュワート
基本情報
出生名 Roderick David Stewart
出生 1945年1月10日(64歳)
イングランドの旗 イングランド
ロンドン
ジャンル ロック
ポップ
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
バンジョー
ギター
ハーモニカ
共同作業者 フェイセズ
ジェフ・ベック・グループ
公式サイト rodstewart.com
  

ロデリック・デーヴィッド・スチュワートRoderick David Stewart, 1945年1月10日 - )は、スコットランド家系のイギリスのミュージシャン。

日本では全英チャート1位を記録した「セイリング」が有名。また「サントリー・ウィスキー」(サントリー)や「ニッカウヰスキー」・「スバル・レガシィ」(富士重工業)のTVCMに出演したことがあり、「今夜きめよう」や「アイム・セクシー」などのヒットでも知られている。

ハスキーボイスの持ち主で、その独特のしゃがれた声は一度聞いたら忘れられない個性がある。 元サッカー選手でもあり、ライブでは客席にサッカーボールを蹴り込むパフォーマンスが定番となっている。

70年代後半以降は多分に作品がポップになり過ぎたとロックファンから批判を受けることも多く、「キリング・オブ・ジョージー」はビートルズ、「アイム・セクシー」はサッカーの応援歌などと、盗作疑惑が付いて回り、数多くの女性スキャンダルや派手な生活も相まって、軽薄なイメージが浸透してしまった感もあるが、彼のソウルフルな歌唱力と、ロック史上に残る偉大なボーカリストであることには疑う余地はない。


目次

[編集] 経歴

[編集] 下積み時代

ロッド・スチュワートは、ロバートとエルシー・スチュワート夫妻の5人の子供の末っ子だった。彼の両親はロンドン北部で新聞販売業を営み、一家は店の二階に住んでいた。ロッドがロンドンのハイゲートで誕生する数分前に、ドイツV2ロケットがちょうど通りの向かいの警察署へ命中した。

墓堀り人夫などの日雇い仕事を転々とした後、彼はサッカー選手として西ロンドンを本拠とするブレントフォードFCに参加したが、1960年代前半に、放浪の罪で追放されたスペインのフォーク歌手、ウィズ・ジョーンズのツアーに加わり音楽の経歴が始まった。イギリスに帰国すると、バーミンガムでジミー・パウエル・アンド・ザ・ファイブ・ディメンションズにヴォーカリスト、ブルースハープ奏者として加入した。バンドはパイ・レコードと契約した。彼はまた1964年の大ヒット、ミリー・スモールの「マイ・ボーイ・ローリーポップ」のレコーディングにも参加した。

1964年にロンドンに戻ると、ロング・ジョン・バルドリーの率いるフーチ・クーチー・メンに加入した。バンドはシングル「グッド・モーニング・リトル・スクールガール」を発表したがそれはチャート入りしなかった。フーチ・クーチー・メンはスチュワート、バルドリー、ジュリー・ドリスコル、ブライアン・オーガー、ミッキー・ウォーラー、リック・ブラウンというメンバーでバンド、スティームパケットに発展した。スティームパケットは1965年夏のローリング・ストーンズとウォーカー・ブラザーズのツアーをサポートし、アルバムを録音し数曲にヴォーカリスト及びコーラスとして参加するが、それはスチュワートが1970年代に成功するまで発表されなかった。スチュワートはモッド・ムーブメントの後に「ロッド・ザ・モッド」の愛称を得た。

スティームパケットは1966年前半に解散し、スチュワートはベリル・マースデンの率いるショットガン・エクスプレスに参加した。ショットガン・エクスプレスは後にフリートウッド・マックを結成したミック・フリートウッドピーター・グリーン、またピーター・バーデンス(元ゼム、後にキャメル)が参加していた。ショットガン・エクスプレスは解散直前に一枚のシングルを発表している。

[編集] ジェフ・ベック・グループ

ショットガン・エクスプレスの解散後、スチュワートはジェフ・ベックの率いるジェフ・ベック・グループに参加する。バンドは1968年に最初のアルバム『トゥルース』を発表、アルバムは英米でヒットし大規模なツアーが行われた。セカンドアルバム『ベック・オラ』もヒットしたが、バンドは1969年末に解散した。

ベックはロッドの参加でティム・ボガートカーマイン・アピスらと新バンドを結成しようとしたが、ロッドは参加せずのちにベック・ボガート・アンド・アピスとして活動することとなる。

[編集] フェイセズ

アメリカのバンド、カクタスがリードシンガーとしてスチュワートに加入を要請したが、彼はジェフ・ベック・グループのベーシスト、ロン・ウッドに誘われてスティーヴ・マリオットの脱退したスモール・フェイセスへ参加することを決定した。同バンドは二人の加入とともにバンド名をフェイセズに変更した[1]。スチュワートはまたソロアルバムの契約にサインし、ソロ歌手としてマーキュリー・レコードと、そしてフェイセズとしてワーナー・ブラザーズと2つのレコード会社と契約することとなる。1969年に最初のソロアルバム『ハンドバッグと外出着』を発表した。全英チャートで辛うじて139位を記録したものの、目立ったヒットにはならなかった。

フェイセズのデビュー・アルバム『ファースト・ステップ』[2]は1970年前半に発表され、そのスタイルはローリング・ストーンズに似通っていた。アルバムはアメリカよりイギリスでヒットし、バンドはライブでの評判が高まった。 2ndソロアルバム『ガソリン・アレイ』をギタリスト、マーティン・クイッテンドンと共に発表し、ソロ・ツアーを行った。その後、3rdソロアルバム『エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』及びシングルカットされた『マギー・メイ/リーズン・トゥ・ビリーヴ』が英米チャート共に同時1位という史上5度目となる快挙を成し遂げる。 (特に米チャートではシングル2位にカーペンターズ、アルバム2位にジョン・レノンがランクインしており、異常な事態であった) フェイセズとしても3枚目のアルバム『馬の耳に念仏』がヒットし、『ステイ・ウィズ・ミー』が代表曲として知られるが、ロッドのソロ活動が成功するうち、バンド内に亀裂が生じることとなる。 4thアルバム『ウー・ラ・ラ』ではインストゥルメンタルや、レコーディングに参加しない楽曲まであり、フェイセズも当時のレコード会社の方針でロッドのバック・バンドのような扱いになってしまう。 1975年にはロン・ウッドがローリング・ストーンズに参加することとなり、この年にバンドは解散した。

  1. ^ Ronnie Wood (2007) RONNIE, pp.78-84, St. Martin's Press.
  2. ^ 当初、アルバム名は『フェイセズ』だったのが、アルバムジャケットの写真でウッドが持っていた本のタイトル-「FIRST STEP」-になぞらえて『ファースト・ステップ』と呼ばれるようになり、再発ではそれが正式タイトルとされるようになった、という説がある。

[編集] ソロ時代

フェイセズ解散後、英国での莫大な税金を逃れる為(とされているが、真偽は不明)渡米して『アトランティック・クロッシング』(1975年)を制作。ジャケット写真ではまさに大西洋を一跨ぎしている。スティーヴ・クロッパージェシ・エド・デイヴィス等、有名なアメリカ人ミュージシャンが多数参加した作品で、ここから「セイリング」が大ヒット。『ナイト・オン・ザ・タウン』(1976年)からは「今夜きめよう」が全米で8週連続1位を記録する爆発的なヒットとなる。『明日へのキック・オフ』(1977年)から数年は、カーマイン・アピス(ドラム)を中心としたバック・バンドを従えて活動。『スーパースターはブロンドがお好き』(1978年)は、ディスコ・ミュージックの要素を取り入れた「アイム・セクシー」のヒットもあって、全米1位に輝く。ちなみにこの「アイム・セクシー」はブラジルのアーティスト、ジョルジ・ベンの「タジ・マハール」という曲の盗作である事をロッド本人が認めている。当初、ロッド側が似ているとして告訴したが、逆に提訴されロッド側が裁判で完全敗訴している。

1979年のソロ初の日本公演チケットは、ハガキによる抽選販売であった。会場の収容人数が合計8万人に対し、40万通を超える応募が殺到。まさに「スーパースター」待望の来日に日本中が興奮状態となった。

1980年代以降は一時の勢いを失い、アルバム制作やワールドツアーのペースがやや緩やかになるものの、精力的な活動を行う。また、旧友ジェフ・ベックの『フラッシュ』(1985年)にゲスト参加。ここで歌われた「ピープル・ゲット・レディ」(インプレッションズのカヴァー)は、その後もロッドの持ち歌となった。80年代も81年と84年の二度、日本公演を果たしている。

1989年、トム・ウェイツのカバー「ダウンタウン・トレイン」が世界的に大ヒット。「アイム・セクシー」以来11年ぶりに、全米・全英両方のチャートでトップ10入りしたシングルとなった。1992年には、再びトム・ウェイツのカバー「トム・トラバーツ・ブルース」を全英トップ10に送り込む。

1993年2月、フェイセズ時代の盟友ロン・ウッドと共にMTVアンプラグドに出演。その時の演奏は、同年にはライブ・アルバム『アンプラグド』としてリリースされた。

1994年、ブライアン・アダムススティングと共にレコーディングした映画『三銃士』の主題歌「オール・フォー・ラブ」が3週連続で全米1位を記録。MTV「アンプラグド」の成功もあり、本来ワールドツアーは終了していたものの、1994年には10年振りの日本公演を敢行。海外アーティストの来日公演でありながらオーケストラを全て日本人で固めるという異色の構成で、アンプラグドスタイルでのライブを行っている。

翌1995年にはフジテレビドラマ『沙粧妙子-最後の事件-』の主題歌に「レディ・ラック」が起用され、ロングヒットを記録。96年には再度、来日を果たす。

2000年には甲状腺癌が判明、9ヶ月間に渡って歌えなかったという衝撃が駆け巡ったが、アルバム「ヒューマン」のプロモーションに乗せてしまうほどで、周囲の不安を一掃した。本作は70年代から所属してきたワーナー・ブラザーズを離れ、アトランティック・レーベル移籍第一弾アルバムである。 コンスタントにシングル・ヒットを記録するものの、キャリア前期に多く見られた代表作を生むには至らず、特にアメリカでは長年、商業的に低迷していた。「ソングライティングには自信が無い」と周囲に漏らしていたという。

2002年、わずかアルバム一枚のみでアトランティック・レーベルを離れ、クライヴ・デイヴィスが設立したJ RECORDSに移籍。2002年~2005年にかけては、スタンダード・ナンバーをカヴァーした「ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック」シリーズ全4作が全米だけで830万枚の大ヒット。世界中で2000万枚以上のセールスを記録。Vol.3では、25年振りとなる全米1位を達成。グラミー賞の"最優秀トラディショナル・ポップ・アルバム"部門を受賞。通算14度目のノミネートで待望の初受賞となり劇的なカムバックを果たす。

当初このシリーズは三部作で完結と言われていたが、このVol.3の大ヒットもあり、結局現段階でVol.4まで発表されている。なお、ロッド自身がこれで完結とは宣言していない為(一度「完結」と宣言したものの撤回している)、将来的に続編を発表する可能性はある。4作目まで続いたことに従来のロックファン含め賛否両論が起きたのは事実だが、商業的にも成功し再評価され、ヴォーカリストとして復権を果たしたのは確かである。 その証明として、2006年にはロック回帰を宣言したカヴァーアルバム「グレイト・ロック・クラシックス」が再び全米1位を記録。待望のロック・アルバムとして、日本ではランキングこそ振るわなかったもののロングヒットとなった。

2007年7月12日、ロンドン・バッキンガム宮殿で大英帝国第3級勲位(CBE)が授与された。 ロッドの名が世間に浸透してから40年以上になるが、今なお現役であり続けるだけでなく、第一線で世界的に活躍を続けている点が高く評価された。

2008年、カヴァーシリーズの続編となるソウル・アルバムの制作が進行していたが、これまで二人三脚で歩んでいたクライヴ・デイヴィスがクリスマス・アルバムの制作を提案。これをロッド側が固辞し、ニューアルバムの制作が見送りとなった。その代わりとしてベストアルバム「SOME GUYS HAVE ALL THE LUCK」(邦題:スーパースター・ストーリー~ザ・ベスト・オブ・ロッド・スチュワート~)に切り替わったという経緯がある。

2009年3月、実に13年振りとなる来日公演が実現。4公演とこれまでで最も少ない公演数ではあったが、各地で盛り上がりを見せた。

2009年4月21日、ロサンゼルスで行われたジェフ・ベックのライブに飛び入りで登場し、「ピープル・ゲット・レディ」「迷信嫌い」を披露。大きな話題を呼んだ。

2009年秋、前年に見送りとなったソウル・アルバムの発表が確実となった。また、マーキュリー/ワーナー期の秘蔵音源が多数発掘され、それらはBOXセットとしてリリースされる予定となっている。

[編集] 私生活

「すらりとしたブロンド(の女性)が好き」と公言しているとおり、女性遍歴が華やかで、これまで四人の女性との間に七人の子供をもうけている。1980年代に俳優ジョージ・ハミルトンの元妻であるアラナ・ハミルトン、1990年代にレイチェル・ハンターと結婚したが、いずれも離婚し、現在はモデルのペニー・ランカスターを妻に持つ。

1970年代後半から80年代初めは『スーパースターはブロンドがお好き』が世界的にヒットした頃で、奇抜なメイクと斬新なファッションが話題を呼び、さらには数々のゴシップ記事が紙面を賑わしていた。異様なまでの注目を浴びていたことが分かるが、ロッド自身も「少し悔いが残る時期」と語っている。

背の高い美女が好きな彼は、彼女たちと並ぶとどうしても小さく見えてしまう。しかし、170センチどころか154センチしかないらしいとの噂には我慢ならないようだ。Femalefirst.co.ukによると、スチュワートは再度、身長について言及したという。「俺に対して、世間が理解していないことがいっぱいある。俺は絶対に、154センチじゃない。“ペニー・ランカスター(彼の長身の婚約者)と一緒にいるリトル・ロッド・スチュワート”って言われるのにはウンザリしてるんだ。ほんとにイライラする。俺は157センチ(5フィート2インチ)近くあるぜ」ただし、ランカスターの身長は180センチあるとも言われており、冗談半分に扱われている面もある。

趣味はサッカー観戦。セルティックFCの熱狂的サポーターであり、ライブでユニフォームを着ることもある。セルティックFCのロゴをかたどったオフィシャルグッズも制作されている。

[編集] ディスコグラフィー

詳細は「ロッド・スチュワートの作品」を参照

[編集] ジェフ・ベック・グループ

[編集] フェイセズ

  • 『ファースト・ステップ』 - First Step (1970)
  • 『ロングプレイヤー』 - Longplayer (1971)
  • 『馬の耳に念仏』 - A nod's as good as a wink to a blind horse (1971)
  • 『ウー・ラ・ラ』 - Ooh la la (1973)
  • 『ロッド・スチュワート & フェイセズ / ライヴ』 - Coast to Coast: Overture and Beginners (live) (1974)

[編集] ソロ作品

  • 『ハンドバッグと外出着』 - An old raincoat won't ever let you down (The Rod Stewart Album) (1970)
  • 『ガソリン・アレイ』 - Gasoline Alley (1970)
  • 『エブリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』 - Every picture tells a story (1971)マギー・メイ」収録
  • 『ネヴァー・ア・ダル・モーメント』 - Never a dull moment (1972)
  • 『スマイラー』 - Smiler (1974)
  • 『アトランティック・クロッシング』 - Atlantic Crossing (1975)
  • 『ナイト・オン・ザ・タウン』 - A night on the town (1976)
  • 『明日へのキック・オフ』 - Foot loose & Fancy free (1977)
  • 『スーパースターはブロンドがお好き』 - Blondes have more fun (1978)
  • 『パンドラの匣』 - Foolish behaviour (1980)
  • 『トゥナイト・アイム・ユアーズ』 - Tonight I'm yours (1981)
  • 『アブソリートリー・ライヴ』 - Absolutely live (1982)
  • 『ボディ・ウィッシーズ』 - Body wishes (1983)
  • 『カムフラージュ』 - Camouflage (1984)
  • 『ロッド・スチュワート』 - Every beat of my heart (1986)
  • 『アウト・オブ・オーダー』 - Out of order (1988)
  • 『ヴァガボンド・ハート』 - Vagabond heart (1991)
  • 『リード・ボーカリスト』 - Lead vocalist (1993)
  • 『アンプラグド』 - Unplugged... and seated (1993)

2009年、コレクターズ・エディションとしてDVD付き仕様版が初めて商品化された。

  • 『ユア・ザ・スター』 - A spanner in the works (1995)
  • 『ザ・ニュー・ボーイズ』 - When we Were the New Boys (1998)
  • 『ヒューマン』 - Human (2001)
  • 『ザ・グレート・アメリカン・ソングブック』 - Great American Songbook: It Had To Be You (2002)
  • 『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブックVol.2』 - Great American Songbook: Vol.2: As Time Goes By (2003)
  • 『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブックVol.3』 - Great American Songbook: Vol.3: Stardust (2004)
  • 『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブックVol.4』 - Great American Songbook: Vol.4: Thanks For The Memory (2005)
  • 『グレイト・ロック・クラシックス』 - Still The Same...great Rock Classics Of Our Time (2006)

[編集] 日本公演

3月5日 福岡スポーツセンター、7日,14日,15日,16日 日本武道館、10日 名古屋市国際展示場、11日,12日 フェスティバルホール
4月24日,25日 愛知県体育館、27日,28日,5月8日,11日,12日 日本武道館、5月1日,2日 フェスティバルホール、5日,6日 福岡スポーツセンター
11月28日,29日,12月5日 日本武道館、30日 名古屋市国際展示場、12月2日 福岡国際センター、3日 大阪城ホール、7日 仙台市体育館、8日 横浜文化体育館
4月22日,23日,24日 横浜アリーナ、26日,27日 大阪城ホール、29日 真駒内アイスアリーナ
1月12日 福岡国際センター、14日 大阪城ホール、17日 名古屋レインボーホール、18日,22日,23日 日本武道館、20日 月寒グリーンドーム
3月9日 大阪城ホール、3月11日・12日 日本武道館、3月14日 さいたまスーパーアリーナ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月18日 (水) 15:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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