ロリン・マゼール
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| ロリン・マゼール | |
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| 基本情報 | |
| 出生 | 1930年3月6日(79歳) |
| 学歴 | ピッツバーグ大学 |
| 出身地 | フランスパリ |
| ジャンル | クラシック音楽 |
| 職業 | 指揮者・作曲家 |
| 担当楽器 | 指揮 |
| 活動期間 | 1938年 - |
| レーベル | RCA |
| クラシック音楽 |
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| 作曲家 |
| ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
| 音楽史 |
| 古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
| 楽器 |
| 鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
| 一覧 |
| 作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
| 音楽理論/用語 |
| 音楽理論 - 演奏記号 |
| 演奏形態 |
| 器楽 - 声楽 宗教音楽 |
| イベント |
| 音楽祭 |
| メタ |
| ポータル - プロジェクト カテゴリ |
ロリン・マゼール(Lorin Maazel, 1930年3月6日 - )はフランス・パリ近郊、ヌイイ=シュル=セーヌ(Neuilly-sur-Seine)出身、アメリカ国籍の指揮者・ヴァイオリニスト・作曲家。ピッツバーグ大学卒業。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 早年期
ユダヤ系ロシア人の父とハンガリーとロシアのハーフである母の家庭に生まれる。生後ほどなくしてアメリカに一家で移住し、5歳の頃からヴァイオリンを7歳の頃から指揮の勉強を始めるが、天才振りを発揮したのは主に指揮の方面であった。8歳の時にニューヨーク・フィルハーモニックを指揮して指揮者デビューを飾り、以後9歳でレオポルド・ストコフスキーの招きでフィラデルフィア管弦楽団を指揮、11歳でアルトゥーロ・トスカニーニに認められNBC交響楽団の夏季のコンサートを指揮した。10代半ばまでには全米のほとんどのメジャー・オーケストラの指揮台に上がっている。
[編集] 青年期、そしてデビューへ
ピッツバーグ大学在学中はピッツバーグ交響楽団の一員として活躍する一方、弦楽四重奏団を結成したりもした。1952年、フルブライト奨学金の試験に合格したマゼールはイタリアに渡り、バロック音楽を研究する日々を送る事になる。その翌年カターニアでヨーロッパデビューを飾り、1960年にはバイロイト音楽祭に史上最年少でデビュー、フェルディナント・ライトナーと交代で「ローエングリン」を指揮した。1963年にはザルツブルク音楽祭にデビュー、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とのコンサートでは、ヴァイオリンを弾きながら指揮をする「弾き振り」で話題となった(モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番)。
1965年にはベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団(旧西ベルリン、現在はベルリン・ドイツ交響楽団)の音楽監督(どちらも早世したフェレンツ・フリッチャイの後任)に就任。1972年にはジョージ・セル死去後空席となっていたクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任した。1982年にはウィーン国立歌劇場の総監督に昇りつめ、またニューイヤーコンサートの指揮者を務めるなど(1986年まで。以後もたびたび出演)順調な指揮者人生を極めつつあった。
[編集] 挫折、そして復帰へ
しかし、その数々の権力を利用してオペラを年間50演目から30演目以下に縮小しウィーンの観光産業に打撃を与え、1984年にウィーンのポストをヨーロッパの歌劇場特有のゴタゴタ騒ぎで追われてからは、今までとは一転して少々苦難で挫折した指揮者人生を歩むこととなった [1]。 この時期の最大の挫折は、ヘルベルト・フォン・カラヤン辞任後の後任を探していたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督のポストを逃したことであった。マゼール自身ベルリンには馴染みがあり、「自分が間違いなく選ばれる」と思っていたこともあり、雰囲気的にも「新音楽監督はマゼール」というムードが広がっていたが、後任に選ばれたのはクラウディオ・アバドだった。マゼールは自分の常任祝賀パーティーまで用意してすでに数々の要人を招待済みだったので、そのキャンセルによる落ち込みようは凄まじく、すぐベルリンから逃げ去り、以後1999年までベルリン・フィルの出演要請に応えなかったほどであった。しばらくの間はバイエルン放送交響楽団と古巣のピッツバーグ交響楽団の音楽監督を務める傍らで、1994年からはニューイヤーコンサートに復帰。またヴァイオリニストとしてのCDのリリースや、作曲活動の開始など落選の傷を癒すかのごとく活動の場を広げた。音楽活動の一方で、環境問題への提言や国際連合諸機関に対するチャリティー・コンサートに取り組むなど慈善活動も活発に行うようになり、国際連合からは「国連友好大使」の称号を、またフランス、ドイツ、イタリアなどからは各国の最高級の勲章を授与されている。
[編集] ニューヨーク・フィル音楽監督就任
2002年に楽員の総意によりニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任。2008/09年のシーズンまで務める予定である。また2004年には団員が全員「団員」としてではなく「ソリスト」として契約しているアルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団(「トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団」「トスカニーニ交響楽団」と表記されることもある)の才能に以前から惚れ込んでいたこともあり、このオーケストラの音楽監督に就任し、同楽団の運営主体が2006年に財団法人に改組されると、改めて同楽団の音楽監督に就任。また、同年からバレンシアにあるソフィア王妃芸術館(よく似た名前のソフィア王妃芸術センターと混同してはいけない)の音楽監督も兼ねている。前者に関しては「このポストを生涯続ける」という声明を出しており、ニューヨーク・フィルでの任期切れのあとは、恐らくはこの2つの音楽監督がマゼールにとって生涯最後のポストになる可能性が大である。2005年5月3日には、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」に基づく自作のオペラ「1984年」がロンドンのロイヤルオペラで初演され、大喝采を浴びている。
2008年2月26日夜、北朝鮮の東平壌大劇場で米朝関係が良くない中でニューヨーク・フィルの平壌公演を指揮した。アメリカのオーケストラが同国で演奏するのはこれが初めてである。
[編集] 来日
日本には1963年のベルリン・ドイツ・オペラ初来日公演にカール・ベームらに同行し初来日(当時の表記は「ローリン・マーツェル」)。「トリスタンとイゾルデ」の日本初演を指揮した他、公演後に東京交響楽団や読売日本交響楽団や日本フィルハーモニー交響楽団に来演している。以後30回近く来日しており、音楽監督に就いたオーケストラとはすべて来日公演を行っている(ウィーン国立歌劇場のみ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)。他にはフィルハーモニア管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、さらには臨時編成のオーケストラ「スーパーワールドオーケストラ2001」などとも共演・来日公演を重ねている。
[編集] 主なポスト
- 1965年 - 1971年、ベルリン・ドイツ・オペラ音楽監督
- 1965年 - 1975年、ベルリン放送交響楽団(現・ベルリン・ドイツ交響楽団)音楽監督
- 1972年 - 1982年、クリーヴランド管弦楽団音楽監督
- 1982年 - 1984年、ウィーン国立歌劇場総監督
- 1988年 - 1996年、ピッツバーグ交響楽団音楽監督
- 1993年 - 2002年、バイエルン放送交響楽団音楽監督
- 2002年 - 2009年(予定)、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督
- 2004年 - 現在、アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督
- 2006年 - 現在、ソフィア王妃芸術館(バレンシア・コミュニティ・オーケストラ)音楽監督
[編集] 主な作品
- フルートと管弦楽のための音楽 Op.11(ジェームズ・ゴールウェイに献呈)
- ヴァイオリンと管弦楽のための音楽 Op.12
- チェロと管弦楽のための音楽(ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの委嘱)
- ヴェイパーズ&ケイパーズ/アイルランドの9つの詩
- 真珠、少女(A Pearl,A Girl)
- 交響的断章「フェアウェル」(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の委嘱作品)
- オペラ「1984年」(2幕)
[編集] 脚注
- ^ ウィーンのポストを追われた理由はそれだけではなく、マゼールは国際標準音高の440Hzになれていたが、ウィーン・フィルが445Hzを使用していて、マゼールは440Hzの音程感覚から逃れることができず、ついにそのことで言い争いが起こり、それが原因で辞めたという理由もある
[編集] 外部リンク
[編集] 参考文献
- 軍司泰則「マゼール&トスカニーニ響の意欲的活動」『ロリン・マゼール トスカニーニ交響楽団日本公演プログラム』ジャパン・アーツ、2007年。
| 先代: ハインリヒ・ホルライザー(首席指揮者) |
ベルリン・ドイツ・オペラ音楽総監督 1965–1971 |
次代: ゲルト・アルブレヒト(首席指揮者) |
| 先代: フェレンツ・フリッチャイ |
ベルリン放送交響楽団首席指揮者 1965–1975 |
次代: リッカルド・シャイー |
| 先代: ピエール・ブーレーズ (音楽顧問) |
クリーヴランド管弦楽団音楽監督 1972–1982 |
次代: クリストフ・フォン・ドホナーニ |
| 先代: ヘルベルト・フォン・カラヤン |
ウィーン国立歌劇場総監督 1982–1984 |
次代: クラウディオ・アバド(音楽監督) |
| 先代: アンドレ・プレヴィン |
ピッツバーグ交響楽団音楽顧問,音楽監督 1984–1996 |
次代: マリス・ヤンソンス |
| 先代: セルジュ・チェリビダッケ |
フランス国立管弦楽団首席客演指揮者,首席指揮者 1976–1991 |
次代: シャルル・デュトワ |
| 先代: コリン・デイヴィス |
バイエルン放送交響楽団首席指揮者 1993–2002 |
次代: マリス・ヤンソンス |
| 先代: クルト・マズア |
ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督 2002–2009(予定) |
次代: アラン・ギルバート(予定) |
| 先代: - |
アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督 2004– |
次代: |
最終更新 2008年12月22日 (月) 11:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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