ロンドン塔

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ロンドン塔
イギリス

ロンドン塔
ロンドン塔
英名 Tower of London
仏名 Tour de Londres
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(2) (4)
登録年 1988年
拡張年  
備考  
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図
ロンドン塔の位置
世界遺産テンプレートを使用しています
  

ロンドン塔Tower of London)はイギリス首都ロンドンを流れるテムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞である。正式には「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)と呼ばれるように現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。またその景観から「ホワイト・タワー」とも呼ばれる。世界最大級のカット・ダイヤモンドカリナン」はここで保管されている。

目次

[編集] 沿革

1066年イングランドを征服したウィリアム1世1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じ、本体は約20年で完成した。その後、リチャード1世が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世が完成した。

長い歴史の間に国王が居住する宮殿として1625年まで使われ、その間、14~19世紀にかけては、造幣所、天文台でもあり、1640年までは銀行、13世紀から1834年までは、王立動物園でもあった。なお、ロンドン塔に最後に居住した王はジェームズ1世とされる。

また、身分の高い政治犯を幽閉、処刑する監獄としても使用されたはじめたのは1282年のことで、やがて14世紀以降は、政敵や反逆者を処刑する処刑場となった。

最後にロンドン塔に収監されたのは、第二次世界大戦中の1941年5月に、ドイツとイギリスの単独和平を1人で画策し、アドルフ・ヒトラー総統の了解をとらずにドイツ空軍の戦闘機を自ら操縦しグラスゴーに飛来したものの、ヒトラー総統からもウィンストン・チャーチル首相からも無視され「捕虜」として逮捕された、ナチス党副総統でドイツの無任所大臣ルドルフ・ヘスである。

現在もイギリス王室が使用している宮殿であるが、ロンドン観光の目玉になるほど観光客も多く、内部にある建物の幾つかは、世界最大のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」など様々な歴史的展示物を陳列して、見学できるようになっている。1988年にはユネスコ世界文化遺産にも登録されている。すぐ近くには、世界的にも有名な跳ね橋であるタワーブリッジがある。

観光の場合は、3月~10月の日曜を除く日なら9時から18時まで、11月から翌2月までは9時から17時までで、日曜日は10時から入場可能で、入場料は大人15.00ポンド、学生12.00ポンド等となっている(2006年9月現在・最新の入場料は公式サイトで)


[編集] ロンドン塔のカラス

ロンドン塔には、世界最大級の大きさであるワタリガラスRaven)が一定数飼育されている。ワタリガラスは大型で雑食の鳥であるが、1666年に発生したロンドンの大火事で出た大量の焼死者の腐肉を餌に大いに増えたといわれている。当然、ロンドン塔にも多数住み着いたが、チャールズ2世が駆除を考えていた所、占い師に「カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔を失った英国が滅びる」と予言され、それ以来、ロンドン塔では、一定数のワタリガラスを飼育する風習が始まったとされる。

またイギリス人に人気のあるアーサー王伝説において、アーサー王が魔法でワタリガラスに姿を変えられてしまったという伝説もあり、ワタリガラスを殺す事は、アーサー王への反逆行為とも言われ、古くから不吉な事が起こるとされている。

現在でも、ロンドン塔のカラスは「レイヴンマスター」と呼ばれる役職の王国衛士によって養われており、風きり羽を切られて逃げないようにされたものが、豚ガラを餌に半ば放し飼いで飼育されていたが、近年では鳥インフルエンザの罹患をおそれて、飼育舎を設置しての飼育に切り替えられた模様である。約25年の寿命を持つワタリガラスであるが、飼育数が一定数を割ると、野生のカラスを捕獲して補充していたが、最近では人工繁殖にも成功している模様である。なおワタリガラスは気性が荒いため、みだりに観光客がちょっかいを出すと襲われるケースもあるという警告がなされている。

[編集] ロンドン塔を構成する主な塔櫓・建物など

  • ホワイト・タワー:ロンドン塔の天守閣にあたる建物。
  • ミドル・タワー
  • ベル・タワー
  • トレイターズ・ゲイト(叛逆者の門)
  • セント・トーマス・タワー
  • ソルト・タワー
  • ブラッディー・タワー
  • クイーンズ・ハウス
  • ビーチャム・タワー
  • セント・ピーター・アド・ヴインキュラ礼拝堂
  • ウォータールー兵舎

[編集] ロンドン塔で処刑された人々

ロンドン塔とタワーブリッジ

ロンドン塔は監獄でもあったから、ここで処刑もしばしば行われた。以下はそのうち歴史に名を残す著名な人々のリストである。

1471年 ヘンリー6世
ランカスター朝最後の王。薔薇戦争ヨーク朝エドワード4世に捕らえられ、暗殺される。
1483年 エドワード5世ヨーク公リチャード
共にエドワード4世の王子。父の死後ロンドン塔に連れ込まれたまま行方不明となった。王位を簒奪したリチャード3世が殺害したとされる。1624年に二人の子供の骸骨が発見されている。
1535年 トマス・モア
ヘンリー8世に反抗してタワー・ヒルで処刑された。
1536年 アン・ブーリン
ヘンリー8世の2番目の王妃。姦通罪などにより城内のタワー・グリーンで処刑された。アンに着せられた姦通などの罪は濡れ衣であったとされ、ロンドン塔には今でもアン・ブーリンの亡霊が出ると噂される。
1540年 トマス・クロムウェル
ヘンリー8世を支えた宰相。クロムウェルの推挙により4番目の王妃としてイングランドへ輿入れしてきたアン・オブ・クレーヴズをヘンリーが気に入らず(半年で離縁)、クロムウェル自身も王の不興を買い失脚。反逆罪に問われ、タワー・ヒルで処刑された。
1542年 キャサリン・ハワード
ヘンリー8世の5番目の王妃。アン・ブーリンと同様に姦通罪に問われ、不貞の手引きをしたとされるロッチフォード子爵未亡人ジェーンと共にタワー・グリーンで処刑された。
1554年 ジェーン・グレイ
ヘンリー7世の曾孫。エドワード6世の死後、有力貴族の思惑でイングランド女王に擁立されたが、メアリー1世に敗れ9日間で廃位。タワー・グリーンで処刑された。なお夫ギルフォード・ダドリーも同日タワー・ヒルで処刑された。
1601年 エセックス伯ロバート・デヴルー

エリザベス1世の寵臣。反乱を企てたためタワー・グリーンで処刑された。

[編集] 世界遺産登録基準

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[編集] 関連作品

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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最終更新 2009年9月17日 (木) 22:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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