ローゼンバーグ事件
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ローゼンバーグ事件(ローゼンバーグじけん)は、ドイツ出身の核科学者のクラウス・フックスがスパイ容疑で逮捕されたのが発端となって1950年にアメリカで発覚した、ソビエト連邦によるスパイ事件。
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[編集] 概要
[編集] 逮捕
1950年、アメリカのユダヤ人夫妻ジュリアス・ローゼンバーグとエセル・グリーングラス・ローゼンバーグ(en)は、エセルの実弟で、第二次世界大戦中はロスアラモスの原爆工場に勤務していたソ連のスパイ・デイヴィッド・グリーングラス(en)から原爆製造などの機密情報を受け取り、それをソ連に売った容疑でFBIに逮捕された。
[編集] 死刑判決
逮捕当時、公式に「証拠」とされるものはグリーングラスの自白のみだった。ローゼンバーグ夫妻は裁判で無実を主張したが、1951年3月29日に死刑判決を受けた。夫妻に同情した支援者によって世界的な助命運動[1]が行われたほか、この判決を「不当なもの」とみなす西側諸国の左翼的[要出典]なマスコミを中心に、アメリカ政府を非難するプロパガンダ・キャンペーンが行われた。
[編集] 刑の執行
司法側からは「供述すれば死刑にはしない」との取引誘導もあったが、ローゼンバーグ夫妻は供述を拒否し続け、最終的に死刑が執行された。なお、司法長官室と刑務所間のホットラインが処刑執行まで繋がっており、この状況が刻々と報道されて全世界が注目し興奮に沸いたが、ローゼンバーグ夫妻は1953年6月19日夜、ニューヨーク州シンシン刑務所にて同じ電気椅子で1人ずつ処刑された。
[編集] 真実解明
冷戦が崩壊する1990年代前半までは、この事件は「マッカーシズムと反ユダヤ主義を背景にしたでっちあげである」として、ソ連や左翼的文化人やマスコミによって喧伝され、また「冷戦下のアメリカにおける人権蹂躙の象徴」としてこれらの人々によって取り上げられてきた。
しかし、1995年に行われた旧ソ連の暗号を解読する「ベノナ作戦」の機密解除により、ローゼンバーグ夫妻、特にジュリアスが実際にソ連のスパイで、数多くのアメリカの情報をソ連側に渡していたことが明らかになった。
しかしながら、45年以上に渡ってソ連とその影響下にあった左翼的な文化人、マスコミによってローゼンバーグ夫妻の無実と冤罪が喧伝され続け、その中で多くの情報のねつ造が行われてきたこと[要出典]から、今もローゼンバーグ夫妻の「無実」を信じ主張する者もいる。
[編集] 事件後
[編集] 真実
上記のように、長年の間多くの左翼的な研究者やマスコミの間では、この事件そのものが「でっち上げである」と喧伝され続けていた。しかし、冷戦崩壊後の1995年に「ベノナ作戦」についての機密が解除されたことにより、裁判では明らかにされなかった証拠も明らかになり、夫ジュリアスについては本当にソ連のスパイであったことが判明している[2]。
ただし、妻エセルについては名前の言及はあるものの他にはほとんど触れられておらず、明確にスパイ活動を行っているという記載はなく(夫の行為を知っていたらしいものの)スパイ行為そのものには関与していなかった可能性も残っている[3]。これに対して、エセルの弟のデイヴィッド・グリーングラスは、「自分の妻を庇うために法廷で偽証して、姉のエセルの罪を重くした」ことを2001年に告白した。また、この事件の担当検事のロイ・コーンは、「判事への法廷外での働きかけを駆使し、なかば強引に夫妻の死刑判決を勝ち取った」ことを、後に自伝で述べている。このように、妻エセルの有罪判決に対する疑問点が残る他、裁判自体には数多くの問題や誤りがあったものの、いずれにしても「ベノナ作戦」の機密解除によって、裁判から45年以上たった後に夫ジュリアスは潔白ではなかったことが証明された。
なお、グリーングラスを通してジュリアスがソ連に伝えた情報の質については、より中枢に近い立場にいたフックスと比較するとかなり劣ったものであり、他にも複数いたエージェントの中では際だったものではなかった。
また、当時アメリカを含む西側諸国において、グリーングラスやジュリアス、フックス以外にも多くのソ連や東側のスパイが活動しており、その中にはもっと重要な情報をつかんでいる者がいた可能性が高かったにも拘らず、ローゼンバーグ夫妻のみを「象徴」的なものとして断罪し、他のスパイをそのまま泳がせていた判断にはなお論議の余地があるとみる者もいる[4]。
[編集] フルシチョフ回顧録
当時のソ連の指導者だったニキータ・フルシチョフ首相が失脚後に書いた回想録の中には、ヨシフ・スターリンが、ローゼンバーグ夫妻の名前を挙げて「情報が役に立った」と述べていたという記述がある。
回想記は、息子のセルゲイ・フルシチョフによって西側に持ち出され、1971年にアメリカのタイム・ライフ社により出版されたが、ローゼンバーグ夫妻に言及した部分は、フルシチョフ本人の政治的配慮により回想記からは削除され、この部分が公開されたのは冷戦終結直前の1989年になってからである。
[編集] 一族のその後
- マイケル・ミアロポール
- 長男。経済学教授。娘(夫妻の孫)のアイヴィ・ミアロポールは映画監督。2004年、ローゼンバーグ事件を扱ったドキュメンタリー映画「Heir to an Execution」をサンダンス映画祭に出品し話題となった。
- ロバート・ミアロポール
- 次男。弁護士となる。のち、獄に繋がれた左翼活動家の子供たちのためにローゼンバーグ児童基金を設立。
[編集] 文献
夫妻が獄中から幼い2人の息子たちに送った書簡は『愛は死をこえて[5]』の題名で邦訳されベストセラーとなり、当時ソ連やそれを支援するもののプロパガンダとして機能することになった。なお、擁護する立場の評伝にレオン・クルチコフスキー『エセルとジュリアス ローゼンバーグ事件、最後の六時間』(中本信幸訳 未來社、1985年)。
[編集] 脚注
- ^ 助命嘆願者の中にアルベルト・アインシュタイン、ロバート・オッペンハイマー、ジャン=ポール・サルトルもいた
- ^ なおen:Venona_project#Julius_and_Ethel_Rosenbergによれば、ジュリアスがソ連に渡していた主な情報は、原爆に関するものではなく、近接信管やロッキードF-80 (戦闘機)、エマーソン社に関するものであったとされる。
- ^ Roberts, Sam. [First Time, Figure in Rosenberg Case Admits Spying for Soviets”]. “Sobell, who served nearly 19 years in Alcatraz and other federal prisons, admitted for the first time that he had been a Soviet spy.”
- ^ NSAのベノナ作戦のページにある年表には、ベノナで特定されたローゼンバーグ夫妻を含むKGBエージェントの名前が多数挙げられているが、その中で逮捕、処刑が確認されているのはこのローゼンバーグ夫妻のみである。ベノナ#年表参照。
- ^ 山田晃訳『愛は死をこえて―ローゼンバーグの手紙』光文社、1953年
[編集] 関連項目
- ジョルジュ・コワリ-ソ連の原爆スパイ
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最終更新 2009年11月4日 (水) 12:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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