ロータス・49

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ロータス49

ロータス・49とは、ロータスコーリン・チャップマンとモーリス・フィリップがデザインしたF1カーである。フォード・コスワース・DFVエンジンの開発と並行して設計され、1967年オランダGPジム・クラークのドライビングによりデビューウィンを遂げ、1970年まで使用されて12勝を挙げた(ジム・クラーク5勝、グラハム・ヒル4勝、ヨッヘン・リント2勝、ジョー・シフェール1勝)。排気量2.5リットルのコスワースDFWエンジンに積み替えてタスマンシリーズにも投入された。12台製作され、うち7台が現存する。

[編集] 概要

1967年はクラークによってデビュー戦など4勝を挙げたものの、まだDFVエンジンやZFギアボックスの信頼性が低く、クラークは3回リタイアしてチャンピオンを逃し、ヒルは2戦しか完走できなかった(リタイア6回)。初期の開発テストは、クラークが税金対策でパリに居住していたのでヒルに任された。このためデビュー戦のオランダGPでは、ヒルは自分用のマシンをすでに調整済みでポールポジションを獲得したが、クラークが自分用の「49」に接したのは予選の2日前でサスペンショントラブルに手間取り、予選では8位に甘んじた。しかし本番のレースでは、テスト走行に使われて走行距離の長かったヒル車が、初期DFVエンジンの抱えていた欠陥であるタイミングギア破損でリタイアし、走行距離の短かったクラーク車が優勝した。フランスGPでは、クラーク、ヒルともにギアボックス破損でリタイアしたが、イタリアGPでは、トップを走行中に右後輪のパンクで周回遅れとなったクラークが猛然と追い上げて再びトップに立つ走りを見せた(最終ラップでガス欠を起こし3位)。そしてアメリカGPでは、クラーク車、ヒル車ともにメカニカルトラブルを起こしながら、3位以下をすべて周回遅れにして初のワンツーフィニッシュを飾り、ポテンシャルの高さを見せつけた。

ジム・クラークが乗るロータス49(1967年アメリカGP)

1968年には問題の改善が進んで49が優位になるとみられ、開幕戦南アフリカGPでクラークとヒルは2度目のワンツーフィニッシュを飾った。だがクラークは4月にF2レースで事故死してしまった。しかしヒルは、クラーク亡き後、3勝を挙げ、2度目のチャンピオンを獲得した。同年のモナコGPからはウィングが取り付けられ、ホイールベースも75mm延長された。また、ギアボックスがトラブルの多かったZF製5速からヒューランド製5速に変更された。型式名も「49B」とされている。

グラハム・ヒルが乗るロータス49B(1969年ドイツGP)

ロータスでは、1969年の途中から、四輪駆動のロータス・63を投入する計画だったが失敗作だったため、クサビ型ボディーのロータス・72のサスペンション問題が解消される1970年のベルギーGPまで使用され、リントがモナコGPで「49C」に乗り優勝した。

ロータス49は、ロータスのワークス・チームだけでなく、プライベーターのロブ・ウォーカー・レーシング・チームにも売却され、シフェールが1勝を挙げている。

[編集] 参考文献

  • ジョン・ブランズデン(檜垣和夫訳)『DFV 奇跡のレーシング・エンジン』(二玄社、1988年)

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年5月28日 (木) 12:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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