ロールス・ロイス・シルヴァーゴースト

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1912年式ロールス・ロイス「シルヴァー・ゴースト」。ラジエーター上には著名なマスコット「スピリッツ・オブ・エクスタシー」が立っている。この時点でR/Rのロゴは赤字表記

ロールス・ロイス・シルヴァーゴーストRolls-Royce Silver Ghost )は1906年から1925年にかけてイギリスロールス・ロイスが製造・販売していた「40/50HP」型車の愛称。

目次

[編集] 概要

ロールス・ロイスの創業者のひとりヘンリー・ロイスが開発した初期ロールス・ロイスのうち、6,000 ccの6気筒形のエンジンは、2気筒そのままの太さのクランクシャフトが仇となり、強度不足のねじれ振動問題が露呈した。これを克服するため、ロイスは改良型の開発に着手し、結果、新たに完全新設計としたサイドバルブ7,036 ccの6気筒車「40/50HP」型が1906年に完成した。

この40/50HP車は、全体のメカニズムは1906年の時点でも決して最新鋭とは言えなかった。しかし材質と工作精度は極めて高い水準であり、特にシャーシ各部分の潤滑・バランスについて入念な配慮が為されていたことは特筆すべきである。

直列6気筒エンジンは強度が確保され、完全にバランスを取った状態で完成されていた。バルブ駆動系回りには消音対策を施し、クランクシャフトのメインベアリングは7ベアリング式(現代の直列6気筒同様)でトーショナル・ダンバーを装備していた。点火装置はマグネットとコイルの2系統式ツインスパークで確実を期した。キャブレターはロイスの設計になる2ステージ式で低速・高速のいずれにも対応し、かつ長期間にわたって調整不要であった。

シャーシはテーパーボルトを使って頑丈に組み立てられ、ほとんど緩みが起きなかった。後車軸とデファレンシャル・ケースは現代の大型トラックなみの重厚な作りで、多数の小さなボルトで厳重に固定されている。こうして過剰なまでの丈夫さが確保された。

また4段変速機のトップギアはオーバードライブギアで、高速巡航を考慮していた。もっとも変速作業自体を面倒がった当時のユーザーからは「段数が多過ぎる」「トップで粘らない」と不評で、1909年から3段式になり、オーバードライブは廃止された。当時は、トップギアにシフトしたまま、低速から高速までアクセル操作だけで運転できるのが良い高級車、とされていたのである。

40/50HPは当時としては極めて静粛な走りを実現し、しかも最高速度は時速65マイル(105km/h)以上に達した。

[編集] AX201「オリジナル・シルヴァー・ゴースト」

[編集] 2000マイル・スコティッシュ・トライアル

1907年、王立自動車クラブ(RAC)の主催で、スコットランドで「2000マイル・スコティッシュ・トライアル」が開催されることになった。そこでこれを機に、ロールス・ロイスではトライアル参加を兼ね、40/50HPの耐久テストを目論んだ。

テスト車となった40/50HP型は製造順12番目、シャーシナンバー60551、ナンバープレート「AX201」。クロード・ジョンソンの特注で銀色に仕上げられたバーカー社製オープンボディは1907年3月始めに架装され、極めて静粛なエンジン音とその姿から「シルヴァー・ゴースト 」(The Silver Ghost )と名付けられた。

1907年6月21日にロンドンを自走で出発したシルヴァー・ゴースト号は、24日から5日間に渡ってスコティッシュ・トライアルに参加、スチュアート・ロールズたちの運転で2,000マイル(約3,200 km)を走破して、速度や信頼性、燃費を総合評価され、金賞を獲得した。その間のトラブルは、走行中の振動で燃料コックが閉じてエンストしたという1回のみであった。

[編集] 連続耐久テスト

その後、7月1日からロールズ、クロード・ジョンソン、会社関係者のエリック・プラットフォードおよびレジナルド・マクレディらの交替運転で、RACの係員添乗のもと、公道での連続耐久テストが開始された。

テストはロンドン-グラスゴー往復を主なコースとして淡々と続いた。燃料補給等やむを得ない理由を除き、ノンストップである。当初は10,000マイル走破が目標だったが、シルヴァー・ゴースト号のコンディションが好調なことから、途中からRACの同意のうえ15,000マイルに目標を上げた。この間トラブルは皆無であった。

昼夜兼行で休みなく過酷な走行を強いられたシルヴァー・ゴースト号は、8月8日までに14,371マイル(≒23,137km)を走りきり、RACの手で分解点検を受けた。

その結果判明した部品の消耗は修理代わずか2ポンド14シリングとごく僅かで実用上全く問題はなく、オイル漏れも起きていなかったのである。1900年代初頭の自動車としては信じがたいほどの耐久性・信頼性であった。

この成功にちなみ、「シルヴァー・ゴースト」は40/50HP型全体の愛称として用いられることになった。オリジナルの「AX201」シルヴァー・ゴーストは、幾人かのオーナーの手を経て50万マイル(約80万km)以上を走破した末、1948年にロールス・ロイスに買い戻され、現在でも走行可能状態で保存されている。

[編集] その後のシルヴァー・ゴースト

シルヴァー・ゴーストは販売面でも好成績を挙げ、ロールス・ロイスは、生産モデルをシルヴァー・ゴースト一車種に絞り込んだ。イギリス国内のみならず、海外への輸出にも成功し、各国で好評を得た。当初「世界最高の6気筒車」のフレーズで売り出されたが、のちには「6気筒」を除いて「世界最高の自動車」The best car in the world )と銘打ち、その名に恥じない性能・耐久性を発揮した。

1910年、プロペラシャフトのトルクチューブ・ドライブ化(それまではオープンタイプ)、リアサスペンション(半楕円リーフから1/4カンチレバーリーフへ)と排気量の変更(7,428ccへ拡大)を受けている。

第一次世界大戦前にはしばしばレースにも出場して優れた成績を収めた。

1911年には圧縮比を上げ、デファレンシャルギアを高速型としたシルヴァーゴーストが、ロンドンエディンバラ間をトップギアに固定された状態で走破した。そのままブルックランズ・サーキットに向かい、こちらでは平均時速78.26マイル(126 km/h)で周回した。同クラスのライバルであった6.8Lネイピアが出した記録を上回るものであった。

1913年、スイス・アルプスで行われたアルパイン・トライアルでは、エンジンを70HP以上にチューニングした強化型のシルヴァーゴーストが1~3位までを独占する成功を収めた。変速機は再び4段式となっている(クロスレシオ。トップはオーバードライブでなく直結)。このモデルは「アルパイン・イーグル」の名で若干が市販された。

第一次世界大戦に際しては、イギリス軍の大型指揮官車として中型車のボクスホールDタイプ23/60hpと共に欧州・中近東の各地戦場を疾駆、また軽装甲車のベースとしても実績を収めた。

戦場で愛用した一人に、『アラビアのロレンス』ことT・E・ロレンス大尉がいる。彼は晩年、一番欲しいものは?との問いに対し「シルヴァー・ゴースト1台、それに一生分のタイヤを」と答えたという逸話がある。

第一次世界大戦後も、その極めて高価な価格にも関わらず、世界各国の王侯貴族や富豪は競って購入した。日本にも1922年、当時の大正天皇御料車として輸入され、昭和天皇も戦前までこれを用いていた(なお、1919年からセルフスターターを搭載した)。

この自動車史上初期における希代の名車は、1925年までの長きにわたり、合計6,173台が生産された。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月1日 (日) 13:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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