ヴェローナ

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ヴェローナ
(Verona)
ヴェローナの風景
ヴェローナ の紋章
イタリア
ヴェネト
ヴェローナ
測地系 北緯: 45°26′0″
東経: 10°59′0″
標高 海抜 59 m
面積 206.63 km²
人口 265.246 2008年 
人口密度 1282 人/km²
分離集落 Avesa, San Michele Extra, San Massimo all'Adige, Quinzano, Quinto di Valpantena, Poiano di Valpantena, Parona di Valpolicella, Montorio Veronese, Mizzole, Marchesino, Chievo, Cà di David e Moruri
隣接コムーネ ブッソレンゴブッタピエトラカステル・ダッツァーノグレッツァーナメッツァーネ・ディ・ソットネグラールペスカンティーナロヴェレー・ヴェロネーゼサン・ジョヴァンニ・ルパトートサン・マルティーノ・ブオン・アルベルゴサン・マウロ・ディ・サリーネサン・ピエトロ・イン・カリアーノソンマカンパーニャソーナトレニャーゴヴィッラフランカ・ディ・ヴェローナ
CAP(郵便番号) 37100 (都市部は37121 ~ 37139)
市外局番 045
ISTATコード 023091
IDコード L781
住民の呼称 ヴェロネージ (veronesi)
守護聖人 聖ゼーノ(San Zeno)-副守護聖人 San Pietro martire
祝祭日 5月21日(2004年から。以前は4月12日)
Comune
Posizione del comune nell'Italia
公式サイト

ヴェローナは人口27万人のイタリアの都市であり、ヴェネト州ヴェローナ県の県庁所在地である。 アディジェ川沿いにあり、ガルダ湖の約30km東に位置する。 ドイツミュンヘンおよびイスラエルベツレヘム姉妹都市協定を結んでいる。

中世の町並みがよく残っている。街の中心部には古代ローマ時代の円形競技場(アレーナ・ディ・ヴェローナ)があり街の象徴となっている。毎年夏にはアイーダなどの野外オペラが開催される。シェイクスピアの戯曲『ヴェローナの二紳士』『ロミオとジュリエット』の舞台としても知られる。2000年、市街は世界遺産(文化遺産)として登録された。

目次

[編集] 歴史

[編集] 古代

ヴェローナの歴史は先史時代に遡る。先史時代末期にはすでに集落が作られていた。ラエティー人、エトルリア人、、ガリア人、ローマ人と交流があったことが出土品からわかっている。紀元前3世紀には共和政ローマとの同盟関係に入った。ガリア人のローマへの進攻、カルタゴとのカンナエの戦いにおいてはともにローマの同盟都市としてローマ側で戦った。また紀元前1世紀のゲルマン人、テウクニー族やキンブリー族との戦いにも参加した。

紀元前1世紀には、ポンペイウス法によりローマ植民地の地位を与えられ、のち紀元前42年または41年にローマの領土に編入され、ローマ都市となった。市民の集会所であるフォルムや、円形競技場、円形劇場などが市の中心に建てられた。アディジェ川の渡河点であるヴェローナは、ローマと北方および東方属州への連絡点として、四つの街道が交わる交通の要衝にあり、たびたびローマの覇権を争う戦いの舞台となった。例としてウェスパシアヌスとウィテリウス (69年)、フィリップス・アラブスとデキウス (249年)、コンスタンティヌス1世とルリキウス (312年) がある。ヴェローナはガリエヌスによって築かれた城壁をもっており、ルリキウスはこれによって篭城したが、敗れた。キリスト教の公認後、ヴェローナはゆっくりとキリスト教に改宗していった。その一方でたびたびアリウス派、シルミウスのフォティノス、エルウィディウスなど主要な異端の影響を受けた。正統教義を維持したのはサン・ゼノの司教であった。5世紀にはヴェローナは東ローマ帝国のかわりに蛮族の支配者をもつことになった。

[編集] 中世初期

403年、西ゴート族の王アラリクスはダルマティアからポー平原へ出て、ヴェローナに立てこもった。これはスティリコにより撃退されたが、452年、フン族の王アッチラが50万の軍勢を率いて、破壊を行いながらヴェローナの近くまで来襲した。軍勢の移動は教皇レオ1世と皇帝の使節により説得されて止まった。これにはレオ1世の説得の言葉と多額の貢納金が功を奏したと考えられる。帝国が東西に分裂した後、476年、ゴート人のオドアケルに西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスは追放された。イタリア王を称したオドアケルはローマ式の統治を行い、社会は安定し、農業と経済に好影響を与えた。しかしオドアケルの統治は東ゴート族の王テオドリックによって終わった。オドアケルはヴェローナを要塞化し、ヴェローナでテオドリックと戦った。しかし敗れてラヴェンナへ敗走、のちに殺害された。

テオドリックはヴェローナに軍隊を集め、自らも好んで滞在した。このためヴェローナは事実上の都の様相を見せた。テオドリックはまたゲルマン人の来寇により破壊されたヴェローナの城壁を修復した。テオドリックが東ローマ帝国に敗れ、西ゴート王国が滅びるとヴェローナは東ローマ帝国の版図に入ったが、その時期は短く、6世紀半ばに終わった。568年、ランゴバルト族の王アルボイノはヴェローナ、ラヴェンナ、イタリアの他の都市に進攻した。ランゴバルト族は数年の間、街や教会を破壊し、掠奪や殺戮を行ったが、キリスト教に改宗して穏やかな態度を取るように変化した。774年、シャルルマーニュはヴェローナでランゴバルトの最後の王デジデリウスを破り、ランゴバルト王国を滅ぼした。のちにヴェローナに葬られる、シャルルマーニュの息子ピピンは、ヴェローナに発展の基盤をもたらすことになった。教会に寄進がなされ、記念のためにサンゼノ聖堂が建てられた。カロリング朝の没落はヴェローナの非イタリア人支配の時代の終わりの始まりを告げることになる。ヴェローナはバイエルン辺境伯、次いでケルンテン辺境伯(ケルンテンは現オーストリア西部)の領地になった。この時期、中世初期イタリアを代表する学者である司教ラテリウスが、たびたび領主代理と市の関係が悪化するたびに登場している。950年、ヴェローナ辺境伯領が設けられ、サンボニフィチオ家がはじめて史料に現れる。961年、ドイツとイタリアが一つの王冠のもとに結ばれると、ヴェローナは、サンゼノ修道院長のもと、ドイツ人の王が滞在する唯一のイタリア都市となった。イタリア統治のための議会や協定が数々ヴェローナで行われた。

[編集] 中世盛期からルネサンス

1136年、ヴェローナは都市特許状を得、コムーネとなった。封建時代のヴェローナは寡頭制を取り、幾つかの有力な貴族によって統治されていた。13世紀には、神聖ローマ皇帝フレドリック2世の協力を得て、パドヴァヴィチェンツァトレントを征服した。13世紀以降のローマ教皇と皇帝の争いでは、ヴェローナの支配者は概して皇帝派(ギベリン)についた。ヴェローナの支配者はスカリジェリ家(デッラ・スカラ家)、ヴィスコンティ家、パドヴァのカッラーラ家と変わっていき、ヴェローナの支配層の間には憎しみを帯びた熾烈な闘争があった。その模様はシェイクスピアの戯曲の中にも描かれている。パドヴァのカッラーラ家はヴェローナの同盟者のひとりであったが、1402年にヴィスコンティが死ぬと、ヴェローナの支配権を手中に納めた。しかし3年後にはカッラーラ家は滅び、ヴェローナとパドヴァの両方を失うことになった。おそらくはカッラーラ家とともに、ヴェローナを蔽った闘争の時代は終わったのであろう。

1405年にヴェローナはヴェネツィアの支配下に入った。ルネサンス期のヴェローナは商業また文化の中心として発展した。この世紀における人口には振幅が激しく、1511年に38,000人だった人口は1512年には25,000人に減少し、1526年には55,000人に上るが、1530年にはペストのため20,000人に減少している。数多くの学校が生まれ、ヨーロッパ規模の文化的な活動が展開された。ヴェネツィアの支配は、ヴェネツィア共和国の終焉まで続いた。

[編集] 近現代

ナポレオン・ボナパルトがイタリアに進攻し、ヴェネツィア共和国が滅びると、ヴェローナはフランスの支配下におかれることになった。 1797年よりオーストリア領となり、ウィーン体制下でもオーストリアの支配が続いた。1822年にはこの都市で五国同盟の会議が開催され、スペイン立憲革命に対する軍事介入が確認された。(イギリスは反対。)1866年イタリア王国領となった。

[編集] 施設と名物

中世の町並みにローマ遺跡が残り、円形劇場(アレーナ・ディ・ヴェローナ)で知られている。このアレーナでは毎年7月~9月にかけ野外オペラが上演される。

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の舞台であり、映画や舞台でおなじみのバルコニーは観光名所となっている。ここは「ジュリエッタの家」と呼ばれており、館内には当時の家具や日用品が展示されている。前庭にはジュリエッタの像もある。

他にはカステルヴェッキオ、スカラ家の廟、ジュリエッタの墓、ローマ劇場、考古学博物館など。

[編集] 姉妹都市

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
公式
観光
  • Arena di Verona - 野外オペラの案内 (イタリア語)(英語)
ヴェローナ県コムーネ
アッフィ , アルコレ , アルバレード・ダーディジェ , アンジャーリ , イーゾラ・デッラ・スカーラ , イーゾラ・リッツァ , イッラージ , ヴァレッジョ・スル・ミンチョ , ヴィガージオ , ヴィッラ・バルトロメーア , ヴィッラフランカ・ディ・ヴェローナ , ヴェーロ・ヴェロネーゼ , ヴェステナノーヴァ , ヴェローナ , ヴェロネッラ , エルベ , エルベッツォ , オッペアーノ , カヴァイオーン・ヴェロネーゼ , カザレオーネ , カスタニャーロ , カステル・ダッツァーノ , カステルヌオーヴォ・デル・ガルダ , カッツァーノ・ディ・トラミーニャ , ガッツォ・ヴェロネーゼ , カプリーノ・ヴェロネーゼ , ガルダ , カルディエーロ , グレッツァーナ , コステルマーノ , コローニャ・ヴェーネタ , コロニョーラ・アイ・コッリ , コンカマリーゼ , サリッツォーレ , サン・ジョヴァンニ・イラリオーネ , サン・ジョヴァンニ・ルパトート , サン・ゼーノ・ディ・モンターニャ , サン・ピエトロ・イン・カリアーノ , サン・ピエトロ・ディ・モルービオ , サン・ボニファーチョ , サン・マウロ・ディ・サリーネ , サン・マルティーノ・ブオン・アルベルゴ , サングイネット , サンタンナ・ダルファエード , サンタンブロージョ・ディ・ヴァルポリチェッラ , ジメッラ , ゼーヴィオ , セルヴァ・ディ・プローニョ , ソアーヴェ , ソーナ , ソルガ , ソンマカンパーニャ , チェッロ・ヴェロネーゼ , チェレーア , テッラッツォ , トッリ・デル・ベーナコ , ドルチェー , トレヴェンツオーロ , トレニャーゴ , ネグラール , ノガーラ , ノガローレ・ロッカ , パストレンゴ , バディーア・カラヴェーナ , パルー , バルドリーノ , フェッラーラ・ディ・モンテ・バルド , ブッソレンゴ , ブッタピエトラ , フマーネ , プレッサーナ , ブレンゾーネ , ブレンティーノ・ベッルーノ , ベヴィラックア , ペスカンティーナ , ペスキエーラ・デル・ガルダ , ベルフィオーレ , ポヴェリアーノ・ヴェロネーゼ , ボヴォローネ , ボスキ・サンタンナ , ボスコ・キエザヌオーヴァ , ボナヴィーゴ , マラーノ・ディ・ヴァルポリチェッラ , マルチェージネ , ミネルベ , メッツァーネ・ディ・ソット , モッツェカーネ , モンテッキーア・ディ・クロザーラ , モンテフォルテ・ダルポーネ , ラヴァーニョ , ラツィーゼ , リーヴォリ・ヴェロネーゼ , レニャーゴ , ロヴェルキアーラ , ロヴェレー・ヴェロネーゼ , ロヴェレード・ディ・グア , ロンカー , ロンコ・アッラーディジェ

最終更新 2009年8月8日 (土) 13:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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