一ツ橋

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一ツ橋(ひとつばし)とは、東京都千代田区の地名である。丁目別に麹町地域と神田地域に分かれている。

郵便番号 100-0003(1丁目)・101-0003(2丁目)

目次

[編集] 概要

「一ツ橋」の地名は中心部よりやや南を南東から北西へ縦断する日本橋川に架かる一ツ橋(一橋)に由来している。

江戸城の北に位置していて、西は清水濠、南は平川濠・大手濠に接している。平川橋も架かっている。

小学館及びその関連会社(集英社など)の本社が集中していることから、出版業界ではそれら企業群のことを俗に「一ツ橋グループ」と呼ぶ。特にライバル・講談社グループのことを「音羽グループ」と呼ぶのに対比させて使用する場合が多い。

[編集] 歴史

「一ツ橋」の由来

一ツ橋付近はもともと日本橋川と小石川(現在の白山通り)の合流地点であり、合流点をあらわす「ひとつ」がこの地点に架かる橋の名称、さらにこの付近の地名になった。町名の由来となった一ツ橋は後述の一橋御門の築造以前から存在していたと考えられている。

江戸時代

江戸時代初期の1606年慶長11年)以降、この橋の前に江戸城の外郭門が築造され、「一橋御門」と命名された。8代将軍徳川吉宗は、子の宗尹に一橋門内(現在の丸紅本社 - 一橋会館の一画)に屋敷を与えて一橋家を創設、のち御三卿の一つに数えられた(地名が「一ツ橋」と表記されるのに対し、御三卿の家名は一般に「一橋」と表記される)。江戸中期以降、一橋門外は火除明地となり一帯は「護持院原」(ごじいんがはら / 森鴎外の小説で有名)と命名された。

明治時代以降

江戸幕府終焉後の1873年明治6年)になって一橋門は撤去された。こののち一ツ橋および隣接の神田錦町東大一橋大東京外大学習院の前身校が設置されたことで、かつて護持院原と呼ばれたこの一帯は明治時代の一時期には文教地区の観を呈し、各大学の校史において「発祥の地」として位置づけられている(東京商科大学 (旧制)東京外国語学校 (旧制)など参照)。特に一橋大の場合、前身校である旧制東京商大は、国立への移転を経て第二次世界大戦後の新制大学移行に際し、発祥の地名を校名に冠し「一橋大学」と改称、現在に至っている。文教地区としての一ツ橋の雰囲気は、共立女子大キャンパスおよび一橋大の一部施設(一橋講堂・如水会館など)にわずかに残されている。

また、1872年に神田昌平黌跡、湯島聖堂内に設立された東京高等師範学校の附属小学校及び附属中学校(現在の筑波大学附属小学校、及び筑波大学附属中学校・高等学校)は、1890年1910年の間、神田区一ツ橋通町(現在の一ツ橋2丁目、共立女子学園の所在地)に存在した。

[編集] 地域

教育
教育私学
施設建造物
企業
法人団体

[編集] 交通

鉄道
道路
首都高・出入口

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月28日 (火) 21:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【一ツ橋】変更履歴

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