一関市
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一関市(いちのせきし)は、岩手県の南端に位置する人口約12万人(盛岡市、奥州市に次ぐ第3位)の市。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 概要
現在の一関市は、2005年(平成17年)9月20日に7市町村の対等合併で出来た三代目の一関市である(#歴史参照)。
合併前の旧一関市を中心市とする一関都市圏は、南の宮城県金成町(現・栗原市の一部)から北の岩手県平泉町などを含む西磐井郡を中心とした地域であった。しかし、実際に合併の対象となったのは、旧一関市の都市圏の範囲ではなく、旧磐井郡(西磐井郡および東磐井郡)の範囲であった。東磐井郡では室根村が気仙沼都市圏に入っており、その他の東磐井郡の自治体も一関都市圏の範囲ではない例がいくつかあり、結果として旧磐井郡全域での合併はならなかったが、広大な市域を持つ自治体となり、宮城県と秋田県に接している。人口は約12万人。
東京から約450kmの位置(JRにおける営業キロは445.1km)にある。これは、滋賀県米原市(JRにおける営業キロは445.9km)とほぼ同じ距離にあたる。
一関市の遊水池にある東北新幹線の鉄橋(第一北上川橋梁)は、日本の鉄道橋の中で一番長い。また、世界でも上位に入る。
[編集] 歴史
[編集] 地名の由来
- 平安後期まで俘囚の長として奥六郡を支配した安倍氏が一の関、二の関、三の関と砦を築いた事によるという説
- 平安末期に奥州一帯を支配した奥州藤原氏が、平泉の南側を守るために置いた関所に由来しているという説
- 江戸時代にこの地を治めた田村藩が置いた関所に由来しているという説
など諸説あり。いずれにしても、この地は古くから「関」、つまり交通の要所であった。
[編集] 沿革
- 室町時代、一関は岩手県南部を支配する葛西氏の領土の一部であったが、宮城県北部を支配する大崎氏の国境に隣接しており、葛西氏と大崎氏の係争の地であった。
- 戦国時代末期、葛西氏と大崎氏は共に「伊達の馬打ち」と呼ばれる伊達氏の準領土となった。戦国大名・伊達政宗は葛西氏・大崎氏の軍事指揮権を掌握したが、徴税権は葛西氏・大崎氏が握った。
- 1589年、伊達政宗は「東北地方の南半分を征服」し、関東征服を目前のものとした。しかし、政宗の前に豊臣秀吉が立ちはだかったため、政宗は関東地方の北条氏政親子と同盟して秀吉に対抗した。しかし、結局政宗は秀吉に服属し、そのため北条氏は秀吉に攻め滅ぼされ、1590年、秀吉は「日本統一」を達成した。
- 戦後、秀吉は「奥州仕置」を行い、岩手県・宮城県を支配していた葛西氏・大崎氏を滅亡させて、その領地を家臣、木村吉清に与えた。しかし、これに不満をもった伊達政宗は、旧葛西領・旧大崎領で反乱を起こさせた(葛西大崎一揆)。しかし、政宗の一揆扇動は秀吉に露見し、1591年、政宗は秀吉の命令により自ら一揆を鎮圧した。
- 戦後、秀吉は政宗から先祖ゆかりの伊達郡や征服した会津地方などを没収し、その代わりに旧葛西領・旧大崎領を与えた。政宗は福島県・山形県から宮城県・岩手県へと追いやられ、宮城県の岩出山城を居城として伊達領を統治した。一関も伊達領の一部となった。
- 秀吉が死ぬと、政宗は徳川家康の政権奪取に協力し、1600年の「関ヶ原の戦い」では、政宗は家康を出し抜いて「天下取り」を試みた。しかし、政宗の天下取りはならず、戦後、家康は江戸幕府を開くことになる。1601年、政宗は仙台城を築城し、仙台城を居城とする仙台藩が誕生した。一関も仙台藩の一部となった。
- 政宗の死後、幕府の大老・酒井忠清と結んだ政宗の十男・伊達宗勝は、仙台藩の内分家として領地を割き、一関藩をつくった。 しかし、伊達宗勝は伊達騒動によって失脚した。
- 伊達政宗の正室、愛姫の遺言により、一関藩は愛姫の実家、三春の田村氏から藩主を迎え入れた。こののち一関藩の藩主は田村氏が代々世襲し、田村家の支配が幕末まで続いた。
- 一関藩士の大槻氏は仙台藩の藩校、養賢堂の学頭を勤めるなど、「仙台藩の頭脳」として活躍した。
- 明治維新の際の戊辰戦争では、養賢堂の学頭、大槻盤渓が藩論を指導し、仙台藩は奥羽越列藩同盟(北部政府)をつくって明治新政府と戦った。新朝廷を創設する動きまであったが、敗戦により「東武朝廷」の誕生は成らなかった。
- 1871年 - 廃藩置県により一関藩が一関県となる。一関が属していた旧仙台領が「仙台県」にならずに「宮城県」になったのは、仙台藩の雄藩のイメージを明治新政府が抹殺したためだといわれる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行される。
- 1948年(昭和23年)1月1日 - 山目村が町制施行し、西磐井郡山目町となる。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 一関町、山目町、中里村、真滝村が合併し、一関市となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 旧・一関市、厳美村、萩荘村、舞川村、弥栄村が合併し、新たな一関市となる。
- 1956年(昭和31年)9月1日 - 境界変更により平泉町の一部を編入。
- 1964年(昭和39年)5月1日 - 境界変更により平泉町の一部を編入。
- 2005年(平成17年)9月20日 - 旧・一関市と西磐井郡花泉町、東磐井郡大東町、千厩町、東山町、室根村、川崎村が合併し、新たな一関市(3代目)となる。
- 2008年(平成20年)6月14日 午前8時43分の岩手・宮城内陸地震で市内では山目で震度5強。舞川・花泉町・千厩町・室根町で震度5弱。また大東町、東山町、川崎町で震度4を観測した。
- 2008年(平成20年)7月24日 - 午前0時26分の岩手県沿岸北部地震で市内では花泉町・千厩町・室根町で震度5強。山目で震度5弱。舞川・大東町・東山町・川崎町で震度4を観測した。
- 2009年(平成21年)6月25日 - 一関市・藤沢町合併研究会設置。
[編集] 行政
[編集] 歴代市長
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
|---|---|---|---|
| 1 | 浅井東兵衛 | 2005年(平成17年)10月9日 | 2009年(平成21年)10月8日 |
| 2 | 勝部修 | 2009年(平成21年)10月9日 | (現職) |
[編集] 旧一関市のデータ
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新制の一関市の面積や人口の規模が大きいため、旧制の一関市のデータも右記の通り掲載する。
新一関市は新設合併によって発足した自治体であり、これに伴い旧一関市は廃止されている。国勢調査などの制度上では、新一関市と旧一関市は、同名異質の全く違う自治体である。新一関市と旧一関市はともに旧磐井郡に所属していたが、合併後の新一関市は、旧磐井郡の大部分におよぶ市となっている。
旧一関市の市役所本庁は、新一関市における市役所本庁となっている。
[編集] 経済
[編集] 主な事業所
[編集] 姉妹都市・友好都市
[編集] 地域
[編集] 人口
| 一関市と全国の年齢別人口分布 | 一関市の年齢・男女別人口分布 | ||||||||||||||||||
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■紫色 ― 一関市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 教育
[編集] 短期大学
[編集] 高等専門学校
[編集] 高等学校
[編集] 中学校
- 一関市立花泉中学校
- 一関市立大原中学校
- 一関市立興田中学校
- 一関市立猿沢中学校
- 一関市立大東中学校
- 一関市立千厩中学校
- 一関市立東山中学校
- 一関市立室根中学校
- 一関市立川崎中学校
[編集] 小学校
- 一関市立弥栄小学校
- 一関市立山目小学校
- 一関市立老松小学校
- 一関市立金澤小学校
- 一関市立永井小学校
- 一関市立花泉小学校
- 一関市立日形小学校
- 一関市立油島小学校
- 一関市立涌津小学校
- 一関市立内野小学校
- 一関市立大原小学校
- 一関市立興田小学校
- 一関市立猿沢小学校
- 一関市立渋民小学校
- 一関市立摺沢小学校
- 一関市立曽慶小学校
- 一関市立磐清水小学校
- 一関市立奥玉小学校
- 一関市立清田小学校
- 一関市立小梨小学校
- 一関市立千厩小学校
- 一関市立長坂小学校
- 一関市立田河津小学校
- 一関市立松川小学校
- 一関市立室根東小学校
- 一関市立室根西小学校
- 一関市立薄衣小学校
- 一関市立門崎小学校
[編集] 特別支援学校
[編集] 学校教育以外の施設
- 岩手県立千厩高等技術専門校(職業能力開発促進法に基づく公共職業能力開発施設)
[編集] 郵便
[編集] 交通
[編集] 鉄道
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
[編集] バス
[編集] 道路
[編集] 高速自動車国道
[編集] 一般国道
[編集] 県道
[編集] 主要地方道
[編集] 一般県道
[編集] 報道機関
[編集] 名所・旧跡・観光
- 夫婦岩
- 束稲山
- 菅公夫人の墓(菅原道真夫人の墓)
- 室根高原
- 唐梅舘
- 釣山公園(一関城跡)
- 石と賢治のミュージアム
- 一関市博物館
- 鶏舞
[編集] 名物・特産物
[編集] 出身有名人
[編集] 外部リンク
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