七帝柔道
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七帝柔道(ななていじゅうどう)は、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の柔道部で行われている、寝技を中心とする高専柔道[1]の流れを汲む柔道である。現在オリンピックや全日本選手権で行われている講道館柔道とはルールが異なる。
上記七大学の前身は帝国大学のうち日本本土に設置されていた七校であり、戦前行われていた高専柔道大会を主催していたのは帝国大学柔道連盟(帝大柔道連盟)である。戦後の学制改革により旧制高校[2]が消滅したため、高専柔道OBの帝大柔道部員たちがルールを引き継いで始めたのが七帝戦である。毎年一回、各大学持ち回りで開かれ、七年に一度地元開催となる。全国七大学総合体育大会の一競技にもなっている。
目次 |
[編集] 寝技中心の柔道
ルールの最も大きな特徴は、寝技への引き込みが認められていることである。普通の柔道は投げ技を掛けてもつれたときのみに寝技への移行が許されているが、七帝柔道では自由に寝技にいける。
そのため、試合が始まるや、いきなり両者が寝技へいく。
高専柔道以来、寝技の技術が異常に発達し、それが地球の裏側ブラジルに渡ってブラジリアン柔術となり[要出典]、日本では七帝柔道となった。
現在、UFCやPRIDEなどの総合格闘技で使われている三角絞めやオモプラッタ、膝十字などは、すべてこの大会にむけて旧制高校生や帝大生によって開発されたものである。
試合は15人の団体戦で、勝ったものが勝ち残り、次の人間と戦っていく、いわゆる抜き勝負で、立ち技(投げ技)は何かのミスで投げられて失点するので、立ち技を避けて寝技中心に移っていった。
先鋒から3将(13番目の選手)まで、試合時間は6分、副将と大将は8分である。
「有効」や「効果」といったポイントはなく、勝負は一本勝ちのみによって決する。
寝技で膠着しても審判は「待て」をかけないので、延々と寝技の攻防が続く。
「場外」という概念がなく、試合者が会場の縁で攻防していると、主審に「そのまま」と試合を止められ、試合場中央で同じ体勢に組み合って試合再開となる。今、PRIDEなどあらゆる総合格闘技で同じルール「ドント・ムーヴ」が採用されているが、これは七帝柔道出身の中井祐樹が提案したのが始まりである。
絞め技でも関節技でも参ったする者はなく、絞めは落ちるまで、関節技は骨が折れるまで頑張る。
1試合終えるのに2時間以上かかる。
15人の抜き勝負とはどういうものか。以下が戦前の高専柔道大会の昭和11年東部大会決勝の試合記録である。
木村政彦率いる拓大予科と古豪北大予科が大接戦を演じて拓大予科が勝利した。「予科」とは大学予科のこと。
拓大予科 北大予科
先鋒 小出清恭 (引 分) 工 静男 先鋒
次鋒 伊藤忠康 (崩 上)○ 佐藤一郎 次鋒
西田利男○(腕がらみ) 〃
〃 (引 分) 山崎善陽
明 昌旭 (腕十字)○猿丸貞満
大久保一 (引 分) 〃
能島登三 (引 分) 曲木 恵
中原 裕 (引 分) 冬木徳三
中堅 桑山藤雄 (引 分) 寺田林平
吉野芳郎 (崩 上)○大竹幸吉 中堅
高橋博義○(前絞め) 〃
〃 (引 分) 羽田忠五郎
本多盛雄 (引 分) 小峰泰正
小友克己 (引 分) 井上赳夫
甲斐利之○(崩 上) 高木雅次
〃 (引 分) 宮下特五郎
副将 西原基之 ○(崩 上) 柴田 勝 副将
〃 (片羽絞) ○庄司希光大将
大将 木村政彦○(崩 上) 〃
[編集] 七帝ルール前文
(以下は七帝戦審判規定の前文である)
七大学柔道大会は昭和二十七年に始められた。七大学柔道大会の母体とも云うべきものは、第2次大戦以前から高専柔道大会という形態で行われていた。現在国立七大学は、北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学で構成されている。輝かしい伝統を持ち、環境のよく似た大学に在学する七大学柔道部員が一年間研究に研究を重ね鍛えに鍛えた技と力をお互いにぶつけあうために本大会は毎年一回開催される。本大会を通じて、お互いの切磋琢磨によって、日本の学生柔道を牽引していくような立派な七大学柔道を作り上げていかなければならない。柔道を学ぶなかで絶えず心身練磨、自己修養を心掛けることはとりもなおさず七大学柔道の発展に寄与することである。柔道は立技と寝技を同等に修得して初めて完成されるものである。この意味で七大学柔道は、寝技の実力向上を大きな目標としている。本大会において、第3回大会以来「引き込み」を認めているのはこのためである。また、試合の進行を円滑にし、実力を充分に発揮させるために、場内外の規定を弾力的に運用する。各合試者は本大会の趣旨をよく理解して正々堂々と試合することを心掛けねばならない。
[編集] 抜き役と分け役
15人の抜き勝負のため、その布陣が勝敗の重要な鍵を握る。
各大学は、試合ごとに、お互いに先鋒から大将までの15人の布陣表を審判部に提出する。こちらの分け役を相手校の抜き役にぶつけると有利に試合を進められるので、ここは両大学の監督の読み合いになる。
各大学は抜き役(相手に勝ちにいく役)と分け役(どんな相手に対しても引き分けにいく)の役割を明確に分けて選手を育ててきているので、一人一人が同じように責任を持つ。抜き役は必ず取らなければいけないし、分け役は必ず引き分けなければならない。
分け役の一敗は、つまり抜き役の一勝に相当する。全員がチームのために自分を殺し、その役割に殉ずる。
これがチームの結束を高める。
[編集] 優勝記録
(優勝校には文部大臣杯と優勝旗が手渡される)
| 回 | 開催年 | 優勝校 |
|---|---|---|
| 第1回 | 昭和27年 | 東北大 |
| 第2回 | 昭和28年 | 阪大 |
| 第3回 | 昭和29年 | 九大 |
| 第4回 | 昭和30年 | 名大 |
| 第5回 | 昭和31年 | 東大 |
| 第6回 | 昭和32年 | 京大 |
| 第7回 | 昭和33年 | 阪大 |
| 第8回 | 昭和34年 | 京大 |
| 第9回 | 昭和35年 | 東大 |
| 第10回 | 昭和36年 | 阪大 |
| 第11回 | 昭和37年 | 東大 |
| 第12回 | 昭和38年 | 九大 |
| 第13回 | 昭和39年 | 北大&九大 |
| 第14回 | 昭和40年 | 名大 |
| 第15回 | 昭和41年 | 東大 |
| 第16回 | 昭和42年 | 東大 |
| 第17回 | 昭和43年 | 京大 |
| 第18回 | 昭和44年 | 京大 |
| 第19回 | 昭和45年 | 東大 |
| 第20回 | 昭和46年 | 阪大 |
| 第21回 | 昭和47年 | 京大 |
| 第22回 | 昭和48年 | 東大 |
| 第23回 | 昭和49年 | 京大 |
| 第24回 | 昭和50年 | 京大 |
| 第25回 | 昭和51年 | 京大 |
| 第26回 | 昭和52年 | 九大 |
| 第27回 | 昭和53年 | 九大 |
| 第28回 | 昭和54年 | 北大 |
| 第29回 | 昭和55年 | 北大 |
| 第30回 | 昭和56年 | 京大 |
| 第31回 | 昭和57年 | 京大&名大 |
| 第32回 | 昭和58年 | 京大 |
| 第33回 | 昭和59年 | 京大 |
| 第34回 | 昭和60年 | 京大 |
| 第35回 | 昭和61年 | 京大&東北大 |
| 第36回 | 昭和62年 | 京大&東北大 |
| 第37回 | 昭和63年 | 京大 |
| 第38回 | 平成元年 | 京大 |
| 第39回 | 平成2年 | 京大 |
| 第40回 | 平成3年 | 九大 |
| 第41回 | 平成4年 | 北大(中井祐樹が副主将として在籍) |
| 第42回 | 平成5年 | 九大 |
| 第43回 | 平成6年 | 名大 |
| 第44回 | 平成7年 | 京大 |
| 第45回 | 平成8年 | 京大 |
| 第46回 | 平成9年 | 京大 |
| 第47回 | 平成10年 | 東北大 |
| 第48回 | 平成11年 | 京大 |
| 第49回 | 平成12年 | 京大 |
| 第50回 | 平成13年 | 北大 |
| 第51回 | 平成14年 | 北大 |
| 第52回 | 平成15年 | 東北大 |
| 第53回 | 平成16年 | 北大 |
| 第54回 | 平成17年 | 九大 |
| 第55回 | 平成18年 | 東北大 |
| 第56回 | 平成19年 | 京大 |
| 第57回 | 平成20年 | 東北大 |
| 第58回 | 平成21年 | 名大 |
[編集] 京大の10連覇
昭和56年から平成2年まで、京大柔道部が10連覇した。
当時はアメフト部が人気で、高校で柔道の実績がある重量級をのきなみさらわれ、柔道部は小型化していたが、その中での10連覇は偉業である。
抜き役にそれほど目立った選手はいなかったが、絶対的な分け役を多数揃え、失点を抑えることによって優勝を続けた。
[編集] 東大の脱退
京大の快進撃が続く中、東大が寝技重視の七帝ルールに異議をとなえ、国際ルールへの転換を言い出した。これに阪大も傾きかけたが、京大・名大を中心に北大・東北大・九大はこの東大提案をはねつけた。毎年のようにこのルール問題が討議された。東大は実際に練習を普通の大学のように立ち技偏重へと転換し、紫藤・道﨑ら強力な立ち技を持つ新入生の入部で、ますます国際ルールに傾いていく。そして、まず京大との定期戦が中止となった。
平成2年、東大は準決勝で北大相手に敗れ、ついに七帝柔道を脱退する事態にいたった。
[編集] 超弩級
抜き役の中でもとくに強い選手を、巨大戦艦になぞらえて「超弩級」と呼ぶ。
戦前の高専柔道では全日本で優勝した六高(→京都帝大)の野上智賀雄、拓大予科の木村政彦らがいる。
戦後の七帝戦では三本松進(東大昭和48年主将)、川西正人(北大昭和58年主将)、甲斐泰輔(九大平成4年主将)らがいる。三本松はモントリオール五輪金メダルの上村春樹と講道館ルールで戦い、試合場のど真ん中で投げ、一本勝ちしている。川西は全日本学生優勝大会で明治のキャプテンを大外で叩きつけた。甲斐は、巨漢ながら緻密な寝技を身につけ、七帝戦本番で一試合に5人も6人も抜く、まさに怪物であった。三本松も川西も甲斐も、旧帝大に入らず柔道家としてのコースを行けば、間違いなく五輪クラスの選手だった。
甲斐は入部が遅かったため、七帝戦には2年生から出場したが、4年生までの3年間で抜いた数は24人。これは今後も破られることはないだろう大記録である。
甲斐は4年生の試合を終えて引退したあと、22歳で夭折した。
[編集] 各大学の特色
- 北海道大学
- 学生数自体は道内出身者と道外出身者が半々だが、部員はなぜかほとんどを道外出身者が占める。かつて重量級が多く、インターハイ選手も多くいたので他大学の脅威だったが、今は中量級の選手が多い。
- 東北大学
- 中量級、重量級に強者を多く輩出している。昭和61年、昭和62年には、好選手をそろえ、当時無敵だった京大と2年連続して決勝を争い、代表戦を繰り返したがそれでも決着つかず両校優勝となった。
- 東京大学
- 昭和の終わりから一時、立ち技主体に切り替え、七帝戦の台風の目となった。今ではコーチに寝技の名手柏崎克彦(国際武道大教授)を招き、ふたたび寝技を強化している。
- 名古屋大学
- 岡野好太郎、小坂光之介と、有名な師範が続き、寝技の伝統は随一。小坂師範は井上靖の『北の海』に出てくる豪傑大天井のモデル。
- 京都大学
- かつては七帝の時には全員が丸刈りで臨んでいたが現在はそのようなことはない。アメフト部に高校での柔道経験者を横取りされ、中量級と軽量級が主体だが、七帝一の練習量をほこり、優勝回数も飛び抜けて多い。
- 大阪大学
- 一時期、東大に追随して立ち技に走りかけたが、今は寝技中心にもどった。毎回、いい選手を揃え、超弩級選手を抱える年には好成績を上げている。
- 九州大学
- 武道王国九州の王者。各県の強豪選手が集まる。何年かに一度、とんでもない怪物が現れる。特に地元開催の時に強く、試合会場が飛行場に近いため「飛行機が一機降りるたびに一人抜く」という伝説がある。
[編集] 木村政彦
日本柔道史上最強とうたわれる木村政彦も戦前の高専柔道出身で、その寝技の技術でエリオ・グレイシーの寝技を完封して勝利した。
[編集] 中井祐樹
バーリトゥードジャパンオープン95でジェラルド・ゴルドーと死闘を演じ、右目を失明しながら勝った伝説の修斗ウェルターチャンプ中井祐樹は北海道大学柔道部の出身である。
中井は現在、ブラジリアン柔術に転向し、日本ブラジリアン柔術連盟会長として数万人の弟子を抱える。
七帝柔道出身の格闘家には修斗の山下志功(北大OB)、JKJCの入來晃久(阪大OB)、大賀道場の大賀幹夫(九大OB)らがいる。
[編集] 政財界・文化界に逸材輩出
- 北海道知事の堂垣内尚弘(北大予科→北海道帝国大学)
- 読売新聞社社長の正力松太郎(旧制四高→東京帝国大学)
- 新日鐵会長の永野重雄(旧制六高→東京帝国大学)
- 東海大学創立者の松前重義(旧制官立熊本工業→東北帝国大学)
- 作家の井上靖(旧制四高→九州帝国大学、のち京都帝国大学へ)
- 物理学者・京大名誉教授の高木秀夫(京都大学)
- 東レ会長の古賀正(東京大学)
- 三菱電機社長の甘粕忠男(東京大学)
- 作家の眉村卓(大阪大学)
- 富士銀行頭取の橋本徹(東京大学)
- 衆議院議員の若林正俊(東京大学)
- 化学者・福井大学学長・京大名誉教授の児嶋真平(京都大学)
- 日本イリジウム社長の中山一(京都大学)
- 帝京大学学長の沖永壮一(東京大学)
- 教育学者の皇紀夫(京都大学)
- 動物遺伝学者の佐々木義之(京都大学)
- 新日鐵常務の青木繁(九州大学)
- 中村記念病院院長の中村順一(北海道大学)
- 宇部興産社長の長広正臣(京都大学)
- 脳神経外科の権威・福井仁士(九州大学)
- 衆議院議員の片山虎之助(東京大学)
- JR東日本会長の松田昌士(北海道大学)
- 知能機械工学者の末岡淳男(九州大学)
- 日清紡都市開発社長の阿部敏夫(東京大学)
- 鳥類学者の小城春雄(北海道大学)
- 中央信託銀行社長の大西章夫(東京大学)
- 中小企業総合研究機構理事長の三浦計治(東京大学)
- 中国化薬社長の神津善三郎(東京大学)
- 社会学者の井上俊(京都大学)
- 肝臓癌の世界的権威・二村雄次(名古屋大学)
- 警察庁科学警察研究所の鈴木真悟(名古屋大学)
- 旭山動物園名誉園長の小菅正夫(北海道大学)
- 政治学者の秋野豊(北海道大学)
- 社会学者の松原隆一郎(東京大学、ただしOBではなく柔道部長)
- 作家の増田俊也(北海道大学)
- 格闘家の中井祐樹(北海道大学)
[編集] 井上靖と「北の海」
井上靖の自伝的小説「北の海」には旧制四高の柔道部員にスカウトされて夏合宿に参加する物語が綴られ、現在の七帝柔道の部員たちのバイブル的存在となっている。
この本の中にはいくつかの名言がある。
- 「勉強をしに来たと思うな。柔道をしに来たと思え」
- 「この世に女はいないと思え」
- 「練習量がすべてを決定する柔道」
[編集] 註
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月4日 (水) 08:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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