三好吉房

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三好 吉房(みよし よしふさ、大永2年(1522年) - 慶長5年(1600年))は、安土桃山時代武将豊臣家の家臣。尾張犬山城主。通称は弥助。後に三位法印とも称した。号は一路、または常閑や日海とも。官職は武蔵守。妻は瑞龍院日秀豊臣秀次豊臣秀勝豊臣秀保らの実父。義弟の豊臣秀吉よりも年長である。

[編集] 出自

実父は三輪次郎兵衛宣政とされ、生母は長尾氏とされる(ともに諸説・異説あり)。はじめ、母方の長尾姓を名乗ったなど、 彼の出自には諸説があるが、実際は尾張国農夫上がりといわれている。秀吉の縁者として取り立てられ木下姓を与えられ、木下弥助とも名乗った。三好姓は、後に長子・秀次が阿波三好一族の三好康長の養子となった際に秀次の実父である吉房も三好姓を称した。後に秀次が改易された織田信雄の旧領を与えられ大名となると吉房も尾張犬山城主に取り立てられる。秀次の不在時の統治を代行することもあったが、その能力は秀吉、叔父秀長に及ばないと言われた息子の秀次から見ても不足であったようで、『年を取り衰えたようだ』『頼りない』という内容の秀次書状が残っている。

秀吉と違い男子に恵まれたものの次々に先立たれ、文禄4年(1595年)、秀次が切腹となった際、連座して改易され、讃岐国に流罪となる。流罪地で亡くなったとも、秀吉没後に赦免され京に戻り、本圀寺において秀次ら子達の菩提を弔いつつ亡くなったともいう。

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[編集] TVドラマ

最終更新 2009年6月30日 (火) 12:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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