三宅弘城

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三宅 弘城(みやけ ひろき 1968年1月14日)は、神奈川県横須賀市出身の日本の俳優。血液型はO型。また、石鹸名義でバンド「グループ魂」のドラムを担当。劇団ナイロン100℃(以降「ナイロン」)に所属、所属事務所は大人計画

目次

[編集] 略歴

  • 1988年劇団健康(以降「健康」)のオーディションに合格
  • 『カラフルメリィでオハヨ〜いつもの軽い致命傷の朝〜』初演より参加
  • ナイロン旗揚げメンバー

[編集] 健康参加以前

  • 高校の頃に体操競技部に入部。大学(器械体操の名門日本体育大学)への一般推薦入試も決まっていたが、それを蹴って東京国際大学に進学。因みに日体大指定校推薦枠ではないので合格したかどうかはわからないが、このとき、日体大には体操ではなく水泳の飛び込みで推薦が決まっていたため辞退した。当時日体大水泳部(飛び込みブロック)はインカレでも強豪校で厳しい練習等を想像すると競技を続けていく自信がなかったので辞退した(『七人の恋人』の「ほとんど三宅マン」よりでのコメント)。
  • 中学の頃から、KERA(のちの健康・ナイロンの主宰)が参加する有頂天を好んで聴いており、バンド活動でもドラムスを叩いていた。大学大槻ケンヂ(当時筋肉少年少女隊空手バカボンなどに参加)や耳夫(初期の電気グルーヴに在籍)と知り合う。

[編集] 健康時代

  • 劇団健康の第5回公演『ホワイトソング』再演に衝撃を受け、アンケートに「みのすけは凄い」と書き残した(『ハルディン・ホテル』パンフレットなど、様々な場所で目にすることができる)。
  • 劇団健康のオーディション合格理由は、体操を生かしたバック転1996年プロボクサーのテストにも合格。現在のナイロンメンバーの中でも体のキレが抜群。
  • それらの経歴を生かして、ナイロンの公演規模が大きくなった現在でも、激しい殺陣があると彼が担当する。自分が出ないナイロンの公演や他劇団のアクションも多数つけている。
  • 健康時代は4年間、ずっと若手扱いであった。主要キャストになったのは、ナイロン参加後の『予定外』。チラシに名前が載ったのも遅く、第9回公演の『牛の人』が初クレジットであった(この間にも第7回公演『後ろ姿の素敵な僕達』や第8回公演『スマナイ。』に出演しているが、チラシには記載なし)。

[編集] ナイロン参加以後

  • 芝居のなかにおいて、ボケ役、ツッコミ役、芝居を進行させる役、と、どれでもこなすオールマイティーな役者。特にその役柄が顕著に発揮されたナイロンの初期作品に、ビリー役を演じた『SLAPSTICKS』がある。
  • 現在では犬山イヌコ、みのすけに次いでナイロンの主要俳優。この二人が欠番した初の公演に『フリドニア〜フリドニア日記#1』があるが、この公演の際には彼が全般的に劇進行の重要な役を果たした。のちに同様の欠番公演に『絶望居士のためのコント』(2000年)。
  • ナイロンが10周年記念公演として上演した『ハルディン・ホテル』まで、本公演で欠番したのは『テクノ・ベイビー』のみ。厳密に言えばこの公演も、楽日に「クリスマス・プレゼンター」として登場しているので、10年間、実質的にナイロンで欠番したことはないと言える。
  • しかし、そののちは欠番が目立ち、出演した公演は『消失』『カラフルメリィでオハヨ'06』のみである。
  • ナイロンメンバーから「人間計数機」と言われるほどの記憶力の良さ。公演に関する事細かなエピソードをよく覚えており、座談会などがあるとインタビュアーになり変わる。
  • 主役としてクレジットされた公演は、わずかに『フランケンシュタイン〜Version 100℃〜』のみ。
  • 彼自身が好む役は『カラフルメリィでオハヨ'97』の丸星役。このときの楽日では、カーテンコールになる前から「もう丸星に会えない」と、涙が止まらなかったらしい。彼はこの公演の初演から出演し、現在まで4演を重ねているこの公演で、彼が出なかった公演は、今のところない(しかし、初演の際は「アメンホテップ4世」という、現在の戯曲では全く残っていない役で出演していた)。
  • グループ魂に参加するにあたって、シリアルナンバー入りのドラムセットまで購入した。名前を入れる時、悩んだ末に「石鹸」としたようだ(宮藤官九郎『やぁ宮藤くん、宮藤くんじゃないか!』より)。
  • 同書籍においては、宮藤自身が「演劇の世界では先輩にあたるんですが、どうもそうとは思えないフシがありまして」とコメント。グループ魂ではつっこまれキャラとしても活躍。
  • たまに恐ろしいまでのバカ役がまわってくることがあり、代表的な作品に『ウチハソバヤジャナイ』や『ビフテキと暴走』、『ザ・ガンビーズ・ショウ』。「本当の狂気」を思わせる役では『ノーアート・ノーライフ』や『ドント・トラスト・オーバー30』など。宮藤作品においても『春子ブックセンター』においてそれが実現。
  • ナイロン内の公演としてソロ活動をしたのは彼だけ。『悟空先生対アメリカ先生』でボケキャラかつつっこみキャラという一人二役を自分で編み出し、自分で演じきった。

[編集] 主な出演作品

[編集] 舞台

劇団健康
  • 1988年第六回公演『カラフルメリィでオハヨ~いつもの軽い致命傷の朝~』以降計16本出演。
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ナイロン100℃
  • 1993.08 - 旗揚げ公演 予定外(ユロ・リーシャル役)以降
  • 1995.08 - 三宅弘城ソロ・レイトショー 悟空先生対アメリカ先生
  • 1995.11 - 4.A.M(アイザック役)
  • 1997.12 - フランケンシュタイン~version100℃~(ビクター・フランケンシュタイン博士役)
  • 1998.02 - ザ・ガンビーズ・ショウ(“GOGOガンビーズ”マイク(Vo.)役)
  • 1993.03 - 薔薇と大砲~フリドニア日記#2~(ぎが役)
  • 1993.09 - テイク・ザ・マネー・アンド・ラン(衣笠役)
  • 2000.03 - 絶望居士のためのコント(絶望居士役)
  • 2001.07 - 室温〜夜の音楽〜(タクシーの運転手 木村役)
  • 2001.11 - ノーアート・ノーライフ(オケタニ役)
  • 2002.12 - 東京のSF(編集長、象田、ロボ太郎役)
  • 2003.06 - ドント・トラスト・オーバー30(ラーメン屋店員、ヒロキ(メグミの兄)役)
  • 2003.11 - ハルディン・ホテル(マルボシ役)
  • 2004.12 - 消失(ドーネン役)
  • 2006.04 - カラフルメリィでオハヨ~いつもの軽い致命傷の朝~(丸星、写真部・左門(松岡)役)
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客演
  • ロープ
  • 七人の恋人
  • 髑髏城の七人
  • 宝塚BOYS

他計25本

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シリーウォーク・プロデュース
  • 1993.02 - お茶と同情(作・演出:手塚とおる)
  • 1997.09 - 静の海第二回公演 月の光(作・演出:タイチ)
  • 2002.08 - 空飛ぶ雲の上団五郎一座 アチャラカ再誕生
  • 2004 - 空飛ぶ雲の上団五郎一座 キネマ作戦

[編集] テレビドラマ

[編集] CM

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[編集] 映画

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最終更新 2009年8月28日 (金) 01:28 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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