三宅正治

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みやけ まさはる
三宅 正治
プロフィール
出身地 日本 広島県広島市
生年月日 1962年11月15日(47歳)
血液型 O型
最終学歴 早稲田大学商学部
勤務局 フジテレビジョン
活動期間 1985年 -
ジャンル スポーツ・バラエティ
出演番組・活動
現在 すぽると!』(平日)
ジャンクSPORTS
過去 プロ野球ニュース
クイズ!ヘキサゴン』(深夜時代)ほか
  

三宅 正治(みやけ まさはる、1962年11月15日 - )はフジテレビアナウンサーである。広島県広島市出身。

目次

[編集] 来歴・人物

フジテレビを代表するスポーツ実況アナウンサーの一人。広島市立二葉中学校、広島市立基町高等学校早稲田大学商学部卒業後、1985年、フジテレビにアナウンサーとして入社。同期に軽部真一長野智子松田朋恵野崎昌一夫人)、永麻理小田多恵子。現在は、アナウンス室専任部長。

フジテレビを志望した理由は「ダービーの実況がしたいから」であった。入社12年目にして達成した(1996年、優勝馬フサイチコンコルド)。また、有馬記念の実況を2005年から担当している。アナウンス時の鼻にかかった声が特徴。

日テレアナウンサーの船越雅史は大学の1年後輩。

もう一つ、アナウンサーとしての希望は、大ファンである「広島東洋カープの日本一の瞬間を実況すること」。こちらは叶えられていない。

プロ野球中継の中や「すぽると!」の中では公平な立場を保つように努めているが、広島が勝ったときや調子がいいときは、隠し切れずに笑みがこぼれていることもしばしばあるほか、カープ特集などの際には私情丸出しで熱く語ることもあり、カープファンからは「ニヤケさん」と言われることも。また、火曜日にはコーナー担当で熱狂的中日ドラゴンズファンの水野裕子(こちらも私情丸出しで熱く語ることが多い)と熱いトークバトルを繰り広げることも多い。

スポーツアナウンサーとしてプロ野球F1格闘技競馬バレーボール女子プロレスなど幅広く実況を担当。特に、決勝戦やタイトル戦などの大舞台で実況することが多い。

2000年4月から『プロ野球ニュース』の司会を務め、2001年4月からの後番組『すぽると!』でも引き続き司会を務めている。また、2000年からは『ジャンクSPORTS』のレギュラーとなり、この番組にゲスト出演した徳光和夫から、「スポーツ実況をさせたら彼(三宅)が今のアナウンサー界で一番」と評価された。

『すぽると!』については2006年10月から平井理央アナウンサーとのコンビ固定で月曜から金曜を担当している。その後、2007年10月からは土曜を担当していた佐野瑞樹アナウンサーがニューヨーク支局へ勤務のため番組を降板、土曜を本田朋子アナウンサーと共に担当することになり、金曜の担当からは降りることになったが、2008年4月から週末に渡辺和洋アナが復帰するため半年で金曜日の放送に復帰し、土曜日は降板となった。

2006年2月8日に放送された『クイズ!ヘキサゴンII』のアナウンサー大会の予選ペーパーテストで見事にトップに輝く。

最近はバラエティ番組への出演も多く、『クイズ!ヘキサゴン』(深夜番組時代)の司会を務めたほか、『熱血!平成教育学院』、『ネプリーグ』にも出演した。『ネプリーグ』では同僚の川端健嗣アナや高木広子アナとともに出演したほか、2008年5月5日の放送では同期の軽部真一と入社24年目で初のツーショットを果たした。

[編集] F1でのエピソード

1990年F1ベルギーGPでの初実況以来、三宅が実況を担当すると大きなクラッシュが相次ぎ、赤旗でレースが中断することから「赤旗の三宅」(三宅が実況するとただでは終わらない)と呼ばれた。

三宅のF1実況で特筆すべきは、1992年5月のF1モナコGPである。このシーズン開幕5連勝し、絶好調だったウィリアムズルノーナイジェル・マンセルがトップを独走するも、残り7周の時点でリアタイヤに異常が発生し緊急ピットイン。その間にマクラーレンホンダアイルトン・セナがトップを奪った。その後はマンセルが驚異的な速さで猛追しセナの真後ろまで肉薄したものの、幅の狭いコースを巧みに使った「モナコマイスター」セナがチェッカーを受けるまでの4周に渡って速さで勝るマンセルを絶妙にブロック。マンセルは前人未到の開幕6連勝を逃し、セナはこの年の初優勝を遂げるという後年まで残る伝説的レース展開となった。

三宅は最終ラップの佳境で、「さぁ、これから『ラスカス』に入る。ごらんの差。どんなにしても抜けない。ここは(狭い)モナコ・モンテカルロ、絶対に抜けない!!」と絶叫。「セナファン」を公言する三宅の、この実況は「中立であるべき」実況者としては疑問の余地も残るものの、日本のF1ファン、セナファンの心に深く浸透、今や語り草となっている。

当初このモナコGP中継の実況担当は古舘伊知郎の予定だったが、古舘が椎間板ヘルニアで急遽入院したために三宅の担当となったという経緯があり、古舘はこの年の年末の番組で三宅に対し、この「伝説のレース」となった1992年モナコの実況を譲ってしまったことを非常に悔やんでいる旨の発言をしている。三宅本人も「あのレースの実況が好評だったから、はじめてF1の実況をすることに自信が持てた」と述懐している。日本におけるF1実況について語る上で欠くことのできないレースである。

1993年ヨーロッパGP決勝の実況では、雨が降る中、アイルトン・セナが1周目に見せた神がかり的なごぼう抜きで首位を奪った走りを「セナの“鬼神”のような走りです」と表現した。

1994年サンマリノGPの実況では、初日から事故が相次ぎ、予選日の土曜にはローランド・ラッツェンバーガーの死亡事故が発生し、翌日曜日に行われた決勝レース序盤ではアイルトン・セナが壁に激突する大クラッシュが発生。赤旗中断・セナの救出作業で長い中断のあと、再開されたレースの実況を動転する気を静めながら務めたものの、このレースのビデオを見直すことはなかったと後に語っている。
三宅は病院で死亡が確認されたセナの「死去のニュース」の現地からの第一報も正式に視聴者に伝える身となり、その臨時のニュース速報においては必死に冷静さを保とうとしていたが、解説の今宮純、ピットレポートの川井一仁と共に何度も涙がこみ上げ言葉に詰まる場面が見られた。
2009年8月に出した著書『言葉に魂(おもい)をこめて』(ゴマブックス)の文中でも「未だに(セナの死亡を伝えた)番組の映像を見ることが出来ない」と記している。

2000年に『プロ野球ニュース』のキャスターに就任した為、「F1実況との両立は難しい」との理由で1999年を最後にF1の実況からは遠ざかっている。しかしながら彼の復帰を望むF1ファンは今でも多く、本人もそれは良く理解しているとのことである(実際にスポーツ局のスタッフからも、「F1実況の現場に戻ってこないか」というオファーを何回か受けていたようだ。)。

[編集] その他のエピソード

  • 2004年の『アテネオリンピック』では、柔道や、女子バレーボールの実況を担当した。特に女子バレーボールがアテネ行きを決めた韓国戦では視聴率が40.1%まで跳ね上がった。これ等の実況に徳光和夫が、『ジャンクSPORTS』内で「すべての民放とNHKを含めて日本で現在一番スポーツ実況がうまいアナウンサー」と大絶賛した。この時三宅は「泣けてくるな」と大感激したが、徳光から「俺より先に泣くな!」と一喝された。
  • 2005年バレーボール・ワールドグランプリ、予選ラウンド韓国戦での菅山かおるの活躍に三宅が連呼した「華麗に舞う白い妖精」は、菅山の所属するJTマーヴェラスの試合会場の横断幕に見られた(横断幕が登場したのは2000年5月の黒鷲旗)。
  • 全日本女子プロレス中継では、実況中にアジャ・コングに襲撃され肋骨を骨折し、労災に認定されたという逸話を持つ。骨折の発端は、三宅が「アジャ・コング、何が宍戸エリカだ!!」と発言して、アジャの怒りを買ったことが原因である。
  • 『すぽると!』の番組上で女子ビーチバレーの浅尾美和の熱烈なファンである事を表明している。
  • 西日本出身と言うこともあり、バラエティ番組では同じ西日本出身のタレントに対して関西弁をしゃべることがある(かつて司会を務めていた『クイズ!ヘキサゴン』ではそれが顕著だった)。ただし広島弁と大阪弁ではかなり違うため『ジャンクSPORTS』ではダウンタウン浜田雅功相手に標準語発音の変な大阪弁での対応となる。
  • 2009年バレーボール・ワールドグランプリの実況時、狩野舞子選手の下の名を過剰に連呼し、視聴者の不興を買う。
  • 2009年の日本シリーズ第2戦北海道日本ハム巨人の実況においては同席した解説の清原和博新庄剛志両氏とともにバラエティ番組のような身の入らない実況や日本ハム寄りの実況になっていたとして一部SNSを中心に視聴者の不評を買った。

[編集] 特別番組での実況

毎年、真夏恒例の「FNSの日」にもたびたび実況アナとして出演している(なお、1993年1994年フランスから自転車レースのツール・ド・フランスの実況アナとして参加はしているが声の出演だけで顔は見せていない。解説には中野浩一1996年はインフォメアナとしても出演)。左は顔出し回数、右は出演回数を表す。

出演番組 FNSの日タイトル 内容
1/3 第17回JALゴールドコーストマラソン 実況中継 FNSの日 1億2500万人の超夢列島 ~そのうち何とか23時間~
(第9回大会)
三宅自身、FNSの日・初めてのテレビ出演は海外から。オーストラリア・クイーンズランド州のゴールドコーストで開催されたこのマラソンの模様を上岡龍太郎そのまんま東トミーズ雅そしてフジテレビとして史上初めてのフルマラソン挑戦となる木佐彩子&武田祐子両アナウンサーの合計5人の活躍を中心に解説に大竹まこと氏を迎えてスタート・ゴール地点となるアンザック・パークに設けられたフジテレビ特設ブースから衛星独占生中継で伝えた。
2/4 今田・東野・ナイナイの'96深夜の女子アナリンピック FNSの日・十周年記念 1億2500万人の超夢リンピック
(第10回記念大会)
三宅自身、フジテレビでの初仕事。全国FNS女子アナ・25名が今田耕司東野幸治岡村隆史矢部浩之の各国の選手になって総合優勝を争ったこの大会。公式審判には山本小鉄を迎えた(新宿時代での本格的なテレビ出演はこの女子アナリンピックだけ)。
3/5 富士山→フジテレビ 130km・聖火リレー クライマックス・露木茂最終区間 CM無しの超完全実況生中継 同番組 三宅自身、日本国内での初出張がこのコーナー。日曜日の夜明けと共にスタートした聖火リレー。その最終走者を担当した露木茂区間(サポートランナーは竹下陽平佐々木恭子藤村さおりの新人アナ3人)をCM無しで全区間完全実況独占生中継で伝えた(三宅自身、テレビに映ったのは冒頭の10秒だけ)。
4/6 朝まで生スポーツリターンズ 疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI 真夏の27時間ぶっ通しカーニバル REBORN
(第11回大会)
三宅自身、お台場時代の初仕事。全種目の実況等を担当し総合司会のダウンタウンをバックアップしてくれた。
5/7 K-1DREAM98 ~空手VSキック 7対7・全面対抗決戦~
98 K-1シリーズ 第4戦
98 FNSの日・1億2700万人の27時間テレビ夢列島 照れずに良い事/照れずに楽しく
(第12回大会)
三宅自身、日本国内での二度目の出張がこの番組。ナゴヤドームから生中継。解説は石井和義長嶋一茂谷川貞治の3人/実況は自分の他に長坂哲夫森昭一郎の3人/リポーターは竹下陽平森脇淳の2人。司会者陣はオープニングを勝俣州和千秋。更に特別ゲストにレフェリーの猪狩元秀が登場していた。実況席の進行を田代まさし藤原紀香が担当。また、この年の総合司会を担当した中居正広西山喜久恵もオープニングで参加していた。
6/8 サンヨーオールスターゲーム 第1戦 FNS ALL-STARS 27時間 笑いの夢列島
(第15回記念大会)
三宅自身、日本国内での三度目の出張は初の九州。21世紀最初のオールスターゲームを福岡ドームから生中継。解説もこのオールスターの名に相応しく江本孟紀大矢明彦谷沢健一西本幸雄等が代わる代わる務めた。
7/9 戦後60周年平和祈念 自衛隊・米軍大運動会 〜Japan U.S Frendship Sports day SUMMER〜 FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!
(第19回大会)
解説に水内猛/特別ゲストに前田忠男両氏を迎えてリポーターは紅組が春日由実・白組が島田彩夏両アナウンサーが担当した。
8/10 すぽると! 同番組 ゲストはこの年のオールスターに相応しく豪華に3人も登場。大阪・関西テレビからは阪神の金本知憲、甲子園球場からのVTR出演は巨人の清原和博そして2003世界選手権で団体・銀メダル/2004アテネにも出場したアーチェリーの松下紗耶未各選手。尚、終了後にこの年のスペシャルリアルタイムドラマのTHE WAVE!・Ⅴを生で見て言葉を失う。
9/11 すぽると!2006 FNSの日 国民的な面白さ!史上最大 真夏のクイズ祭り 26時間ぶっ通しスペシャル
(第20回記念大会)
番組の内容はこの年のテーマであるクイズに沿って巨人カルトクイズを中心に行なわれて当日のスポーツ結果は番組の最後に纏めて一気に伝えられた。
10/12 すぽると!2007 FNS27時間テレビ みんな“なまか”だっ!ウッキー!ハッピー!西遊記!
(第21回大会)
ゲストにバレーボールの全日本男子の植田辰哉監督と石島雄介&越川優両選手が出演。最後にバレーボールワールドカップに向けての抱負等を一言ずつ頂いた。
11/13 FNS27局対抗 三輪車12時間耐久レース FNSの日26時間テレビ 2009 超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!
(第23回大会)
この大会の為に特設されたお台場サーキットから生放送。解説に品川祐、各局のピットリポーターには宮瀬茉祐子遠藤玲子両アナウンサー。

[編集] 競馬GI実況歴

[編集] 現在の出演番組

[編集] 過去の出演番組

[編集] 補足

  • 1985年の日本航空123便墜落事故の際には、当時入社4ヶ月の新人ながら、群馬県上野村の現地対策本部や群馬県藤岡市内に設けられた、遺体安置所からのレポーターを任された。
  • 若手時代に「オレたちひょうきん族」でニュースキャスター役を演じていたが、途中で原稿を読み間違えて懺悔室送りとなり、水をかけられた。
  • フジテレビ「8マーク」時代の最後の入社組である(1986年4月からの「目玉マーク」導入後に入社したアナウンサーは1年後輩の阿部知代岩瀬惠子横井克裕の3人である)。
  • 2005年2月巨人軍宮崎キャンプに14年後輩の内田恭子アナウンサーと取材に訪れた折、ブルペンにいた工藤公康投手の投球練習を妨害した。工藤本人が関係者を通じてブルペンからの立ち退きを要請した。集中力を切らした工藤も練習を早めに切り上げて当日の練習を終えた。「すぽると!」の放送内で、この件に関しての経過説明や謝罪は一切行なわれなかった。また、事件直後の放送からそれまでとは全く違う番組進行ぶりに豹変。それまで番組内で行われてきた内田との長い掛合や広島弁(エセ関西弁)を交えた饒舌は展開されず、ほとぼりの冷める期間を待つ形で、一切の笑いを封印させた。
  • 2006年5月10日、バレーボール女子日本代表とフジテレビチームの親善試合に参加中に「足のつり」を訴え、医師の診察の結果アキレス腱断裂と診断された。必要な処置が施され、同日夜の担当番組「すぽると!」には通常通りに出演した。また「ジャンクSPORTS」では、ダウンタウンの浜田にこの怪我をネタにされ、8月6日放送分では、断裂した瞬間の映像がオンエアされた。
  • 1996年から1997年までフジテレビ系列で放送されたアニメ「みどりのマキバオー」のオープニングテーマである「走れ!マキバオー」(ソルティー・シュガー走れコウタロー」の替歌)を担当。同僚の青嶋達也福井謙二との音楽ユニットF・MAP』として参加し、三宅は間奏でのコント、及び合いの手を担当した。
  • 2006年10月1日の「スーパー競馬~スプリンターズステークス~」では、レギュラー出演陣がフランスのG1凱旋門賞に挑戦する「ディープインパクト」の応援取材に行ってしまったため、代役で司会を務めた。スタジオは井崎脩五郎との二人きりだったため居酒屋トーク状態になった。
  • 2005年から10年先輩の堺正幸の後を引き継ぎ、競馬の有馬記念の実況を担当しているが、初めて担当した2005年は当時無敗だったディープインパクトが初めての敗北を喫し(優勝馬:ハーツクライ)、翌2006年はディープインパクトはラストランを勝利で飾り、2007年は人気薄だったマツリダゴッホが圧勝し、2008年はダイワスカーレットが牝馬としては37年ぶりに有馬記念を制するなど、競馬史に残るレースとなっている。そうしたこともあってか2008年度のJRA賞の年度代表馬はダイワスカーレットに投票していた。(ちなみに同僚の塩原恒夫ウオッカに投票していた。)
  • 早大時代アナウンス研究会に所属していたこともあったが、「自分には合わない」という理由で退部している(フジテレビでは1979年1983年まで5年連続で早大アナウンス研究会出身者が入社したが、三宅の2年先輩である牧原俊幸以降、2003年長野翼まで20年ブランクが空いてしまった)。
  • 9年先輩の福井謙二、4年先輩の山中秀樹(現・フリーアナウンサー)、7年後輩の西山喜久恵共々熱狂的な広島東洋カープファンである(山中は三宅の早稲田大学の先輩にあたり、フジテレビでも先輩にあたる)。
  • フジテレビ入社前に、系列局の関西テレビのアナウンサー試験を受験したが、不合格となった(関西テレビが採用したアナウンサーは山本浩之である)。

[編集] 著書

  • 『言葉に魂(おもい)をこめて』(2009年8月/ワニブックス刊)
    この本はスポーツアナ仲間で同郷(広島県出身)の川﨑聡が勤める系列のテレビ西日本において、アナウンサーたちの勉強会でテキストとして用いられた。やはりスポーツアナ仲間であり、現在はテレ西アナウンス部長を務める田久保尚英のブログを参照。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年11月23日 (月) 11:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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