三木忠直

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三木 忠直(みき ただなお、1909年12月15日 - 2005年2月27日)は、鉄道技術研究所の技術者。娘に東洋大学教授棚沢直子がいる。

高松中第六高等学校(現岡山大学)を経て東京大学工学部卒業後、海軍に奉職(終戦時は技術少佐)。太平洋戦争時は、海軍航空技術廠銀河桜花の機体設計を担当。 戦後、多くの青年を散らした桜花に携わった事を悔い、純然たる平和産業と考えた国鉄鉄道車両技術者に転身。国鉄は、陸海軍で研究に従事していた有能な技術者たちが敗戦による陸海軍解体で散逸してしまう事を惜しんで、多数の技術者を鉄道技術研究所に積極的に受け入れていたのである[1]

初代の新幹線車両、新幹線0系電車の先端のデザインを設計したことで知られる他、小田急電鉄ロマンスカー3000形、懸垂型モノレールなどに携わる。

NHKの番組「プロジェクトX」の制作時、三木はインタビューに答えて以下のような言葉を残している。

「とにかくもう、戦争はこりごりだった。だけど、自動車関係にいけば戦車になる。船舶関係にいけば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんですよ」[2]

目次

[編集] 新幹線

三木は、新幹線構想が初めて公表され新幹線建設実現の起点となった鉄道技術研究所創立50周年記念講演会「超特急列車、東京 - 大阪間3時間への可能性」(1957年5月30日)で講演を行った4人の技術者の一人である。この講演会は、篠原武司研究所長の提唱の元で開かれたもので、三木は車両構造研究室長として「車両について」と題した講演を行った。残る3人の講演者は、軌道研究室長 星野陽一(「線路について」)、車両運動研究室長 松平精(「乗り心地と安全について」)、信号研究室長河邊一(「信号保安について」)である[3]

[編集] 脚注

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  1. ^ 『D51から新幹線まで―技術者のみた国鉄』118ページ
  2. ^ 『プロジェクトX第2巻復活への舞台裏』19ページ
  3. ^ 『D51から新幹線まで―技術者のみた国鉄』116-120ページ

[編集] 参考文献

  • 島秀雄『D51から新幹線まで―技術者のみた国鉄』日本経済新聞社 1977年
  • 篠原武司『新幹線発案者の独り言―元日本鉄道建設公団総裁・篠原武司のネットワーク型新幹線の構想』
  • NHKプロジェクトX制作班編『プロジェクトX 2 復活への舞台裏』日本放送出版協会 2000年

[編集] 関連項目

最終更新 2009年9月21日 (月) 02:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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