三木鶏郎
三木鶏郎の最新ニュースをまとめて検索!
三木鶏郎(みき とりろう、1914年1月28日 - 1994年10月7日)は、東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区)出身の昭和前期から平成前期まで活躍していた作詞家、作曲家、放送作家、構成作家、演出家。本名は繁田裕司(しげた ひろし)。ジャズ評論家の三木鮎郎は実弟。「三木トリロー」名義での活動歴もある。
目次 |
[編集] 活動履歴
東京帝国大学法学科卒業後、日産科学に入社するが半年で召集を受け陸軍に入隊。
復員後、焼跡の歌「南の風が消えちゃった」をつくり、NHKラジオの『歌の新聞』に出演、その後番組である1947年からの『日曜娯楽版』の「冗談音楽」で爆発的な人気を博す。
また1951年、日本で初めてコマーシャルソングをつくり、ディズニーアニメの初の日本語版音楽監督を務めた。
活動に際しキノトール、能見正比古、永六輔、神吉拓郎、野坂昭如らとトリローグループを結成(また作曲家陣として神津善行、いずみたく、嵐野英彦、桜井順など、三木鶏郎楽団としてジョージ川口、小野満、鈴木章治などを集める)。門下からは歌手(楠トシエ、中村メイコなど)や俳優(逗子とんぼ、なべおさみ、左とん平など)など、多くの人物を世に送り出している。
晩年は糖尿を患い、糖尿の芸能人仲間と糖尿友の会を主宰していた。
[編集] 経歴
- 旧制浦和高等学校(埼玉大学の前身)文科丙類を経て、1940年 東京帝国大学法学部法律学科卒業
- 1941年 経理部幹部候補生試験合格。東部第8部隊集合教育で陸軍経理学校に入学する。
- 1942年 陸軍経理学校卒業
- 1942年 習志野戦車東部第9部隊に配属。少尉に昇進。
- 1945年 千葉県習志野(千葉郡二宮町薬園台)に新設の「東部軍管区教育隊」に勤務(東部軍管区主計中尉)。
- 1946年 三木鶏郎楽団結成し、東京麹町にスタジオを建てる。
[編集] ヒット曲
[編集] 手がけたCMソング
- 主なもののみ
- 小西六写真工業(現コニカミノルタ)「僕はアマチュア・カメラマン」(歌:灰田勝彦。ラジオCMソング第1号)
- 森永製菓 森永ミルクキャラメル 「やっぱり森永ね」(歌:中村メイコ・灰田勝彦・宮城まり子他。テレビCMソング第1号)
- 船橋ヘルスセンターのCM(現ららぽーとTOKYO-BAY)「チョチョンのパ、チョチョンのパ~」「長生きチョンパ」 楠トシエのコマーシャルソングで有名。
- ミツワ石鹸(旧法人)「ワ、ワ、ワ、輪が三つ」
- 松下電器産業(現パナソニック)「明るいナショナル(参考)」
- 森下仁丹 「ジンジン仁丹、ジンタカタッタッタ~」
- 三共(現第一三共及び第一三共ヘルスケア) ルル「クシャミ三回ルル三錠」
- キリンビバレッジ キリンレモン 「キリン、レモン、キリン、レモン~」
- 牛乳石鹸共進社「牛乳石鹸、良い石鹸」(ここでは「三木トリロー」名義)
- 三洋電機「うちのテレビにゃ色がない」(「ジャングル大帝」の主題歌=冨田勲作曲=の前に流れるサンヨーカラーテレビ劇場の歌=榎本健一歌)
- 小田急電鉄「小田急、小田急、ピポピポー」「小田急ピポーの電車」 ザ・ピーナッツの唯一の鉄道事業者のコマーシャルソング。
- 京阪電気鉄道「天満橋から三条へ~」「京阪特急」 この曲も楠トシエのコマーシャルソング。
- 近畿日本鉄道「近鉄特急(近鉄のうた)」 この曲も楠トシエのコマーシャルソング。
- 南海電気鉄道「なーん、なーん、南海電車」
- 名駅地下街サンロード「もぐらのチカちゃん行ったとさ~」 この曲も楠トシエのコマーシャルソング。
- レナウン「レナウン、レナウン、いいセンス、レナウン、レナウン、いいデザイン~」「レナウンの唄」ザ・ピーナッツのコマーシャルソング。短命に終わった。
なお、CMソングのうちのいくつかは、東京汐留にある、アド・ミュージアム東京 で聞くことができる。
[編集] 手がけたテレビ番組主題歌
- 鉄人28号(前奏前と最終部分で流れる江崎グリコ(当時の同番組の提供スポンサー)を意味する「グリコ、グリコ、グ~リ~コ~」の部分も含めて作曲)
- トムとジェリー
- スター千一夜
- 遊星少年パピイ
- 新ジャングル大帝 進めレオ!
- 遊星仮面
[編集] 外部リンク
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.
最終更新 2009年9月13日 (日) 16:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【三木鶏郎】変更履歴

