三村マサカズ

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 三村マサカズ
本名 三村勝和(みむらまさかず)
ニックネーム みむ
生年月日 1967年6月8日(42歳)
出身地 東京都墨田区
血液型 A
身長 164cm
方言 標準語
最終学歴 東海大学付属高輪台高等学校
出身 ホリプロ
グループ名 さまぁ〜ず
相方 大竹一樹
芸風 漫才コントツッコミ
立ち位置
事務所 ホリプロ
活動時期 1988年 - 現在
同期 山崎邦正東貴博
現在の代表番組 サカスさん
世界を変える100人の日本人!
過去の代表番組 金のA様×銀のA様
サンクチュアリ/大人の聖域
配偶者 既婚
弟子 なし
受賞歴
2003年 ゴールデン・アロー賞芸能賞
  

三村 マサカズ(みむら まさかず、本名:三村 勝和(読み同じ)、1967年6月8日 - )は、日本お笑い芸人俳優お笑いコンビさまぁ〜ず」のツッコミを担当。 所属事務所はホリプロ東京都墨田区出身。 東海大学付属高輪台高等学校卒業。 身長164cm、血液型A型。趣味・特技は、水泳野球サーフィン読書暗算

目次

[編集] 来歴

1987年、二十歳にして原宿でファッション系の店にてアルバイトから店長まで登りつめた。

1988年7月、高校の同級生である大竹一樹とコンビ結成。翌年の1989年コンビ名「バカルディ」として本名「三村勝和」名義で活動を始める。ホリプロのお笑いライブに出演し、デビュー後程なくして関東お笑い界期待のホープとして脚光を浴びるもその後低迷、しばらく不遇の時期を過ごす。

1997年、「ただなんとなく」との理由で本名から芸名「三村マサカズ」に改名(「漢字が読みにくかったため」とも述べている)。この頃、ナインティナイン岡村隆史に「関東一のツッコミ」と評され、一部で注目を集めるようになる。

2000年、バラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』(TBS系)の企画で海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)と対決し敗北。罰ゲームとしてコンビ名を「さまぁ〜ず」に改名させられる。しかし改名後、「〜かよ!」という独特のツッコミが各方面でフィーチャーされブレイクする。

2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞を受賞。

2004年3月、『内村プロデュース』収録中に、無茶なボケが原因で左膝前十字靭帯を断裂、全治3ヶ月の怪我を負う。6月には同じく『内P』におけるドッジボールの試合で右膝前十字靭帯を断裂。しかしそれでも無茶な動きで笑わせようとすることをやめず、その都度周りの出演者に心配される。

2005年1月、放送された特別番組『笑いの祭典!! ザ・ドリームマッチ'05』(TBS系)では、田中直樹ココリコ)とのコンビで優勝し賞金500万円を獲得。

2006年1月、内村光良ウッチャンナンチャン)監督の映画『ピーナッツ』に出演。同作品の影の主役と言われ、内村監督からは「劇中で成長する珍しい役者」と評された。

2007年1月、特別番組『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ'07』(TBS系)に出演、志村けんザ・ドリフターズ)とのコンビで優勝。今回が3回目の放送であるが三村はこれで2度目の優勝となった。

[編集] 人物

[編集] 学生時代

  • バレーボールの授業で大活躍したため、小・中学校時代のあだ名は「エース」であった。東京都目黒区水泳競技会で優勝したこともある。スポーツ万能で明るく、クラスの人気者で、当時から周囲を笑わせることに全身全霊を傾けていた。
  • 小学校の卒業文集に書いた将来の夢はプロ野球選手で、それを対外的な志望にしていたが、内心では漫画家になることを更に強く志向していた。
  • 野球選手と漫画家の夢に向けて、中学時代には、野球部とイラスト部の両部に所属していた。野球部ではエースナンバー(背番号「1」)を付けており、そのユニフォームで多摩川の河川敷を歩いていた際、多摩川練習場を訪れていた当時ジャイアンツ王貞治に偶然遭遇し、「(背番号)1番か。すごいな。」と声をかけられ、お尻を叩いて励まされた経験がある。
  • 中学校2年までは成績優秀で、常にクラスで1~2番の成績であったが、3年生になり周囲が高校受験勉強に本腰を入れ始めると成績が急降下し、全校約300名中200位前後に低迷した。三村本人は、成績悪化の原因は不明で「頭のネジが外れたとしか思えない」と言及している。
  • 石野真子のファンで、初めて自費で購入したレコードも石野真子のものであった。
  • 高校進学後には漫画家ないしイラストレーター志向が強まり、授業中でさえ細字の水性マジックペンでイラストを描きまくっていた。現在でも「内P」を始めとした番組内で絵を描く企画の際には似顔絵など簡潔で的確な腕前を披露する。
  • 大竹に出会うまでは、学校にはほぼ無遅刻・無欠席だったが、遅刻癖のある大竹と出会ってからは高校に遅刻するようになる。

[編集] 下積時代

  • 高校卒業翌月の1986年4月より、「自立しないと自分がダメになってしまうと思った」ため独り暮らしをはじめる。最初の入居先は、東京都世田谷区の小田急下北沢駅徒歩15分にある賃貸アパート「松風荘」で、入居した部屋は1R(6畳、流し台つき、風呂なし)家賃38,000円、管理費1,000円という環境であった。
  • 独り暮らしを始めてから、生活費を稼ぐため、原宿の洋服店に月収15万円のアルバイトとして勤務し、能力を認められて1年後には月収20万円余の店長にまで抜擢された。三村は、この勤務経験によりファッションセンスが鍛えられたと自ら語っている。赤色系の服を好み番組でも衣装としてよく着用しているが、タモリに「お前は赤が似合わない」と再三イジられている。愛用している携帯電話も、赤色ケースのNTTドコモSH903である。
  • 洋服店店長を退職した後、大竹と一緒にレストラン「ワンオーナイン(109)」のアルバイトに就く。当時の月収は約15万円、あいかわらず「松風荘」で独り暮らしをしていた。
  • デビュー当時は華奢な風貌で、三上博史似(自称)の男前風であったが、中年太りした現在は大竹いわく「ハンプティ・ダンプティのような体型」になってしまっている(「ゆで玉子を爪楊枝で支えている」)。必然的に身体のキレも悪くなり、番組のスポーツ企画などでさまざまな珍プレーを披露している。
  • 所用で大竹と同室に宿泊した際、天井に止まっていた虫を丸めた雑誌で思い切り叩いたところ、潔癖症である大竹の枕の上にその死骸が落ちてしまい、大げんかになった。それ以来2人はほとんどけんかをしていない。

[編集] 芸風

  • 「〜かよ!」に代表される、高いテンションと強い口調でツッコむ「ワンフレーズツッコミ」が特徴的。
  • 以前は「番組の司会進行ができない」(本人談)ことが悩みだったが、レギュラー番組が増えるにつれて経験を積み、自信をつけつつある。しかし『Qさま』(テレビ朝日系)『笑っていいとも!』(フジテレビ系)や『リンカーン』(TBS系)等におけるワンコーナー司会は相変わらずぎこちない。
  • 以前はツッコミばかりがクローズアップされていたが、実はボケ役志望である。『内村プロデュース』(テレビ朝日系、以下『内P』)では「俺はボケたいんだよ!」「ツッコミとか面倒臭せぇんだよ!」と発言したこともある。同番組内の心理テスト企画では「ボケ型だが、大竹がさらに上をいくボケなのでツッコミをしている」との診断が出た。また、この内Pをきっかけに三村のボケ芸が注目されるようになり、即興コントや大喜利、フリートークでもそのキャラクターを発揮するなど、持ちネタ以外の場では大竹と立場が逆転していることが多い。三村自身も「今では相方よりもいいボケが浮かんだら、遠慮せずにどんどん言っちゃうんです」と語っている。
    • 『内P』司会者の内村光良は三村の魅力について聞かれた際、「三村は“関東一のツッコミ”とか言われているけど、実はボケなんじゃないか?と思う」と語っている[1]
  • 大の下ネタ好きで、そのあまりのひどさに奥さんが出演番組のビデオ録画をやめたり、実家から時々クレームが来たりするという。「内村プロデュース」においては、アイデアが出なくなって苦し紛れに「セックス!」と口走るなどし、ひんしゅくを買うシーンがしばしばあった。

[編集] 性格

  • そのツッコミなどからテンションが高く見られがちであるが、大竹は「仕事量はそれほどでもないのに一時的にテンションが高いから、俺よりも働いていると思われる」と語っている。
  • かなりの読書家で、寝る前は必ず読書をしているらしく、大竹によると「本屋で平積みされているような本はほぼ読んでいる」という。しかし、大竹から「本を多く読んでいるのに馬鹿」などともいわれている。
  • 下準備に対して面倒くさがり屋で、ネタの立ち稽古を嫌う。稽古を怠けたせいで舞台の段取りを間違えるなどの失敗をし、大竹と喧嘩になったこともある。
  • 台詞覚えが悪く、他の共演者から指摘されることもしばしばで、これに関して本人は「カンペで台詞を提示してほしい」と語っている。
  • バラエティ番組グータン』(フジテレビ系)において、「2番手の地位で実力を発揮するタイプ」という精神分析結果を受ける。当時『内P』でMCの内村光良に次ぐポジションで活躍していた三村は、その結果に驚くとともに妙にうれしそうな表情をした。

[編集] 嗜好・特技

  • 熱狂的な読売ジャイアンツファンであり、野球について語りだすと止まらなくなる。巨人が勝てば何でも良いという古風なタイプのファンだけに、理想の試合展開は100対0の圧勝であって、安心して見ていられる試合だと番組で述べている。また、ジャイアンツが勝利した次の日はスポーツ新聞を全紙購入し、負けそうな試合の時はテレビを消してしまい、次の日はスポーツ新聞を一切見ないと周囲にも周知徹底させている。
  • 野球については基本的には右打ちだが、左でも打てることを幾度となく披露してスイッチヒッターであることを主張している。
  • 特技としては、クイズ暗算等、頭を使うものが得意である。しかし年を重ねるにつれ、ものの名前が出てこなくなることが多くなり、「アレ」という言葉を多用しては周囲にバカにされている。後輩に「お茶取って」と言おうとして「ソファー取って」と口走るなど、不可解な間違え方をすることもまれにある。しかし暗算は現在も得意なようで、リンカーンでフラッシュ暗算に挑戦しみごと全問正解したこともある。
  • クイズに関してはオールスター感謝祭で優勝、クイズ$ミリオネアで1000万円に挑戦するところまで2度いき、初期のクイズ!ヘキサゴンでも優勝、ウィーケストリンクの芸人大会で300万円を獲得したという実績が残し、賞金総額は1000万円を超えているという。
  • 内村さまぁ~ずの企画である大自然クイズでも正解率は高く、幅広い問題にも答えられる知識を持つ。
  • ツナ缶ピーナッツが大好物で、特にピーナッツには拘りがある。上記のように太ってしまった一因でもあり、「内村プロデュース」ではピーナッツのような輪郭になってしまったことから『ピーナッツおじさん』と呼ばれてしまっていた(映画『ピーナッツ』に掛けているとも考えられる)。三村曰く「ピーナッツの味がするのは芽の部分で、それを取ったらただのカリカリしたもの」らしい。
  • 就寝前のビールとピーナッツでの晩酌に目がなく、毎日欠かせない。おかげでメタボリック体形となり、後述のとおり高尿酸血症になって痛風発作をひき起こした。
  • 喫煙しているタバコマイルドセブン。マイルドセブンを吸っている理由の1つは、本人によると「代表的な銘柄のため、日本中どこに行っても売っているから」である。
  • 女性に対する志向としては、しとやかだが地味に前向きに取組む女性を好む。収録の際に、前向きに取組むアシスタントディレクターや音声効果などの女性スタッフの姿に惹かれることも多い。好みの女性芸能人は、小倉優子深田恭子ミムラなどである。
  • 大のポケモン好き。

[編集] 弱点

  • 全般的に動物が苦手。特に、ロケ中に攻撃された経験からを恐れる。(仕事のNGにもなっている)
  • 桑田佳祐の「祭りのあと」や、佐野元春の「SOMEDAY」を好み、カラオケで好んで歌うが、かなりの音痴である。リンカーンの「ワンフレーズカラオケ」のコーナーでは、三村が歌い終わった際、松本人志に「わざとやろ」「受けたいだけやろ」「茶番や」などとツッこまれたり、2006年12月27日放送の笑っていいとも!年忘れ特大号!でも「ランキングバトル めざせぴったり21 特大号SP」のカラオケに「祭りのあと」で挑むが、中居正広の「ありがとう」に5点差で敗れ最下位になったこともある。ちなみに桑田は自身のラジオで交流が深い芸能人にさまぁ〜ずをあげることが多い。
  • 極度の方向音痴で、テレビ局でトイレに行くと楽屋に帰って来られないほどらしく、大竹いわく「三村一人で現場に来られた時には(感動で)泣きそうになる」という。

[編集] 家族

  • 夫人(通称:みゆみゆ)とは、アルバイト先のレストラン「ワンオーナイン(109)」で大竹とともに知り合った。夫人は当初、大竹を慕ってデートをしていたが、三村が割り込んで交際を始めた。バカルディの活動が低迷し、結婚して家庭を築くことにはかなりの勇気が必要だったが、三村は20歳代で結婚したいとの願望が強かったため、平成8年(1996年)8月8日に入籍した。
  • 1男1女の父親で、「子供の入学式でその成長ぶりに号泣した」(本人談)や、子供が演劇でカラスの役をやった際にも、子供が舞台に出た瞬間成長が見えて泣きそうになった、など子煩悩であり、密かに「ベストファーザー賞」受賞を狙っている。
  • 家族想いで、家族そろってハワイや沖縄などのリゾート地に出かけ、浜辺で遊んでいる家族の姿をゆったりと眺めるのを幸せに感じている。
  • 長女は、3歳すぎから「~かよっ!」という言葉を使いはじめ、6歳過ぎからボケを習熟するようになり、そのボケに対して本気でツッコミを入れないと不機嫌になり怒りはじめるようになった。また、三村は長女の顔に手を当てた際に「パパは鶏肉のにおい」と言われ非常に落ち込んだ。
  • 家族で出演した番組(「げりらっパ万博へ行こう!)で大竹から「大きくなったら何になるの?」と聞かれた長女は「お笑い」と答え、三村を驚かせた。その後自分が苦労してきたためか「それはあんまりやめた方がいいよ・・・」と、やんわりと言って聞かせ、娘想いの父親らしい一面を見せた。
  • 前述「げりらっパ」出演時には妻と子供2人も素顔で出演するが、後にくりぃむナントカに三村が子供2人と偶然出演することになった時には子供2人の顔には三村の希望でモザイクがかけられた。
  • 『モヤモヤさまぁ〜ず2』では、とれ高サイコロでお金を使う目が出ると、家族のためにお土産や日用品を購入することがある。2008年5月8日放送の『トシガイ』に出演した際には、渡された40万円のうち、33万円でオーダーメイドのキャビネットライトを購入し、7万円で自身と長女と長男のグローブを購入した。
  • 三村が『鳥のささ身』好きであるために、三村家では月に一度”ささ身フライの日”がある。

[編集] 健康

  • 部がO脚質で、足首が脆い。演目においてツッコミを行う際、右足を踏み出し左足を伸ばすポーズを頻用するため、左足に負荷がかかり左足首をしばしば捻挫する。
  • 2004年4月7日放送回の「内村プロデュース」の収録中に左前十字靭帯を断裂し全治3ヶ月の重症、さらに完治直後の同年7月19日放送回の「内村プロデュース」の収録中において、今度は右膝前十字靭帯を断裂して再度全治3ヶ月の重傷を負った。治療通院先の東京都世田谷区にある駒沢病院の主治医には、短期間のうちに両足の十字靭帯を同じ個所で断裂したことを非常に珍しがられた。
  • 「内村プロデュース」の健康診断企画に際しては、元来の体質に加えて不摂生がたたり尿酸値がやや高値であることが判明したが、その後、特に生活サイクルや食餌摂取を改善することもせず、後に同番組で本当に高尿酸血症になってしまったことをカミングアウトしている。2008年2月6日放送回分の「リンカーン」収録時にはついに右足首に痛風発作を発症、症状が悪化したため収録を一時中断して病院に加療に向かい、退院後は足を引きずりながら何とか収録をこなした。
  • 痛風発作が収まった2008年2月20日放送回の「さまぁ〜ず×さまぁ〜ず」においては、痛風発作時の激痛について、発作時の周囲のスタッフの反応、主治医からの尿酸の元になるプリン体を多く含む食品摂取制限指示についてや、同医が処方する好中球活動抑制抗炎症薬鎮痛剤の効き目が優れていることなど、収録の大半が「尿酸・プリン体および痛風発作」ネタで占められた。
プリン体を多く含む食品類は、ビールなどの醸造酒エダマメピーナッツなどの類、黄身イクラ白子などの類、燻製類など、酒飲みの好物が多く、それらについておしなべて主治医から摂食制限を受けるようになったものの、三村は比較的プリン体含有量の少ない蒸留酒である「焼酎ウーロン割りを飲むから大丈夫」と強がった。

[編集] エピソード

[編集] 下積「松風荘」時代のエピソード

  • 「松風荘」でつましい生活をしていた頃、三村は女性2名と二股交際をしていた。某日、松風荘の自室で片方の彼女とくつろいでいた際に、もう片方の彼女から三村の部屋を訪問していいかとの電話があったため、とっさに間違い電話のふりをして受話器を切り、在室中の彼女に対しては、三村への入門希望者からのおかしな電話だったと説明してその場を取りつくろった。結局後日、この件が両名にばれてしまい、2名の彼女と同時に破綻してしまった。
  • 「松風荘」の部屋には、相方の大竹もよく遊びに訪問したが、いつも深夜まで2人で大騒ぎしてファミコンに興じたため、その騒音を大家に怒られた。大竹と「ファミスタ」でペナントレース風130戦対決を行い、敗北。その際、三村は悔しさからファミコンカセットを窓外へ投げ捨てて破壊し、さらに部屋の鏡を殴りつけて右手甲を骨折した。

[編集] 収録関係のエピソード

  • 2005年1月1日の『内P』元日スペシャルのコーナー「露天風呂だるまさんが転んだ」では、ゴールしそうなふかわりょうらの背後へいつのまにか回り込んでいて、動きを止められている隙に「」をもみしだきゴールを次々と阻止。しばらくの間ゴールしようとせず妨害に熱中、最早妨害行為自体が目的化していた(最終的には優勝)。その際に「職人の顔をしていた」とのことから『玉職人』の称号を与えられる。元日にしか登場することのないキャラという設定が、このキャラの希少価値を高め伝説化した。この玉職人は、三村も参加するユニット・NO PLANのアルバム『SUMMER PLAN』に楽曲として収録されている。また、翌年の元日スペシャルでは「露天風呂だるまさんが転んだ」が中止になったため、『玉職人』は2005年の初登場以来約2年間、披露する機会がなかったことも伝説に拍車をかけた。その後、『玉職人』は2007年1月放送の『内P』新春スペシャルで2年ぶりに復活。途中有吉弘行から掟破りの玉もみ返し(逆玉)を受けるも、「露天風呂だるまさんが転んだ」3度目の優勝を果たし、職人芸健在を見せ付けた。
  • 2005年10月23日に特別番組『内村プロジェクト』内で放送された「マイカーで教習所対決」で、ふかわりょうの愛車「黄色いワーゲン」のフロントグリルを破壊。そのダメージの大きさに本人も罪悪感を覚えてしまい、思わず手でふかわの目を覆っていた。本人の愛車はゼネラルモーターズ社製のGMC Envoy。所ジョージに見立ててもらったもの。
  • 愛車の左フロントタイヤのセンターキャップがないことを内村さまぁ〜ずで指摘される。(2008年7月1日配信分)
  • 『内P』のドッキリ企画「リアル性格王」において、ほぼ100%の確率でだまされている。「朝、後輩の運転で仕事場へ → 大竹を迎えに行く → 途中コンビニに寄る」という一連の行動は同コーナーのお約束になっている(対照的に大竹は、警戒心が強い性格のため、ほとんどひっかかったことがない)。
  • そのだまされやすい性格とオーバーなリアクションゆえか、2005年4月-2006年6月(1年2ヶ月)にかけて、計6回というハイペースでドッキリを仕掛けられている。さすがに本人も警戒するようになり、最近では『リンカーン』のドッキリを見破り、カメラを見つけ出したこともある。
  • 2004年10月27日放送回の「ぶっちゃけ!ナインティナイン」において、三村の高校の卒業文集作文とされる「猿のように」が公開された。しかし、この文稿は、番組リハーサル入稿締切前日に三村と大竹が焦って急造したフェイクであったことが判明した。
『猿のように』
俺の高校生活は猿みてーに速かった。
亀づらしているが、猿みてーに速かった。
俺はこの三年間で遅刻は何度かしたが休みは一日もない。
みんなと一日でも会わないとしょうがない
世界一のさみしがり屋さんだからだ。
俺は学校にきて俺のギャグを見てもらいたくて家でレポートやらないで、
一日中ギャグを考えていたこともあった。
まあ俺はどうせ表街道は歩けない。
こうなりゃとことん裏街道をつっ走る。
どう夢がやぶれようが俺は俺だ。
猿のように、猿のように速い・・・・・・?
これが俺の人生さ。
  • 「げりらっパ」最終回(2008年9月23日放送分)で共演NGの猿と久々に共演。飼育箱に入れられた猿の足元にある私物のニンテンドーDSを取り返すと言うもの。非常に怖がるも最後はあっさり猿にニンテンドーDSを渡される。
  • 内村さまぁ〜ず」内で、3球で背面キャッチを成功させる。しかも、1球目からグラブに当てており、「俺、背面キャッチかもしんない、特技。」と言い切る。
  • 2008年7月5日にリンカーンの企画で横浜スタジアム横浜阪神戦の試合前には横浜のユニフォームを着て巨人の帽子をかぶるというスタイルで登場し、横浜ファンどころか阪神ファンからも大ひんしゅくを買った。一度はその雰囲気に耐えきれず土下座したが、その後にマイクで「ジャイアンツ勝つぞー!」と口走ってしまい、スタジアム中から「帰れ」コールを浴びせられた。ただ、デビューして間もないころは阪急山田久志がお気に入りだったという。

[編集] 放送事故

名古屋大乱闘事件
深夜の生放送ロケで、さまぁ〜ずが名古屋市内を自転車に乗って疾走するという企画の最中、周囲にいた若者たちが悪ふざけでスタッフ達に絡みだし、三村の乗っている自転車を引き倒して派手に転倒してしまった。これをきっかけに周りにいた若者達とスタッフがもみ合って大乱闘になってしまった。
この時画面は、乱闘が始まってから「電波が乱れています・・」等のテロップと共に約12分間放送がストップ。放送再開後は既にスタッフ全員がバスの中に避難していた。警察も出動する騒動であったが、番組自体は一生懸命言い訳をしながら放送終了までごまかした。
この事件に関しては、騒ぎの発端となる行為をした若者を批判する意見と、「生放送にしてはあまりにも無防備すぎた」という、番組側の配慮が不充分であったことを指摘する見解がある。

[編集] 主な出演作品

以下はすべて三村単独出演のもの。コンビとしての出演番組はさまぁ〜ずの記事を参照。

[編集] バラエティ番組

[編集] 現在

[編集] 過去

ほか

[編集] 報道・スポーツ

  • Cx Sports Sunday(フジテレビ739)

[編集] テレビドラマ

[編集] CM

  • シャープ 『日本一短いクイズショー シャープに答えて!』

[編集] 関連項目

[編集] 脚注・出典

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  1. ^ 2009年4月号『日経エンタテインメント!』インタビューより

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月4日 (水) 13:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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