三田 (東京都港区)
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三田(みた)は、東京都港区の地名。現在の住居表示では三田一丁目から三田五丁目まである。当地域の人口は、14,836人(2009年4月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。
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[編集] 概要
三田一丁目と三田五丁目の古川(渋谷川)沿いの低地には住宅地・商店街が混在している。また三田二丁目の高台には高級住宅地が広がり、三井倶楽部(旧三井邸)、駐日オーストラリア大使館(旧蜂須賀侯爵邸跡地)などがあり、低地には慶應義塾大学がある。三田三丁目には主に商業地が広がる。三田四丁目は寺町となっており、三田台の上下にわたって寺院が数多く存在する。
「三田」の名の由来は、この地に朝廷に献上する米を作る屯田(みた)が存在したからとも、伊勢神宮または御田八幡神社の神田(みた)があったからともいわれる。江戸時代は大名屋敷や御家人の屋敷がならんだ。三田四丁目の周辺には旧三田台町の台地が広がり、江戸時代には歌川広重によって月の岬として描かれるなど風光明媚な地として知られた。
目黒区にある三田は目黒三田とも呼ばれ、現在では港区三田とは遠く離れた別個の町であるが、元来は同じ三田郷を起源とする荏原郡三田村の飛び地であり、同一の村に所属していた。
現在では、三田キャンパスを持つ慶應義塾大学との関係が深い。慶應義塾は芝新銭座で発足したが、当時から慶應義塾で学ぶことを希望する者が多く、すぐに手狭になった。そこで三田(港区三田)の島原藩中屋敷跡地を貸し下げられ(翌年払い下げ)、以来三田を本拠地として雄飛していくことになる。第二次世界大戦前には全国で「三田の理財、政治の早稲田、駿河台の法科、白山の哲学」と謳われ、三田といえば慶應義塾を示すこととなる。現在も慶應義塾の代名詞として、三田という地名が使用されることがある。また、塾員も三田という地に愛着をもっており、塾員の集う同窓組織を「三田会」と命名しているのはその表れであろう。
[編集] 歴史
- 戦国時代までに、荏原郡三田郷として成立する。三田の名は、吾妻鏡の中の正嘉2年(1258年)3月1日の条にすでに記されている。
- 江戸時代初期、三田郷の地に三田村が成立し、荏原郡に所属する。
- 寛文2年(1662年)、三田村に商家が立ち並ぶようになり、その地域が三田一丁目~三田四丁目、三田台町一丁目・三田台町二丁目などとして三田村から分離し、町奉行支配となる。これ以降、延宝年間までの20年ほどの間に計14ヶ町が次々と三田村から独立し、町奉行支配となった。このとき新たに成立した三田14ヶ町は、三田一丁目~三田四丁目・三田台町一丁目~三田台町二丁目・三田同朋町・三田久保町・三田古川町・三田豊岡町・三田老増町・三田南北代地町・三田台裏町・久保三田町。
- 明治元年(1868年)、東京府成立にともない、三田地区の町と三田村は東京府所属となる。
- 明治2年(1869年)、三田地区の一部に町域統廃合が行われ、三田久保町・三田南北代地町などが消滅し、代わりに三田小山町・三田松坂町などが成立する。
- 明治4年(1871年)、三田二丁目に慶應義塾が移転してくる。
- 明治5年(1872年)、三田地区の武家地・寺地が新たに町として独立することになり、三田四国町・三田綱町・三田南寺町などが起立される。
- 明治11年(1878年)、芝区・麻布区の成立にともない、三田地区の町と三田村の大半は芝区に、また一部は麻布区の所属となる。
- 明治22年(1889年)、三田村の残余部分(現在の目黒区三田)が隣接する荏原郡目黒村に編入され、三田村が消滅する。
- 昭和22年(1947年)、芝区が麻布区・赤坂区と合併して新たに港区が成立する。それにともない三田地区の町名に「芝」の冠称がつく。
- 昭和39年(1964年)7月1日、住居表示の実施にともない、三田地区のうち芝三田四国町・芝三田同朋町が港区芝に編入される。
- 昭和42年(1967年)7月1日、住居表示の実施にともない、三田地区の大部分と周辺地域を併せて港区三田が成立する。また、三田台町三丁目・三田松坂町の一部は港区高輪となる。
- 昭和44年(1969年)1月1日、住居表示の実施にともない、三田地区の残余部分(三田老増町)が港区白金となる。
[編集] 住居表示実施前後の町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部・かつての芝三田地区は太字) |
|---|---|---|
| 芝二丁目 | 1964年1月1日 | 芝三田四国町、芝金杉一~四丁目、芝金杉河岸、芝新堀町、芝新堀河岸、芝西応寺町 |
| 芝三丁目 | 芝三田四国町、芝新堀町、芝新堀河岸、芝松本町 | |
| 芝四丁目 | 芝三田四国町、本芝一~四丁目、本芝入横町、本芝下町、本芝材木町 | |
| 芝五丁目 | 芝三田四国町、芝三田同朋町、芝田町一~三丁目など | |
| 三田一丁目 | 1967年7月1日 | 芝三田小山町、芝新門前町、芝新門前河岸、芝赤羽町、麻布飯倉町五丁目 |
| 三田二丁目 | 芝三田一・二・四丁目、芝三田綱町、芝三田北寺町、麻布新広尾町一丁目 | |
| 三田三丁目 | 芝三田二~四丁目、芝三田功運町、芝田町四~九丁目、芝通新町 | |
| 三田四丁目 | 芝三田四丁目、芝三田北寺町、芝三田南寺町、芝三田台町一~三丁目、芝三田豊岡町、 芝三田功運町、芝三田松坂町、芝通新町、芝伊皿子町 |
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| 三田五丁目 | 芝三田豊岡町、芝三田松坂町、麻布新広尾町二丁目 | |
| 高輪一丁目 | 1967年7月1日 | 芝三田松坂町、芝三田台町三丁目など (その他については高輪の項を参照のこと) |
| 白金一丁目 | 1969年1月1日 | 芝三田老増町、芝白金三光町、芝白金志田町、麻布新広尾町二丁目、麻布田島町 |
| 白金二丁目 | 芝三田老増町、芝白金三光町、芝白金台町一丁目 |
[編集] 施設・名所
- 三田一丁目
- 東京都済生会 中央病院
- 国際医療福祉大学附属三田病院
- 三田国際ビル
- 駐日パプアニューギニア大使館
- 港区立赤羽小学校
- 東京都立三田高等学校
- 銀杏稲荷大明神
- 神明坂
- 三田二丁目
- 慶應義塾大学
- 綱町三井倶楽部
- 駐日オーストラリア大使館
- 駐日イタリア大使館
- 春日神社
- 慶應義塾中等部
- 慶應義塾女子高等学校
- 駐日ハンガリー大使館
- 綱坂
- 綱の手引き坂
- 津國屋(150年の歴史を誇る老舗の酒屋)
- 日向坂
- 三田三丁目
- 三田四丁目
- 三田五丁目
[編集] 交通
- 国道1号(桜田通り) - 赤羽橋交差点~魚籃坂下交差点
- 国道15号(第一京浜) - 札の辻交差点~泉岳寺交差点手前
- 東京都道301号白山祝田田町線 - 赤羽橋交差点~札の辻交差点
- 東京都道319号環状三号線 - 新一の橋交差点~赤羽橋交差点
- 東京都道409号日比谷芝浦線 - 札の辻交差点
- 東京都道415号高輪麻布線 - 新一の橋交差点~伊皿子交差点先
- 東京都道416号古川橋二子玉川線(明治通り) - 古川橋交差点
[編集] ギャラリー
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「津國屋」 |
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[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月19日 (木) 06:57 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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