三篠橋
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| 三篠橋 | |
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| 画像募集中 | |
| 所在地 | |
| 幅 | 25.7m |
| 形式 | 5径間連続鈑桁橋 |
| 素材 | 上部工:鋼橋;下部工:RC構造;基礎工:? |
| 橋の分類 | |
| 形式 - 国 | |
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| 橋の一覧 | |
三篠橋(みささばし)は、広島県広島市の旧太田川(本川)に架かる道路橋。
目次 |
[編集] 概要
城北通り筋(広島県道84号東海田広島線)にかかる橋。橋名の由来は下記歴史参照。左岸側は桜の名所の一つであり、アンダーパスが整備されており歩行者は橋下をくぐることができる。
西にはJRおよび広島電鉄横川線の横川駅があり横川商店街が広がる。東は広島城の北側にあたり、広島市立基町高等学校などがある。最寄の駅は広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)城北駅となる。
上流にJR山陽新幹線および山陽本線の鉄橋、下流は天満川との分流点となる。
[編集] 歴史
「三篠」の名は、本川の別名「御篠川」に由来する(三篠町#地名の由来を参照)。戦前までこのあたりは三篠町と呼ばれ、本川も下流にある天満川分流点まで「三篠川」と呼ばれていた。
1932年(昭和7年)、横川駅から広島城鎮台やその南に広がる「西練兵場」(現在の広島市民球場付近から現橋東詰上流付近まで)を結ぶ、鉄筋コンクリート桁橋として架橋される。当初は鉄製高欄を用いていたが、太平洋戦争にはいると金属回収令によりすべて軍事供出され、石製高欄に替えられた。
1945年(昭和20年)8月6日原爆被災(爆心地より約1.47km)。笠石をはじめとする高欄は爆風方向に倒れ南側は橋上に北側は川に落下、橋自体も大破したがかろうじて通行することができた。この橋下流側には、練兵場にいた兵士が血だるまとなって横たわった。3、4時間後には多数の死体が川面に浮いていた。同年9月の枕崎台風および同年10月の阿久根台風による水害により、橋脚がながれてしまう。
戦後もこの橋は直され使われてきた。ちなみに1947年(昭和22年)に広島市立中学校(現在の基町高校)が現在地に移転している。その後、城北通り整備に伴い常盤橋と共に架け替えが行われ、1972年(昭和47年)7月に現在のものが竣工される。その後1978年(昭和53年)に旧橋は全撤去された。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 広島原爆戦災誌 第二巻第二編PDF - 広島市
- 戦前土木絵葉書ライブラリ - 土木学会図書館
- 横川の歴史 - 横川商店街
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