三越事件
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三越事件(みつこしじけん)とは1982年に三越で発生した一連の事件の総称である。有名な老舗百貨店を舞台にしたスキャンダラスなと劇的な社長交代劇という事件になったため、当時大きな注目を集めた。
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[編集] 事件の経緯と内容
1982年6月17日、納入業者に対し商品や映画前売券等の購入を要請(押し付け販売)、協賛金や派遣社員を要請、種々の催し物への費用負担の要請につき独占禁止法第19条の不公正な取引方法(優越的地位の濫用)にあたるとした審決を受ける(公正取引委員会昭和57年6月17日同意審決)。大和運輸(現・ヤマトホールディングス)は創業以来三越の専属配送業者だったが、このような要求をされたことから1979年に絶縁している。
同年8月28日、「古代ペルシャ秘宝展」の出展物の大半が贋作である事が判明。
当時の社長であった岡田茂が愛人の「三越の女帝」こと竹久みち(本名:小島美知子)の経営する「アクセサリーたけひさ」に不当な利益を与えていたり、自宅の改修費用に会社の金を流用していたりした問題まで出てきた。
同年9月22日、取締役会で5つの議案の審議が終わった後、岡田は腹心の杉田忠義専務に議長を交代した。そして岡田に渡された議案には書かれていない第6号議案、岡田解任決議案が杉田から発議され16対0[1]で可決成立し、その場で岡田は非常勤取締役に降格となった(他の取締役から「キミ、会議は終わったのだよ」と声をかけられても「なぜだ……」と力なく呟き続けていたという)。この時に岡田が発したとされる言葉「なぜだ!」はこの年の流行語となった。
後任には岡田によって飛ばされた名古屋三越社長の市原晃が就任し、信頼回復に全力を尽くした。
後日、岡田と竹久は19億円の特別背任の容疑で逮捕され同罪に問われた。岡田には高裁で懲役3年の実刑判決が下り、上告中の1995年7月20日に死去し公訴棄却。竹久は最高裁まで争ったが懲役2年6月、罰金6000万円の実刑判決が確定。その後2009年7月24日に病死した。
[編集] 小説
高杉良の「王国の崩壊」(新潮文庫)は岡田を、大下英治の「小説三越・十三人のユダ」は岡田の解任劇までをモデルにした経済小説である。
[編集] 脚注
- ^ 商法第260条の規定により岡田の進退問題に関する議決のため、岡田自身には議決権がなかった。
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月25日 (水) 13:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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