三遊亭好楽
三遊亭好楽の最新ニュースをまとめて検索!
| さんゆうてい こうらく 三遊亭 好楽 |
|
![]() 三ツ組橘は、圓楽一門の定紋である(ちなみに笑点では「八角かたばみ」を使用してる)。 |
|
| 本名 | 家入 信夫 |
|---|---|
| 生年月日 | 1946年8月6日(63歳) |
| 出生地 | |
| 血液型 | B |
| 活動期間 | 1966年~ |
| 活動内容 | 落語家 |
| 備考 | |
| 旧名・林家九蔵。 三遊亭王楽は長男。 |
|
三遊亭 好楽(さんゆうてい こうらく、1946年8月6日 - 、本名、家入 信夫(いえいり のぶお))は、落語家。円楽一門会所属。東京都豊島区東池袋生まれで荒川区西日暮里在住。B型。
目次 |
[編集] 人物
出囃子は『ずぼらん』(或いは師匠5代目三遊亭圓楽と同じ『元禄花見踊り』)。演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバーとして知られる。前名は林家九蔵。実の息子は、落語家の三遊亭王楽。
競馬ファンとしても知られており、報知新聞に予想記事を掲載していたが、まったく当たらずクビになったことが何度かある。
息子の一夫も落語家で、弟弟子にあたる。高座名は三遊亭王楽。このほか、一般人の長女と雑司が谷で店を開いている次女がいる(いずれも王楽の姉)。
『笑点』の共演者である林家木久扇は、8代目林家正蔵(後の彦六)一門にいた当時の兄弟子でもある。
師匠・彦六は、早逝した息子・信男と同じ読みで子供の頃に父親を亡くしている好楽(当時・九蔵)を実の息子の様に可愛いがっていたという。なお、彦六は王楽の本名(家入一夫)の名付け親となっている。意識不明で入院していた彦六の横で「師匠、死んじゃ嫌だ」と絶叫し、後に意識回復した彦六が「あんなに泣かれたら起きるしかあるめえ」と言ったエピソードもある。
その反面、前座時代は三遊亭鳳楽(当時・楽松)・6代目三遊亭圓橘(当時・朝治)ら同期で飲んだくれては叱られていた様で、兄弟子5代目春風亭柳朝と一緒に師匠正蔵に謝ってもらったりと、その失敗談の数々を聞いた林家たい平曰く、「よく破門にならなかったと思うくらい豪快」。今でも酒の量は半端ではなく、新幹線乗車時間1時間に対し、ひとり頭5本はビールを買ってくる(たい平著書『笑点絵日記』参照)。木久扇も著書にて「大の酒好き」、「なかなかの豪快な九州男児」と記している(※正確には好楽の両親が熊本出身であり、好楽自身は東池袋生まれ)。
新幹線の発車1時間前にはホームに行く彦六(たい平著参照)と、笑点収録の集合時間の1時間半前には楽屋入りを済ませる5代目圓楽(『笑点諸国お笑い漫遊記』参照)と、せっかちな師匠2人についた好楽は、事前行動が早いようで、メンバーで一番若手で最初に楽屋入りするべきのたい平よりも収録に早く来てしまう。但し、前述の酒好きの為、九蔵時代と好楽になってから間もない頃はその為もあってか何度か寝過ごしては注意を受け、列車での車庫入りも経験している。
意外にも運動神経は抜群で趣味のスカッシュではシニアランキング日本4位。ゴルフはシングルプレイヤー。
[編集] 大喜利メンバーとして
1979年から三笑亭夢之助の後任としてメンバー入りし、1983年10月に古典落語の修業に専念するため卒業して4年半のブランクはあったものの、30年近くに渡り出演している。好楽(当時・九蔵)を笑点に誘ったのは現師匠・5代目三遊亭圓楽。『笑点』40周年を記念して発売したオフィシャル本では、『笑点』の前身番組『金曜夜席』のファンだったので、いずれは『笑点』に出演したいと勝手に思い込んでいたと語っている。
着ているピンクの着物から、「ピンクの小粒コーラック」とも称される[1]。ピンクの着物はこのコマーシャルコピーにかけていると考えられることもあるが、実際には好楽改名前にピンクを着用しており、コーラックとは無関係である。小圓遊急逝後、古今亭朝次加入以降、1983年の一時降板までは現在小遊三が着用している水色の着物を着用していた。なお、『笑点』の公式HPでは、好楽が歴代のピンクの着物を着用した落語家は出演期間が短いというジンクス(これを、「呪われたピンクの着物」と称している)を破り、平成のラッキーカラーになったとしている。
1988年に笑点復帰後、僅か1ヶ月で座布団10枚を獲得した(賞品はテレホンカード)。復帰した当時は司会席のすぐ隣に座っていたが、答えた後に「師匠どうでしょう」と聞くなど司会の5代目圓楽への遠慮が見られたため、1992年4月に隣の小遊三と席を入れ替えた。
九蔵時代は木久扇(当時・木久蔵)の弟弟子として「与太郎その2」的な役割を持ち、若く元気な印象が強かったが、5代目圓楽一門への移籍を機にキャラクター転換をしており、メンバーの中で目立ちにくいポジションに収まっている。
歌丸司会就任後、さらにキャラクターが変わり、圓楽司会時代の一歩引いた目線は残しつつ、「職無し」・「貧乏」・「銀座でのおしぼり配りのバイトで食っている」・「娘の店が潰れた」・「人気が無い」・「激安のギャラで落語をしに来る」・「王楽って子のギャラが高い(=親の方がギャラが安い)」などの自虐キャラが定着し現在に至る。九蔵時代に見られた木久扇との掛け合いも増えている。
なお、5代目圓楽は笑点オフィシャル本中のインタビューで大喜利での好楽について日本でも人気となったアメリカのテレビドラマ「コンバット!」でリック・ジェイソン(スマートでクールなキャラクターのヘンリー少尉役を演じた)の路線で落ち着いてやると良いとコメントしている。
大喜利でのキャラクターについては「大喜利 (笑点)#三遊亭好楽」を参照
[編集] 略歴
- 1962年 - 京華商業高等学校入学。
- 1966年4月 - 8代目林家正蔵(後の彦六)入門。林家九蔵を名乗る。
- 1971年11月 - 二つ目昇進。
- 1979年 - 『笑点』のメンバーになる。
- 1980年 - 4代目三遊亭小圓遊死去により高座着がピンクから水色に変更(新加入の古今亭朝次がピンクの高座着を引き継ぐ)。
- 1981年9月 - 真打昇進。
- 1982年 - 師匠彦六死去。
- 1983年4月 - 彦六の死に伴い、5代目圓楽門下に移籍。"好楽"への改名はこの時。同時に落語協会から大日本落語すみれ会(現在は円楽一門会)へ移籍。
- 同年10月 - 『笑点』卒業(入れ替わりに加入したのが三遊亭小遊三で水色の高座着を引き継ぐ)。
- 1988年 - 桂才賀の卒業に伴い『笑点』に復帰(ピンクの高座着が復活)。
- 2005年 - 荒川区で始まった無料落語会(席亭は区長の西川太一郎)を協力、支援。
- 2006年 - 芸歴40周年、還暦祝いも含めたゲスト多数の落語会『好楽ちゃん祭り』を数日開催(※企画は王楽)。
[編集] TVなどの出演歴
[編集] 過去
- 『パネルクイズ アタック25』(朝日放送制作・テレビ朝日系列、2006年9月3日放送分の芸能人大会にかつての兄弟子・木久蔵(現・木久扇)とともに出場、赤の解答席に座った)
- 『笑いの金メダル』(朝日放送制作・テレビ朝日系列、2006年9月3日放送分の「結婚式スピーチ選手権」の審査員として出演)
- 『日本の話芸』(NHK教育・総合、2007年6月2日昼の本放送分・翌3日朝の再放送分に出演、演題「替り目」)
[編集] CM
《現在》
《過去》
- サザエ食品「十勝おはぎ」(北海道ローカル)
[編集] 一門弟子
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
最終更新 2009年11月17日 (火) 03:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【三遊亭好楽】変更履歴



