上原正三

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上原 正三(うえはら しょうぞう、1937年2月6日 - )は、日本の脚本家沖縄県出身。

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[編集] 略歴

中央大学文学部を卒業し一時帰郷後、芸術祭シナリオに佳作入選。授賞式出席のため再上京。同郷の金城哲夫を手伝うため円谷プロに入社することになる。 『ウルトラQ』の一エピソード「宇宙指令M774」で脚本家としてのデビューを果たす。

ウルトラセブン』では、メインライターの金城が途中から『マイティジャック』に注力していたため、若手の上原と市川森一に多くの脚本が割り当てられた。上原は見事にその任務を果たし、次第にその才能を開花させていく。

1969年、金城が円谷プロを退社し、沖縄に帰郷するのと同時に、上原も退社し、フリーの脚本家となる。

1971年4月に放映開始された『帰ってきたウルトラマン』では、メインライターに指名され、第二期ウルトラシリーズの礎を築いた。つづく『ウルトラマンA』でも多数のエピソードを執筆。『ウルトラマンタロウ』で、一旦シリーズを離脱する。以降「ロボット刑事」からは東映作品中心に活動。特に「がんばれ!!ロボコン」や「秘密戦隊ゴレンジャー」は放送期間は長く大ヒットとなった。以降「時空戦士スピルバン」終了までは東映作品のほとんどに参加を果たす。

以後、一貫して子供番組の企画を担当、特撮アニメ作品の脚本を多く手掛けている。市川森一に「東芝日曜劇場」の執筆をしばしば勧められていた。子供番組よりも待遇がよいことを踏まえての忠告だったことは上原にも理解できたが、上原はこの勧めを断り、その後も子供番組の脚本を書き続けている。特撮作品では主に大学の先輩でもある東映・吉川進プロデューサーと組むことが多かった。

特にスーパー戦隊シリーズメタルヒーローシリーズの初期作品にメインライターとして参加、シリーズの基礎を築いた。1995年の『超力戦隊オーレンジャー』をもって東映作品を退く。その後は『ウルトラマンティガ』や『ウルトラマンマックス』など、ウルトラシリーズを散発的に執筆しており「ダイナ」を除き昔のオマージュであることが多い。

2009年7月下旬、1000本を越えるシナリオから50本を厳選したシナリオ集を刊行。書名は「上原正三シナリオ選集」。発行は現代書館

[編集] エピソード

  • 特撮ファン向けの雑誌や書籍にインタビューを受けることが多く、熱狂的なファンも多い。上原を尊敬するあまり弟子入りを志願する者は少なからずいるようだが、上原本人の主義として弟子は一切取る意思がなく、過去に弟子にした者も一人もいない。ネット上で勝手に弟子(愛弟子)を名乗る者もいるが、上原とは一切無関係である。
  • 上原の描くウルトラシリーズには、盟友である金城と同様に沖縄出身者としてのアイデンティティーが色濃く反映されている。『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」では、被差別者であるマイノリティをテーマに据え、その生々しいドラマで多くの視聴者に衝撃を与えた。
  • 題材として「サイボーグ」、「人間爆弾」、「メカ人間」を好んで採りあげる。また主人公は母親がおらず、父親のみの設定が多く、父親の名を一文字受け継いだものも多い。
  • 第一作目の『仮面ライダー』にも企画段階で参加していたとコメントしている。
  • がんばれ!!ロボコン』は特に乗って書いていたらしく「東映作品でこんなにすんなり行ったのはこれくらいだ」とコメント、その成功でを建てたという。結果的に子供向け作品としては異例の2年半の放送に導いた(本作も「人間社会でのロボット=異邦人」の姿を描いた作品である)。
  • 「ロボコンに100点を!!」と言うファンレターが届いた時には彼も「たまには100点でもよいのではないか?」と思ったと言う。
  • 『ロボコン』の最終回は自分の子供が『ロボコン』を見る年頃だったので、子供のために書いた」と述懐している。
  • 『がんばれ!!ロボコン』及び『ロボット110番』、『太陽戦隊サンバルカン』で組んだ鈴木武幸プロデューサーにかなりの信頼をおかれていた。
  • スーパー戦隊シリーズの脚本執筆本数は参加作品は少ないものの曽田博久についで、歴代2位の174作品である。
  • 宇宙刑事シャイダー』を劇場版2作を含め全話執筆したのはシャイダー/沢村大役の円谷浩が自身のデビュー作であるウルトラシリーズの円谷プロの家族であった事から「自身を育ててくれた円谷プロに恩返しをしたい」と思ったからだという。
  • 宇宙刑事三部作』などで組んだ田中秀夫監督を「職人」と評し、安心して脚本を任せることが出来たとインタビューにて語っている。
  • 数々の作品でコンビを組んだ小林義明監督について日本のジョン・カーペンター」と称し敬愛している。一方で「あの人(小林)は僕のホンが気に入らないと、自分でどんどん変えていっちゃう」と苦笑交じりに語っているがお互いに信頼関係はあったようで、数多の作品で多くの傑作を輩出した。
  • 『宇宙刑事』シリーズなどで組んだ小笠原猛監督は好きな脚本家という質問に対し上原の名前を挙げ、「突拍子もないアイデアを出してくるけど、それをちゃんと成立させる大人のホンヤ(ライター)」と上原について評している。
  • グランプリの鷹』のイザベルの死について「まさに僕の夢ですね。男のために死ぬ女性というのは」と述べている[1]
  • 5年続けたメタルヒーローシリーズを降板、その後ブランクを置いて『仮面ライダーBLACK』のメインライターに就任するも、ライダーに対する周りの期待からか、周囲からの意見がこれまでの作品に比べてあまりに多く疲れたといい、シリーズ初期にて番組を降りてしまう。
  • 近年の戦隊シリーズを多く執筆している荒川稔久が、作風において影響を受けた人物の一人である。あまりに影響を受けすぎて、荒川が『仮面ライダーBLACK』に参加したとき、彼がプロデューサーに提出するプロットは上原に似た作風のものばかりだったという。しまいには東映の吉川進プロデューサーに「上原正三は二人も要らないんだよ」と一喝されそれらはことごとくボツになったという。若い頃の苦い思い出だが、おかげで独自の作風を編み出すことが出来たと当の上原本人との対談で本人が語っている。
  • 『仮面ライダーBLACK』降板以降、東映や吉川プロデューサーとの縁も途切れたかに見えたが、自宅に数年ぶりに吉川から電話が掛かってきて、「今度やるライダーの映画を書かないか?」と誘われ執筆したのが『仮面ライダーJ』である。雑誌『宇宙船』インタビューにて、上原は同作品を執筆するにあたり前年度作品で杉村升脚本の『仮面ライダーZO』を強烈に意識したそうで、「特撮マニアが見たら『ZO』が面白いという意見が多いかもしれませんけど、子供が見たら『J』のほうが絶対に面白いと思ってくれる。自信はありますよ」と語っていた。

[編集] 主な作品

[編集] 脚本

[編集] 特撮

[編集] 円谷プロ製作作品

[編集] 東映製作作品

[編集] 映画 
  • ロボコンの大冒険」(1976年)
  • 「秘密戦隊ゴレンジャー 爆弾ハリケーン」(1976年)
  • ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー」(1978年)
  • 「劇場版 電子戦隊デンジマン」(1980年)
  • 「劇場版 太陽戦隊サンバルカン」(1981年)
  • 「劇場版 宇宙刑事シャイダー」(1984年)
  • 「劇場版 宇宙刑事シャイダー 追跡! しぎしぎ誘拐団 」(1984年)
  • 「劇場版 仮面ライダーブラック 鬼ヶ島に急行せよ」(1988年)
  • 仮面ライダーJ」(1994年)
  • 「劇場版 超力戦隊オーレンジャー」(1995年)

[編集] ピー・プロ製作作品

[編集] その他の作品

[編集] ドラマ

[編集] 時代劇作品
  • 彦佐と一心太助(1969年
  • 千葉周作 剣道まっしぐら(1970年
  • 熱血猿飛佐助(1972年

[編集] アニメ

[編集] 東映動画(東映アニメーション)東映本社製作

[編集] その他の作品

[編集] 演じた俳優

[編集] 出演

  1. ^ 赤星政尚・たるかす・早川優・山本元樹・原口正宏 『懐かしのTVアニメベストエピソード99〈東映動画編〉』 二見書房、1995年

最終更新 2009年10月25日 (日) 09:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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