上板橋村
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上板橋村(かみいたばしむら)は、かつて武蔵国豊島郡、後に東京府北豊島郡に存在した村の一つ。江戸時代初期に誕生した。歴史的な板橋のうち、西側の部分に相当する。
目次 |
[編集] 地理
現在の国道254号線(川越街道)「日大病院入口」交差点から旧川越街道の石神井川に架かる「下頭橋」にかけての地域である。板橋区の南西部分であり、地名では大谷口、大谷口上町、大谷口北町、上板橋、小茂根、桜川、東新町、常盤台、徳丸、東山町、南常盤台、向原、弥生町のほぼ全域および中板橋の一部、練馬区小竹町、旭丘のほぼ全域に相当する。
武蔵野台地上にあるが、中央に石神井川が流れているため傾斜となっている。
- 河川:石神井川
[編集] 歴史
板橋の地名はすでに平安時代には存在しており、江戸時代初期に上板橋村と下板橋村に分割された。
江戸時代となると大半が江戸幕府の天領となり、野方領に属した。川越街道(川越・児玉往還)の宿場町としては「上板橋宿」と呼ばれていたが、下板橋宿と異なり正式な村名は「上板橋村」であった。江戸側から下宿、中宿、上宿に分かれていたが、規模としては小さなもので、問屋場や本陣などは設置されず、名主屋敷がその代わりを果たしていた。また、江戸時代初期には下板橋と同じく、小竹村などのいくつかの集落に分かれていた。
1889年(明治22年)に市制町村制が開始されると、上板橋村は北豊島郡の中で最も発展しているとして飛地を除く単独で上板橋村となり、1932年(昭和7年)の板橋区の成立時には上板橋一 - 七丁目、小山町、茂呂町、根ノ上町、大谷口町、向原町、小竹町、江古田町となった。
[編集] 沿革
- 江戸時代初期:板橋村が上板橋村と下板橋村(下板橋宿)に分割される。
- 1868年(慶応4年、明治元年)8月7日(旧暦6月19日):武蔵知県事管轄区域となる。
- 1869年(明治2年)
- 1872年(明治5年)1月8日(旧暦1871年(明治4年)11月28日):浦和県が廃止され、東京府に編入される。また同時に、大区小区制により郡・町・村の呼称が廃され、第四大区十七小区に編入される。
- 1874年(明治7年):区画改正により第九大区四小区に編入される。
- 1878年(明治11年)11月:大区小区制が廃され、郡区町村編制法により北豊島郡が設置される。
- 1884年(明治17年):連合戸長役場が設置され、上板橋村は下練馬村、上練馬村、長崎村との四ヵ村連合となる。
- 1889年(明治22年)4月1日:市制町村制により、上板橋村独立。飛地は板橋町に譲る。
- 1932年(昭和7年)10月1日:東京市編入により、上板橋村は板橋町、志村、赤塚村、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村と合併され、板橋区となる。
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
[編集] 道路
[編集] 船舶
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 志村城
- 下頭橋
[編集] 関連項目
最終更新 2008年5月28日 (水) 04:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【上板橋村】変更履歴


