上野裕平
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 石川県金沢市 |
| 生年月日 | 1978年12月25日(30歳) |
| 身長 体重 |
183cm 78kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2000年 ドラフト2位 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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上野 裕平(うえの ゆうへい、1978年12月25日 - )は、読売ジャイアンツに所属していた元プロ野球選手。現在はスコアラーを務める。血液型はA型。
目次 |
[編集] 経歴
金沢辰巳丘高校を経て立教大学から2000年ドラフト2位(逆指名)で、読売ジャイアンツに入団。ポジションは投手。右投げ右打ち。
高校卒業時はドラフト1位候補と言われ、巨人がドラフト2位で獲得を狙っていたという噂もあったがプロを拒否。東京六大学野球では通算12勝13敗。大学3年の1999年秋、4勝をあげベストナインとなる。大学4年の2000年には通算20勝を期待されていた。春に肩を故障し出遅れてしまい、結局3勝にとどまった。各球団が手を引いた中で巨人だけがマークを続けてきた。ストレートは140キロ台前半(最高は147キロ)、フォークが決め球だった。立教大学野球部の選手が社会人野球を経由せず直接プロ入りするのは1988年(入団は翌89年)の矢作公一以来12年ぶりであり(理由は1989年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)#エピソードを参照)、巨人への入団は1972年の横山忠夫以来29年ぶりであった。
2001年8月8日に1軍登録される。リリーフで初登板、初奪三振を記録するも、2002年の自主トレ中に右足膝蓋腱痛を起こした後、夏には右肘に激痛が走り、右肘側副靭帯の部分断裂と診断される。オフの12月3日に手術。復帰を目指してリハビリを続けた。2004年8月25日、イースタン・リーグ・千葉ロッテ戦で手術後初登板を果たす。翌日、右肘には手術する前と同じくらいの激痛がなり、日常生活にも支障をきたすほどになってしまった。「明日には痛みが引くかもしれない」と淡い期待を抱きながら契約更改を延期、球団との話し合いを重ねながら自主トレに励んだ。しかし右肘は悲鳴を上げ続け、迷いに迷った末に2005年1月16日に引退を決断。19日に任意引退選手公示された。
度重なる故障に見舞われながらもひたむきに練習に取り組む上野の姿を見ていた球団は、スコアラーとしてチームに残留することを勧め、スコアラーの道を選んだ。「すごくありがたい話だった。今まで野球しかやってこなかったから、引退しても野球に関わる仕事に就きたいと思っていた」と語っている。
[編集] エピソード
[編集] 背番号
- 29 (2001)
- 31 (2002)
- 67 (2003-2004)
[編集] 年度別成績(一軍)
| 年度 | チーム | 登板 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 完投 | 完封 | 投球回 | 奪三振 | 与四球 | 与死球 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001年 | 巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0.00 |
| 2002年 | 一軍登板なし | ||||||||||||
| 2003年 | |||||||||||||
| 2004年 | |||||||||||||
| 通算 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0.00 | |
[編集] 外部リンク
asahi.com:高校野球ニュース「「大切な仕事」感謝で実感 「侍ジャパン」スコアラー・上野裕平さん」 - 高校野球
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年8月25日 (火) 07:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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