世界平和記念聖堂
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世界平和記念聖堂(せかいへいわきねんせいどう)は、広島県広島市中区にある、キリスト教(カトリック)の教会堂である。広島世界平和記念聖堂(ひろしませかいへいわきねんせいどう)、カトリック幟町教会(かとりっくのぼりまちきょうかい)等とも呼ばれる。カトリック広島司教区の司教座聖堂(カテドラル)であり、1985年6月15日から現在までヨゼフ三末篤實司教が教区長を務めている。
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[編集] 概説
第二次世界大戦前より、この地には幟町天主公教会があった。1945年8月6日の原子爆弾投下で、爆心地より1.2kmの所にあった教会は、聖堂が倒壊し、倒壊を免れた司祭館も延焼により焼失してしまう。その時、被爆したドイツ人主任司祭フーゴ・ラッサール(1948年、日本に帰化し愛宮真備(えのみや まきび)と改名)が、原爆犠牲者を弔い、また全世界の友情と平和、世界平和を祈念するために聖堂の建設を決意し、当時のローマ法王ピオ12世の支持を得た。これに、カトリック信者をはじめ、世界各地の真に恒久平和を願う人々の発願と多大な寄付により建設された。
建築にあたり戦後初めて建築設計競技が行われた。審査員は堀口捨己、吉田鉄郎、村野藤吾、今井兼次、フーゴ・ラッサール、グロッパ・イグナチオ(イエズス会建築家)、荻原晃(カトリック広島教区長)、朝日新聞社員が務めた。2位には丹下健三らが選ばれたが、1位は該当無しとされた。施主であるカトリック教会が丹下案と類似するオスカー・ニーマイヤー設計のパンプーリャの聖フランシス教会に見られる放物線シェル構造に関して、非宗教伝統的な形体と音響の悪さを嫌ったことが原因であった。代わって審査員であった村野藤吾が自ら設計することになったが、この経緯は建築設計競技の公平性や審査のあり方についての議論を呼んだ。このため、村野は設計料の受取りを辞退した。
聖堂は1950年8月6日着工、1954年8月6日完成し、RC造(鉄筋コンクリート)の建物に被爆地広島の土砂を使い、灰色のレンガを外観部に積み上げている。
1981年2月25日にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が、広島市を訪れて平和公園で平和アピールを発表した際に、この聖堂にも訪れている。
1983年に大規模な改修を行っている。この聖堂は、その構造上定期的な補修が必要である。
2006年7月、丹下健三設計の広島平和記念資料館(1955年、広島市中区中島町)とともに、戦後建築としては初めて国の重要文化財(建造物)に指定された。
[編集] 寄贈品
教会には、多くの世界各地からの寄贈品が使われている。
- 本祭壇 - ベルギー
- 玄関扉 - デュッセルドルフ市(ドイツ)
- 聖櫃 - ボン市(ドイツ)
- パイプオルガン - ケルン市(ドイツ)
- 祭檀中央モザイク壁画 - 西ドイツアデナウワー元首相
- 4つの鐘 - ボフメル・フェライン(ドイツ)
- ステンドグラス(上段) - オーストリア
- ステンドグラス(下段) - ドイツ・ポルトガル・メキシコ
- 十字架の道行きの彫刻 - ミュンスター市(ドイツ)
- 十字架像の彫刻 - オーバーアマガウ(ドイツ)
- 祭壇左右ローズウインドウ - アーヘン市フランシスコ・ザビエル・フェライン(ドイツ)
- 祭壇上ステンドグラス - ミュンヘン市聖ルドビコ布教会(ドイツ)ほか
聖堂入口前の池には、以前は水が張られて鯉が泳いでいたが、1981年にローマ法王が訪れる際に警備上の理由から水が抜かれ、その後もそのままになっている。
[編集] ミサの時間
[編集] 主日ミサ
- 08:00
- 09:30
- 14:30
- 18:00
- 18:00
[編集] 週日ミサ
- 07:00
- 10:00
金曜日のみだけ
- 18:00
第1金曜日のみだけ
[編集] 周辺
[編集] 結婚式
カトリック教会では、本来は信徒以外の結婚式は原則として受付けていないが、この聖堂では一般の結婚式も受け付けており、非常に人気がある。結婚式は、教会の典礼上結婚式ができない期間を除き、一日3組まで行われる。元々、1983年の大規模な改修にあたり、その費用捻出のために始められたが、その後もこの聖堂の定期的な補修が必要なことから続けられている。
[編集] 交通アクセス
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年10月21日 (水) 13:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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