世祖 (朝鮮王)
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| 姓名 | 李瑈 |
| 字 | 粋之(スジ、수지) |
| 号 | - |
| 年号 | - |
| 廟号 | 世祖 |
| 諡号 | 恵荘承天体道烈文英武至徳隆功聖神明睿欽粛仁孝大王 |
| 在位年 | 1455年-1468年 |
| 生没年 | 1417年-1468年 |
| 父 | 世宗(次男) |
| 母 | 昭憲王后 |
| 英語表記 | Sejo |
| ハングル | 세조 |
| 日本語読み | せいそ |
| カタカナ転写 | セジョ |
世祖(セジョ、せいそ、永楽15年9月29日(1417年11月7日) - 成化4年9月8日(1468年9月24日)、在位:1455年閏6月11日 - 1468年9月7日)は李氏朝鮮の第7代国王。即位前は晋平大君、咸平大君、晋陽大君、首陽大君(古い順に)。孫に第9代国王成宗などがいる。第4代国王世宗の第2王子であり、第3代国王太宗の孫である。
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[編集] 略歴
世宗の次男として生まれた。1452年に兄の文宗が没し、自らの甥にあたる端宗が11歳で即位すると、王を補佐する役割を担う。しかし、1453年に端宗を補佐する大臣らを除いて政権を掌握する(癸酉靖難)。1455年には端宗から強制的に王位を剥奪し、38歳でそのまま即位した。
王位に就くと、反対勢力をことごとく粛清し、議政府署事制を廃して再び六曹直啓制を復活、王権を自らの元に集約する。1457年には、甥である前王・端宗を配流先で毒殺している(この時端宗は既に魯山君に降格している)。
1468年9月7日、次男の睿宗に王位を譲って上王となったが、翌日に51歳で崩御した。
強力な王権を維持するため、官制の改革、法制や軍制の充実に努め、朝鮮王朝の基本法典である「経国大典」の編纂を開始した。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 貞熹王后 尹氏
- 謹嬪 朴氏
- 昭容 朴氏
[編集] 王子
[編集] 王女
- 懿淑公主
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年3月23日 (月) 08:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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