世耕弘成
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| 生年月日 | 1962年11月9日(47歳) |
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| 出生地 | 大阪府大阪市天王寺区 |
| 出身校 | 早稲田大学政経学部政治学科 ボストン大学コミュニケーション学部大学院 |
| 学位・資格 | 政治学士 企業広報論修士 |
| 前職 | 会社員(NTT) |
| 所属委員会 |
議院運営委員会、総務委員会 |
| 世襲 | 伯父、世耕政隆 祖父、世耕弘一 |
| 選出選挙区 | 参議院和歌山県選挙区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 所属党派 | 自由民主党(町村派) |
| 党役職 | 広報本部本部長代理 知的財産戦略調査会会長代理 |
| 会館部屋番号 | 参・議員会館409号室 |
| ウェブサイト | 参議院議員・世耕弘成 |
世耕 弘成(せこう ひろしげ、1962年11月9日 - )は、日本の政治家。参議院議員。学校法人近畿大学副理事長。
大阪府大阪市天王寺区生まれ、和歌山県新宮市在住。父は学校法人近畿大学理事長の世耕弘昭。祖父は世耕弘一元経済企画庁長官、伯父は世耕政隆元自治大臣兼国家公安委員長。
目次 |
[編集] 略歴
- 1981年 - 大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎卒業
- 1986年 - 早稲田大学政経学部政治学科卒業、日本電信電話株式会社入社
- 1990年~1992年 - 米国ボストン大学コミュニケーション学部大学院留学(企業広報論で修士号取得)
- 1992年~1998年 - 日本電信電話株式会社関西支社経理部経理担当課長、本社広報部報道担当課長
- 1998年 - 伯父世耕正隆参議院議員の急逝により立候補、参議院和歌山県選挙区補欠選挙に初当選
- 2000年 - 自由民主党広報本部マルチメディア局長
- 2001年 - 第19回参議院議員通常選挙に再選
- 2002年 - 自由民主党和歌山県支部連合会会長
- 2003年 - 総務大臣政務官
- 2005年 - 自由民主党広報本部長代理(幹事長補佐)、党改革実行本部事務局長、参議院総務委員長
- 2006年 - 安倍内閣内閣総理大臣補佐官(広報担当)、自由民主党幹事長補佐(広報担当)、学校法人近畿大学副理事長(補佐官就任により退任)
- 2007年 - 第21回参議院議員通常選挙に再選、参議院議院運営委員会筆頭理事、学校法人近畿大学副理事長(再任)
[編集] 人物
大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎を経て、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。 1986年、日本電信電話(NTT)に入社。1990年よりNTTからの派遣でボストン大学コミュニケーション学部大学院へ留学し、1992年修了、企業広報論修士号を取得。帰国後、関西支社経理部経営管理担当課長、本社広報部報道部門報道担当課長を務める。
1998年11月、伯父の世耕政隆の死去に伴う参議院和歌山県選挙区補欠選挙に自由民主党公認で立候補し、当選。2001年の参議院選挙で2期目の当選。初当選直後から自民党森派に所属。
参議院自民党副幹事長、同国会対策副委員長、自民党マルチメディア局長、同遊説局長等を歴任。2003年9月から2004年9月まで総務大臣政務官を務め、国会では主に総務委員会に所属。以降、参議院総務委員会理事、参議院自民党政策審議会副会長、自民党党改革実行本部事務局次長、同行政改革本部事務局次長、新憲法起草委員等を務める。学校法人近畿大学の副理事長にも就任。また和歌山県護国神社奉賛会の会長を務めている。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で、自民党広報本部長代理及び自民党幹事長補佐として自民党のメディア戦略を担当したということで注目される。総選挙中のため、幹事長などの党幹部は衆議院候補で他者だけでなく自身の選挙活動も念頭に置かざるを得ない状況の中、世耕は当時選挙候補者ではない参議院議員のため党の選挙戦において腰を据えて携わることができた。
総選挙後の論座2005年11月号インタビュー『すべてセオリー通り、です。』では、民間の広告会社と協力しながらマスメディア対策を事細かに指揮していたことを明らかにした。これらの活躍から、「自民党のゲッベルス」との異名で呼ばれていたという[1]。 また、党の「コミュニケーション戦略チーム」で広報戦略・IT戦略を担当し、ホームページ上で募集している後援会員組織チーム世耕を擁する。
2006年9月26日、安倍内閣の内閣総理大臣補佐官として政権入り。各国首脳会談に随行し安倍総理をサポート。国内だけではなく、海外メディアの取材も積極的に受け、世界に向けた情報を発信する。また、安倍内閣の最重要プロジェクトである「『美しい国づくり』プロジェクト」を推進、各界有識者の意見を集約する。
首席内閣総理大臣秘書官・井上義行が、世耕ら首相補佐官の発言力拡大を警戒して安倍晋三首相との面会をさせず、また安倍自身も世耕の進言を取り入れないなどの状況にあり、広報担当としての職務を満足に果たせない状況にあったという[2]報道もあったが、安倍は文藝春秋2008年2月号の手記で「マスコミとの間に必要以上に緊張関係をつくり、良好なコミュニケーションを持つことができなかった」「広報担当補佐官には大変なご苦労を掛けた」と説明している。2007年8月27日発足の安倍改造内閣では広報担当の補佐官自体を置いておらず、首相補佐官を退任した。
2007年の第21回参議院議員通常選挙で3期目の当選を果たし、首相補佐官を退任後、ねじれ国会となった同年9月の臨時国会以降、議院運営委員会の筆頭理事に就任し、野党の議院運営委員長の下、国会運営の円滑化に奔走する。
2009年自由民主党総裁選挙では河野太郎の推薦人として名を連ねた。
[編集] ネットと政治に関する主な活動
ネット選挙 公職選挙法の改正に向け、自民党選挙制度調査会内に「インターネットを使った選挙運動に関するワーキングチーム」を設置、座長として平成18年5月に改正案をまとめた。その後、法改正の実現化に向け党内の調整を図っている。
医薬品のネット販売規制への批判 2009年6月に施行された改正薬事法に関する省令において、ネット上での医薬品販売(1類・2類)が原則禁止になることに疑義を抱き、施行前に超党派の国会議員に呼びかけシンポジウムを開催、有識者、消費者、事業者とともに医薬品通信販売規制の問題と課題を検証し、緊急共同声明を取りまとめた。
ネットを使った政治献金 2009年6月、民主党の鈴木寛参議院議員らと超党派で「個人献金の拡大に向けた新たな献金スキームに関する提言」をまとめ、全国銀行協会と日本クレジット協会へネット献金の一般化を申し入れた。
ネット選挙には熱心だが、ヤフーみんなの政治での評価は低い。
[編集] 主な役職等
- 速やかな政策実現を求める有志議員の会 - 代表世話人
- 医療現場の危機打開と再建を目指す国会議員連盟 - 幹事長代理兼事務局長
- 日露若手国会議員の会 - 日本側代表
- 緑の雇用議員の会 - 事務局長
- 自民党土地家屋調査士制度改革推進議員連盟 - 事務局長
- 日本・サウジアラビア友好議員連盟 - 事務局長
- 学校法人近畿大学 - 副理事長
- デジタルコンテンツ利用促進協会 - 副会長
[編集] 著作
(単行本)
- 『自民党改造プロジェクト650日』新潮社、2006年。
- 『プロフェッショナル広報戦略』ゴマブックス、2005年。
(雑誌掲載記事)
- 「政策道場 「特別予算勘定」を創設せよ」『日経ビジネス』 2009年2月16日号
- 「「安倍圧勝」をデザインする(福田康夫は絶対に出馬する-安倍VS福田参謀インタビュー-)」『文芸春秋』84(11)、2006年。
- 「すべてセオリー通り、です。(特集 総選挙PART2 徹底検証 メディアの敗北、その時、世論が動いた)『論座』(通号126)、2005年。
- 「政務官日誌(25)総務省 行政相談を広く国民の身近な存在に」『時評』46(4)(通号493)2004年。
- 「慣習に流されないために(全公開 国会議員の24時間)『論座』(通号89)、2002年。
[編集] 脚注
- ^ 日本版「386世代」で固められる安倍政権 | Chosun Online | 朝鮮日報
- ^ 週刊文春2007年2月1日号
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月6日 (金) 15:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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