中国の漫画

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中国語圏の漫画のほとんどは、表現の自由と高い生活水準がある程度保障されている、台湾あるいは香港で出版されている。また、中国語圏以外の地域では、日本の「マンガ」や韓国の「マンファ」と区別する意図を持って、しばしば中国・台湾の漫画は「マンホア(Mànhuà)」と発音される。これは「マンガ」や「マンファ」の場合と同様に、「漫畫」の中国語における発音に基づく。

目次

[編集] 歴史

[編集] 中世

謝纉泰による風刺漫画、『時局図(時局全図)』(1899年)。北方からはロシアを表す熊、中国南部からはイギリスを表すブルドッグ、東南アジアからはフランスを表す蛙、フィリピンからはアメリカを表す鷲が、中国の様子を窺っている。

中国の歴史に残されている最古の図画は、紀元前11世紀の石彫りのレリーフと、紀元前5000年から3000年頃の彩陶土器である。その他の中国における漫画の原型の例としては、朝の成化帝朱見深による毛筆画『一団和気図』や朝初期の画家八大山人による風刺画『牡丹孔雀図』が挙げられる。

[編集] 近代

中国の近代漫画は19世紀末から20世紀初頭、概ね1867年から1927年の間に成立した[1]

西洋から紹介されたリトグラフ印刷の技術は、20世紀初頭の中国の漫画の発展における重要なステップであった。1870年代の初めから、風刺画が新聞や定期刊行物に掲載されるようになった。1920年代までには、連環画のような小型の絵本が上海で人気を博していた[2]。これらの読み物は、後の中国の漫画の先駆的作品であると考えられている。

最初期の中国の風刺漫画雑誌の一冊は、イギリスの風刺誌『パンチ』に由来する、『China Punch』と題された雑誌であった[1]。最初の中国人によって描かれた風刺漫画は、1899年に謝纉泰により日本で発行された『時局図』である。孫文1911年中華民国を建国するに際し、香港の漫画は反清朝感情を高めるためのプロパガンダとして利用された。政体の変化や戦争等の当時の騒然とした状況を反映した中国の漫画として、何剣士および鄭磊泉による『真相画報』(1912年)や『人鑑』(1920年)がある[1]

1927年の「漫画会」の発足までの中国のあらゆる漫画の先駆作品は、連環画あるいは風刺画の連作であった。中国における最初の漫画雑誌『上海漫画』は、1928年に創刊された[1]。1934年から1937年にかけて、およそ17冊の漫画雑誌が中国で創刊されている。中国における漫画というメディアは、再び日中戦争へ向けての反日感情を高めるのに利用された。1941年の日本による香港占領により、あらゆる中国の漫画活動は停止された。1945年に日本が降伏すると、国民党共産党の政権を巡る争いが取って代わった。当時の政治背景を記録した重要な風刺漫画の一作として、人間画会の『這是一個漫画年代』(1948年)がある[1]

[編集] 第二次世界大戦後

中国の混乱は50年代から60年代にかけて続いた。中国からの移民、特にベビーブームによる子供の増加により、香港の漫画市場は整えられた。成人読者に対し最も大きな影響を持っていた香港の漫画雑誌は、1956年に創刊され、許冠文による人気漫画『財叔』(1958年)を連載していた『漫画世界』であった。日本の漫画と台湾の漫画は安価な価格により香港の漫画産業への進出を開始し[1]、地元の漫画産業を活気付けるための、王沢の『老夫子』(1964年)のような漫画が求められていた。

[編集] 香港漫画の父、黄玉郎の登場

1970年代のテレビの普及は香港の漫画のターニングポイントとなった。ブルース・リー映画は時代の寵児となり、リーの人気はカンフー漫画ブームを生み出した[1]

そして、この頃、香港漫画を急速に発展させることになる重要人物、黄玉郎が登場する。彼は、1969年18歳のときに『小流氓』(『龍虎門』)を大ヒットさせ、一躍有名人になる。同作の過激な暴力表現は香港政庁が出版規制法(1975年)を制定するほどの社会現象となった。

その勢いにのり、1979年に「玉郎国際集団有限公司」を設立。ここに馬栄成(マー・ウィンシン)、邱福龍李志清など優秀な漫画家が続々と入社する。馬栄成は『中華英雄』の連載を開始し、20万部の空前のヒットとなる。その後も『酔拳』『如来神掌』『李小龍』『漫画帝国』『玉郎漫画』『寿星仔』など多くのヒット作を出版し、香港証券取引所に上場するほどの大企業へと成長させる。

しかし、1987年、劉定堅、馮志明が「玉郎機構」を離れ、「自由人出版」を設立。1989年に馬栄成も「天下出版」を設立。この頃から黄玉郎の凋落がはじまる。米国株大暴落「ブラック・マンデー」(1987年)以降、香港市場も悪化し、玉郎国際集団有限公司も行き詰る。資金繰りの悪化に悩んだ末不祥事に手を染め、逮捕。懲役4年の実刑判決を受けた。

[編集] 多様化する香港漫画界

黄玉郎が入獄している間、香港漫画界には新しい人材が登場し、多様性が生まれることになる。この頃、謝立文原作・麥家碧画による『マクマグ』シリーズ(1993年)や倫裕国の『古惑仔』『缽蘭街』『紅灯区』三部作(1992年)が登場した。

また、1993年に黄玉郎が出所。捲土重来を期して新会社「玉皇朝」を設立。『天子傳奇』『神兵玄奇』、金庸原作の武侠作品『天龍八部』などを当て、見事に復帰を果たす。

こうして香港で発展した漫画は、台湾や中国大陸でも広く読まれることになり、中華圏における漫画の発展を大きく促進させた。

[編集] 特徴

現在の香港漫画の特徴は、1982年馬栄成の『中華英雄』により完成させられたと考えられている[1]。『中華英雄』は現実的な登場人物の詳細を、革新的かつ写実的に描いた作品であった。1800年代から1930年代までのほとんどの中国の漫画は、シリアスなキャラクターを登場人物としていた。香港の文化的な風通しのよさは、1950年代にミッキー・マウスピノキオのようなディズニーキャラクターの輸入につながり、1954年の『小安琪』のような西洋の影響を受けた作品を生み出した。60年代の翻訳された日本の漫画の流入は、アニメと同様に香港漫画に大きな影響を与えた。日本の漫画とは異なり、香港の漫画はいくつかのコマが油彩調に彩色された、フルカラーの誌面を特徴としている。

[編集] 参考文献

  1. ^ Wong, Wendy Siuyi. [2002] (2001) Hong Kong Comics: A History of Manhua. Princeton Architectural Press. New York. ISBN 1-56898-269-0
  2. ^ Lent, John A. [2001] (2001) Illustrating Asia: Comics, Humor Magazines, and Picture Books. University of Hawaii Press. ISBN 0824824717

最終更新 2009年2月4日 (水) 02:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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