中国共産党中央軍事委員会

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中国共産党中央軍事委員会(ちゅうごくきょうさんとうちゅうおうぐんじいいんかい)(略称:中軍委)は、中国人民解放軍中国共産党軍事部門、事実上の国軍)や人民武装警察などの中国政府武装勢力を指導する、中国の軍事にかかわる最高機関。党と国家の2つの中央軍事委員会があるが、「中国共産党中央軍事委員会」と、1982年に設立された「中華人民共和国中央軍事委員会」のメンバーなどはほぼ同じであり、実質は表裏一体の関係にある。ただ、選出の時期によって多少のズレは存在する。

党中央軍事委員会主席、副主席、委員は党中央委員会が選出、国家中央軍事委員会主席は全国人民代表大会(全人代)が選出、全人代と全人代常務委員会に対して責任を負う。副主席、委員の人選は国家軍事委員会主席の指名に基づいて全人代か全人代常務委員会が決定する。

中央軍事委員会主席は軍の統帥権を持つため、実質的に中国のトップと言える。鄧小平がヒラの党員になりながらもこのポストだけは最後まで手放さなかったのはそのためでもあるが、総書記、国家主席と中軍委主席の3つのポストが分散していた1980年代に指導部の安定を欠いたため、1993年からは全てのポストを1人に集中させるようにしている。江沢民は鄧小平と同じ手法で権力を維持しようとしたが、院政を万里喬石などの元老に批判され、また批判票も多く出た。

目次

[編集] 中国共産党中央軍事委員会歴代主席

[編集] 中華人民共和国中央軍事委員会主席

  • 鄧小平 (1983年6月6日 - 1990年3月19日)
  • 江沢民 (1990年3月19日 - 2005年3月8日)
  • 胡錦濤 (2005年3月13日 - )

[編集] 十七回党大会

  • 主席 胡錦濤 (党総書記、国家主席)
    • 副主席 郭伯雄(上将、党中央政治局委員)
    • 副主席 徐才厚(上将、党中央政治局委員)

[編集] 附属機関

[編集] 中央軍事委員会弁公庁

中央人民政府人民革命軍事委員会弁公庁は、1949年11月11日に設置された。1954年10月、中共中央軍委弁公庁に改称すると同時に、国防部弁公庁を兼務した。1965年11月からは、総参謀部弁公庁も兼務。文化大革命時、総参謀部の組織に編入された。

1979年4月、総参謀部弁公庁と分離され、中央軍委に編入され、国防部弁公庁を兼務した。1983年6月以降、中華人民共和国中央軍事委員会弁公庁を兼務している。

[編集] 中央軍事委員会紀律検査委員会

1955年9月、総政治部は、中共全国代表会議の決定に基づき、「軍隊における党の監察委員会を成立に関する通知」を公布し、全軍団以上の単位に党の監察委員会を設置した。中共中央の批准を経て、中国人民解放軍監察委員会が成立した。解放軍の党監察委員会は、中共中央監察委員会及び中央軍委、総政治部の指導の下に活動し、日常事務は総政治部組織部が取り扱い、専門の事務機関は設置されなかった。

1968年10月、総政治部は軍の統制を受け、解放軍監察委員会も活動を停止した。1969年5月、中共第九次全国代表大会は、党の監察機構の廃止を決定し、解放軍の監察委員会もこれに従い廃止された。

1978年、中共中央軍委は、中国人民解放軍紀律検査委員会の組織に着手した。1980年1月、中共中央の批准を経て、中国人民解放軍紀律検査委員会書記が任命された。同年11月、解放軍紀律検査委員会は、中共中央軍委紀律検査委員会に改称した。軍委紀委は、中共中央軍委、中共中央紀委の指導の下に活動を行っている。

[編集] 中央軍事委員会戦略委員会

戦略委員会の前身は、戦略小組であり、過去、劉伯承元帥、羅瑞卿等が組長を務めた。その後、戦略委員会に改称され、戦略レベルの国家安全保障問題を研究し、中央軍事委員会に総括報告を行っている。委員会の弁公室は、総参謀部第一部が管轄し、第一部長がその主任を務める。

[編集] 歴代構成員

[編集] 十一回党大会(1977年-1982年)

[編集] 十二回党大会(1982年-1987年)

[編集] 十三回党大会(1987年-1992年)

天安門事件の責任を取って趙紫陽は解任。11月の五中全会で江沢民が主席となり、その補佐として半ば引退していた劉華清が副主席入りした。

[編集] 十四回党大会(1992年-1997年)

江沢民が主席を続投。楊尚昆、楊白冰の兄弟は軍を追われる。

遅浩田、張万年

  • 委員:遅浩田、張万年、于永波、傅全有

王克、王瑞林 (秘書長廃止)

[編集] 十五回党大会(1997年-2002年)

引き続き江沢民が主席を続投。四中全会で後継者と目される胡錦濤が副主席に、後に彼を支える郭伯雄、徐才厚の制服組が委員に選出された。


[編集] 十六回党大会(2002年-2007年)

2004年9月の4中全会で江沢民は党中央軍事委員会主席を辞任、胡錦濤が後任の主席に就任した。江沢民は腹心の曽慶紅を副主席に滑り込ませようとしたが失敗している。2005年3月の全人代で国家中央軍事委員会主席に当選した胡錦濤は、胡派と目される制服組で委員トップの徐才厚を副主席に昇格させた。また陳炳徳、喬清晨、張定発、靖志遠の制服組4人が委員に選出されたが、江沢民に続いて実戦経験の無い胡錦濤のばら撒き人事と思われる。

  • 主席 胡錦濤 (党総書記、国家主席)
    • 副主席 郭伯雄(上将、中央政治局委員)
    • 副主席 曹剛川(上将、政治局委員、国務委員、国防部長)
    • 副主席 徐才厚(上将、中央書記処書記)
      • 委員 梁光烈(上将、総参謀長)
      • 委員 李継耐(上将、総政治部主任)
      • 委員 廖錫竜(上将、総後勤部長)
      • 委員 陳炳徳(上将、総装備部長)
      • 委員 喬清晨(上将、空軍司令員)
      • 委員 張定発(上将、海軍司令員)※2006年12月死去
      • 委員 靖志遠(上将、第二砲兵司令員)

[編集] 参考文献

  • 「中国軍事決策機制&台海衝突」、約翰W・劉易斯、明鏡出版社、2007年、ISBN 978-1-932138-57-3

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月10日 (火) 05:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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