中央大学附属高等学校

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中央大学附属高等学校
過去の名称 目白中学校
杉並中学校
杉並高等学校
中央大学杉並高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人中央大学
校訓 明るく、強く、正しく
設立年月日 1909年
創立者 細川護成
柏原文太郎
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 13738D
所在地 184-8575
東京都小金井市貫井北町三丁目22番1号
電話番号 042-381-5413
FAX番号 042-383-4840
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
  

中央大学附属高等学校(ちゅうおうだいがくふぞくこうとうがっこう)は、東京都小金井市にある中央大学の設置する私立高等学校である。生徒数は約1,500名。学校の略称は中附(ちゅうふ)。

中央大学の附属校のうちで最も生徒数が多い。旧制目白中学を母体としている。

目次

[編集] 沿革

目白中学」を参照

  • 1909年2月22日 東京府豊多摩郡落合村(現・新宿区下落合)の近衛篤麿公爵家屋敷地内に、東亜同文会が中国人留学生受け入れ施設である東京同文書院に併設教育機関として「私立中学校設立許可願」を文部省に提出。設立者・細川護成および柏原文太郎。
  • 1926年10月 東京府北多摩郡練馬村(現・練馬区高松町)に移転
  • 1935年4月10日 杉並区へ移転、翌11日には杉並中学校に改称が認可される。初代校長に岡本隆冶就任。定員500名。
  • 1948年4月 学制改革により、新制の杉並中学校・杉並高等学校へ改組。
  • 1952年5月 杉並中学校・杉並高等学校の運営法人である学校法人杉並高等学校学校法人中央大学の合併が認可、中学校廃止、校名を中央大学杉並高等学校と改称。
  • 1963年1月 中央大学杉並高等学校を母体として中央大学附属高等学校の設立が認可される。
  • 1963年3月 小金井市貫井北町へ移転。跡地には新設校として中央大学杉並高等学校を設置。
  • 1963年4月 中央大学附属高等学校と改称。初代校長 岩本春市就任。
  • 1966年4月 第2代校長 金子文六就任。
  • 1968年2月4日 中大文化連盟サークルおよび社会主義学生同盟を中心とする700名の中央大学生により早朝から校内にピケが張られて中央大学への内部進学試験が阻止され、「学内進学試験」はこの年以降廃止されることになる。 
  • 1969年5月29日 第3代校長に伊津野正就任。
  • 1969年10月16日 「中大附属反戦会議」が生徒会中央委員会にビラ配布の許可申請を求め、同時に「生徒心得第9条」の廃止と「生徒指導部解体」運動を展開。
  • 1969年10月27日 「反戦系」の生徒が午前3時から校舎にバリケードを築き学校を占拠。学校当局は警察を導入、多くの生徒は逃走できたが3名が補導の形で検挙される。
  • 1970年6月23日 生徒会有志が中心となって組織された約200名の中央大学附属高等学校生徒の「反安保デモ」が高等学校から中央線武蔵小金井駅まで行われる。この時期、職員会議も生徒の諸活動をその自主性に委ねるということに決定。
  • 1970年10月15日 生徒総会において従来の校則を撤廃し自治綱領として現行「学校生活」を制定。自由化の基礎が固まる。
  • 1971年7月20日 学内の自由化達成 制服・校則全廃。国歌斉唱国旗掲揚等の形式的式典の廃止。伊津野正校長が同日の終業式で自由化決議承認を全生徒に通告。
  • 1972年4月1日 伊津野正校長が教員のための研究条件の向上と民主化制度「高等学校専任教員研修日実施要綱」を発効させる。また1学年定員550名を500名に削減し教育条件を改善。
  • 1973年10月15日 伊津野正校長辞任。後任に同年10月22日小松春雄教授が第4代校長として就任。
  • 1974年12月16日 冨田彦一教頭が第5代校長として校長に任命。
  • 1975年11月 第二体育館竣工。
  • 1978年3月 図書館竣工。
  • 1982年2月1日 中央大学附属高等学校教職員組合が教職員実子についての特別入学、運動部についての特別入学、およびその他縁故者子弟の特別入学の全廃を冨田彦市校長に要望書を提出し、これを契機に「特別入学」を全廃、入試の公正を実現。
  • 2001年4月 男女共学・週五日制実施。
  • 2003年3月 1号館改築工事竣工。
  • 2003年4月 第10代校長金子雄司就任。
  • 2010年4月 附属中学校を開設。

[編集] 校風

目白中学」を参照

目白中学校以来の国際的な校風と同校以来の校訓「質実剛健」を基盤とし、中央大学附属高等学校の特色は「個人の尊厳を尊重し自由に個性を伸ばす」ことを最も重要な教育方針としてきた。

旧制目白中学校・旧制杉並中学校・杉並高校時代には「目白の丘にその昔たてし理想をうけつぎ強く正しく培える杉並高く今茂る 文化の光暖かに自治の心を育みて清く明るく生いたてる桂の若葉今匂う」等の校歌が存在していたが、中央大学附属高校へ合併・移転以降、独自の校歌を廃した。したがって、式典や硬式野球部の大会時に使用されるのは中央大学の学歌である。

大学進学において、中央大学(約9割が進学)のみに限定されず、他の国公立大学・私立大学にも自由進学が担保(特に中央大学の設置していない学的領域(discipline)は優先・優遇)される。中央大学進学の優先権を保持したまま他大学への併願受験・進学・進路の自由の担保をその特色としている。なお、中央大学内部進学者の優先と、他大学で同一学部を有する大学への進学の際には中央大学内部進学の推薦の優先権の放棄化への変更がなされている。

[編集] 制服

学校が指定した制服は存在しない。1970~1990年代前半までは自由な校風の象徴である私服通学が人気を集める要因であったが、それ以降、とりわけ共学化後の女子生徒は“制服で通うこと”をステータスと感じる者が増加しており、個人で用意した思い思いの制服(いわゆる“なんちゃって制服”)を着用しており、「私服」のみを理由として志望・入学する生徒はわずかである。なお、学生服は生協で購入できる。

[編集] 生徒自治の伝統

現在は学生運動の衰退により生徒主体の自治体制が弱体化したが、教職員により継続されている。また、「日の丸」「君が代」問題で典型的な「式典」の形式(校歌演奏と学校長式辞などでの国歌斉唱はない)が復活し、中央大学からの連携については、より限定化が促進された。

[編集] 特色がある現代文教育

  1. 現代文の授業では、毎年度国語科で決定したテーマに沿った名著を用い、生徒が教諭とともに読み解いていく形式をとっている。ある程度期間が決まっているものの、学期にとらわれず進行していく。
  2. 上記のテーマに合わせて、学期ごとに10冊程度の課題図書を課せられる(生協でセット割引価格で購入できる)。毎テスト30点分の選択問題が出され、読み込んでおかないと解けないものがある。最終的に卒業までに強制的に100冊の本を読むことになる。
  3. それらの経験を活かし、コースにもよるが、3年次に論文を書かせる授業がある。生徒自身がアイデアを決定し、数度の添削を経てアウトラインを作成し、1・2年次で学習した参考資料の検証などの考え方を論文に活かすための授業を経て、生徒自身が様々な方法を模索しながら論文を執筆していく。期間中には何度かプレゼンを行う。優秀作品が『蒼穹』という冊子に掲載される。

[編集] 部活動

男子バスケットボール部は、インターハイにおいて中大杉並時代の3連覇を含む6度の優勝を記録している。春の選抜(現・ウィンターカップ)でも第2回で優勝。

[編集] 交通

[編集] 主な出身者

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月14日 (土) 02:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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