中富町

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旧・中富町のデータ
廃止日 2004年9月13日
廃止理由 新設合併
西八代郡下部町南巨摩郡身延町中富町→身延町
現在の自治体 身延町
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方甲信越地方
関東地方
都道府県 山梨県
南巨摩郡
団体コード 19363-1
面積 43.37km²
総人口 4,477
(2000年国勢調査)
隣接自治体 下部町身延町早川町鰍沢町六郷町
町の木 ナンテン
町の花 アジサイ
中富町役場
所在地 〒409-3392 山梨県
南巨摩郡中富町切石350
電話番号 0556-42-2111
外部リンク
位置
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中富町(なかとみちょう)は、山梨県南西部南巨摩郡に位置した町である。

目次

[編集] 歴史

古代の律令制下では巨麻郡川合郷に属していたと考えられている。

中世には甲斐源氏が国中地方の各地に土着して勢力を持つが、八日市場には新羅三郎義光を開祖する大聖寺がある。町域を領する甲斐源氏の一族は確認されていないが、西島は建徳2年(1371年)10月15日の渋谷重門譲書(「入来院文書」)に拠れば薩摩国入来院を領して入来院氏と祖となる重門が領しており、以来15世紀末まで渋谷氏領であった。町域を含む河内地方は戦国時代に武田氏親族衆の穴山氏が領するが、天正10年(1582年)に武田氏が滅亡し穴山氏も没落すると武田遺領を巡り天正壬午の乱が起こり、駿河から入甲して相模国後北条氏と争った徳川家康が家臣の岡部正綱に命じて寺沢の地に菅沼城を築城させたという。甲斐一国が家康の支配下に治まると河内地方は菅沼城を拠点に支配されるが、家康の関東移封により城は破却された。

近世には20か村があり、18か村が巨摩郡西河内領に属し、下田原村と宮木村は八代郡東河内領に属した。はじめ全村が天領で、宝永元年(1704年)には下田原と宮木を除く18か村が甲府藩領となる。享保9年(1724年)には再び全村が天領となり、上飯田代官支配となる。上飯田代官所の廃止後は甲府代官の預支配を経て、寛政6年(1794年)には市川代官支配となる。

山間部で耕地面積がわずかであるため、林業焼畑狩猟、製紙原料となる三椏の栽培など山の資源を利用した生業が成立し、西島は紙漉職人が多く、和紙を生産している。また、富士川沿いには青柳河岸(増穂町)に属した切石河岸・八日市場河岸や黒沢河岸(鰍沢町)に属した下田原河岸などの富士川舟運に関わる河岸があり、渡船に携わるものもいた。富士川沿いには甲駿を結ぶ駿州往還(河内路)が通り、沿道は宿場や町場となった。

[編集] 経済

[編集] 特産品

  • 西島和紙
  • 南天ワイン

[編集] 沿革

  • 1889年4月1日 町村制施行に伴い、中富町と西島村,大須成村,静川村,曙村が成立。(1町21村)
  • 1954年8月17日 上記5町村が新設合併し中富町が成立。
  • 2004年 西八代郡下部町と南巨摩郡身延町と合併し新生身延町となる。

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • なかとみ和紙の里
  • 句碑の里

[編集] 出身有名人

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月31日 (土) 15:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【中富町】変更履歴

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