中川泰宏
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(なかがわ やすひろ) |
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| 生年月日 | 1951年9月19日(58歳) |
| 出身地 | 京都府船井郡八木町(現:南丹市) |
| 出身校 | 京都府立園部高等学校 |
| 前職 | 京都府八木町長 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | 京都府第4区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 所属党派 | 自由民主党(無派閥) |
| 党役職 | 農林水産関係団体委員会副委員長 国会対策委員 京都府第4選挙区支部長 |
| 会館部屋番号 | 衆・第2議員会館221号室 |
中川 泰宏(なかがわ やすひろ、1951年9月19日 - )は、日本の政治家。前衆議院議員(1期)。京都府船井郡八木町長を歴任。
目次 |
[編集] 経歴
京都府船井郡八木町(現:南丹市)に生まれ、3才の頃に罹患した小児麻痺の影響で足が不自由であるが、そのハンディキャップを乗り越え京都府立園部高等学校を卒業した。
1988年には八木町議会議員に初当選した。1992年から2002年まで八木町長を務めた。町長として同和対策事業の廃止などに辣腕をふるった。京都農業協同組合(JA京都)の会長も務めている。
2002年、京都府知事選挙に笹野貞子元民主党副代表の応援を受けて立候補するが、山田啓二に敗北する(2006年、山田啓二が京都府知事に再選されたときは、一緒に壇上に立って祝福している)。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙に出馬し、郵政民営化法案に反対し無所属での選挙を余儀なくされた田中英夫(前亀岡市長)の刺客として出馬し、田中を僅か156票差で破り初当選を果たした(語呂合わせでイチコロ、ヒトゴロシとも揶揄された)。八木町長時代は北桑田郡・船井郡の合併が進んでいたが、田中が市長を務める亀岡市と八木町の合併を主張していた。
2007年の第21回参議院議員通常選挙の際には、地元選挙区の会館に第87-89代内閣総理大臣だった小泉純一郎を呼ぶなど、小泉を強く慕い、衆院選以来のつながりを維持している。
しかし、最近では自民党内でも小泉と距離がある加藤紘一に接近していると伝えられている。
衆議院議員の傍ら、京都府農業協同組合中央会(JA京都中央会)会長、および、京都府信用農業協同組合連合会(JAバンク京都信連)、全国農業協同組合連合会京都府本部(JA全農京都)、全国共済農業協同組合連合会京都府本部(JA共済連京都)の共通会長を務めている。また、貸金業や畜産業、産業廃棄物処理業なども営んでいた。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では、民主党公認の北神圭朗、無所属の田中に及ばず、約74,500票の大差で落選。比例での復活もならなかった。
[編集] エピソード
2007年9月10日に行われた自民党の代議士会で川条志嘉となどと共に平沼赳夫の復党問題に関して、「平沼氏が無条件で復党することは、小泉改革を否定することだ。国民はアホじゃない」と発言し、マスコミでは「小泉チルドレンの反乱」かと騒がれる。
2009年6月4日、鳩山大臣が西川日本郵便社長の続投を認めないとの発言について、西川氏の続投が既定路線であるとして鳩山大臣の辞職を要求した。
[編集] 不祥事
[編集] 不動産登記法違反
2006年、南丹市役所などが中川の所有する建築物を調査したところ、登記を怠っていた事実が発覚した[1]。中川が所有する京都府南丹市内の住宅は1988年に新築したにもかかわらず17年間に渡り登記を怠っており、同じ敷地内の事務所2棟については、2007年時点で未だに登記が確認できていないと指摘された。新築した建築物については1ヶ月以内の登記申請が義務づけられており、中川の行為は不動産登記法違反に該当する(不動産登記法第47条、等)。
[編集] 固定資産税未納
上述の南丹市内の住宅や事務所計3棟が未登記だったため、中川はこれらの建築物に課せられる固定資産税を支払っていなかったことも併せて明らかになった[1]。事実とすれば、旧八木町で町長を務めている間も、八木町に対して固定資産税を納めていなかったことになる。2007年6月、中川は国会議事堂にて記者会見を行い、事務所については「未完成」[1]の状態だっため課税対象にならなかった、と自説を主張した。また、住宅については「06年に父親名義から自分名義に変えたが、それ以前から固定資産税は払ってきたはずだ」[1]と説明した。そのうえで、中川は「払うべき税金を払わなかったことは一度もない」[1]と強調した。しかし、2007年6月15日、南丹市役所は中川に対し未登記建築物の固定資産税を納付するよう通知した。さらに、過去に遡り未払い分の固定資産税の徴収を検討することになった。
[編集] 不当労働行為
会長を務める中川、JA京都が、JAに勤める労働組合員に対し、「農協労連なんか飯食わしてくれないぞ」「組合はどうする。辞めないのか」などと、組合から脱退を強要した問題で、中央労働委員会は中川の行動を不当労働行為と認定した[2]。
[編集] 著作
[編集] 単行本
- 『英智への鍵』、エム・ビー・シー21、 1990年。
- 『弱みを強みに生きてきた-この足が私の名刺-』、PHP研究所、2002年。
- 『北朝鮮からのメッセージ -日本への警告を込めて- 』、家の光協会、1998年。
[編集] 論文・エッセイ
- 「協同組合運動のリーダーに聞く(第1回)JA改革のなかで共済事業の改革をどう進めるか 」(含:参考資料:農協共済審議会答申書(要約版)JA共済事業の今日的な事業展開方向とこれを実現するためのJA・連合会の一体的な事業実施体制のあり方)『にじ』(596)、2003年、36~46 ページ。福間莞爾と共著。
- 「野中広務が「北朝鮮」に肩入れする理由-JA京都会長八木町長中川泰宏が語る-」『月刊テーミス(Themis)』10(5) (通号103)、2001年、72~74ページ。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月3日 (火) 16:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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