中川秀直
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なかがわ ひでなお
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| 生年月日 | 1944年2月2日(65歳) |
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| 出身校 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
| 前職 | 日本経済新聞社従業員 |
| 所属政党 | (新自由クラブ→) 自由民主党 |
| 称号 | 法学士(慶應義塾大学・1966年) |
| 世襲の有無 | 2世 |
| 親族 | 中川俊思(岳父) |
| 公式サイト | 自民党 衆議院議員 中川秀直 公式サイト |
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| 内閣 | 第2次森内閣 |
| 任期 | 2000年7月4日 - 2000年10月27日 |
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| 内閣 | 第1次橋本内閣 |
| 任期 | 1996年1月11日 - 1996年11月7日 |
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| 選挙区 | (広島県第2区→) (広島県第4区→) 比例中国ブロック(広島県第4区重複) |
| 当選回数 | 10回 |
| 任期 | 1976年 - |
中川 秀直(なかがわ ひでなお、1944年2月2日 - )は日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。旧姓は佐藤(さとう)。
科学技術庁長官、内閣官房長官、自由民主党幹事長などを歴任した。岳父の中川俊思も衆議院議員を務めた。
目次 |
[編集] 略歴
- 1944年2月2日:東京都新宿区出身
- 1962年:東京都立井草高等学校卒業
- 1966年:慶應義塾大学法学部卒業
- 1966年:日本経済新聞社入社。政治部記者となる
- 1976年:義父の地盤を継ぎ、旧広島県第2区から新自由クラブ公認で第34回衆議院議員総選挙に立候補し初当選
- 1979年:第35回衆議院議員総選挙で落選。新自由クラブを離党
- 1980年:第36回衆議院議員総選挙でトップ当選。自民党へ入党し国土庁政務次官(1983年)、通産政務次官を歴任する
- 1989年:自民党商工部会長として消費税導入の旗振り役を務める
- 1990年:第39回衆議院議員総選挙で再び落選
- 1993年:第40回衆議院議員総選挙。トップ当選で復帰
- 1994年:村山内閣の首相補佐として自民党との連絡役を務める
- 1996年:第1次橋本内閣で科学技術庁長官として初入閣
- 2000年7月:第2次森内閣で内閣官房長官兼沖縄開発庁長官として総理の女房役を務める
- 2000年10月:愛人通いや右翼との会食などスキャンダルが報道され、就任3ヶ月で辞任に追い込まれる。この辞任劇が低支持率に悩んでいた森内閣に追い討ちをかけ、同年末の加藤の乱発生に少なからず影響を与えた
- 2002年10月:自民党国会対策委員長に就任して復帰。小泉純一郎総理の信任も厚く側近中の側近として知られる。その政治手腕も買われて異例の長期留任となり、2005年7月に国対委員長連続在職期間最長記録を1127日までのばす(通算でも2位。通算1位は大島理森)
- 2005年10月:自民党政調会長に転ずる
- 2006年9月:自民党幹事長に就任
党選挙対策本部長代理、党北朝鮮核実験問題対策本部長を兼務する - 2007年7月:参院選での自民惨敗の責任をとり、幹事長辞職願を安倍晋三総裁へ提出。同年8月27日の内閣改造・党役員人事において幹事長を退く
- 2007年10月:幹事長就任以来離脱していた清和政策研究会(町村派)に復帰。町村信孝が内閣官房長官就任のため同派会長職を退き、集団指導体制に移行したのに伴い、清和政策研究会代表世話人に就任。
- 2009年8月:第45回衆議院議員総選挙に出馬、初めて小選挙区では民主党の空本誠喜に敗れるも惜敗率の差で比例代表中国ブロックで自民党議員唯一の復活当選を果たす。
- 2009年10月:派閥政治からの脱却を宣言し、所属していた清和政策研究会を退会。
[編集] 人物像
- 中選挙区時代は全国でも有数の激戦区として知られるで旧広島2区[1]から立候補しており、落選経験もあるが、小選挙区(広島4区)になってからは、地元が近いが高齢であった谷川和穂を比例単独候補にして以来小選挙区で連勝していたが、2009年の総選挙で初めて民主党の空本誠喜に破れ、比例で復活当選した。
- 自身の選挙区で生まれ育ったプロボクサー坂田健史(世界ボクシング協会フライ級前選手権者)の後援会会長を務めた。
- 2006年4月、次男・俊直が東広島市長選に立候補する。国政選挙並みの選挙戦を繰り広げるも落選。
- 2000年の第42回衆議院議員総選挙において、自民党総裁(総理大臣)森喜朗の指示を受け、塩川正十郎に引退を要請した際、塩川に灰皿を投げつけられ「帰れ!」と叱責された。
- 2006年の自民党総裁選挙では、津島派や伊吹派の候補擁立を阻止し、また積極的な多数派工作をすすめ、安倍晋三優位の流れを作った。
- 2006年の安倍政権では総裁派閥と同じ中川が自民党幹事長に選出され、総幹分離の原則を崩したことで注目された。
- 2006年11月、郵政造反組復党問題に絡み、党幹事長の立場として党内や世論の反発と首相の意向に考慮する形で、平沼赳夫ら造反議員に対し復党において厳しい条件を提示した。
- 日本銀行がゼロ金利政策解除の検討に入ったときには、「日銀法の改正」に言及した。
- 2007年2月18日、「首相が入室したときに起立せず、閣議が始まっても私語をやめないなど、忠誠心がない閣僚は官邸から去るべき」「閣僚や官僚には、首相に対する絶対的な忠誠心が必要だ」などと発言し、党内外にて大きな反響を呼ぶ。詳細は#「忠誠心」発言を参照されたい。
- 2007年2月22日、中川の自宅や後援会事務所が、財団法人所有の土地に建てられていることが発覚した。財団法人は公益法人であり、政治家の後援会や個人の自宅として私的使用することが問題視されている(詳細は#財団法人自宅提供問題を参照)。
- 2007年の自民党総裁選挙では、麻生太郎幹事長が安倍晋三首相(いずれも当時)の辞意を聞きながら、翻意を促すことなく逆に政権獲得に動いたとされる、いわゆる「麻生クーデター説」を流布したとされる。
- 2008年11月29日、大阪市における講演で麻生太郎首相の政策や政権運営に批判的な小池百合子元防衛相、渡辺喜美元行政改革担当相ら自民党内の20人の国会議員とともに「ポスト麻生」をにらんだ社会保障に関する議員連盟を12月初旬に設立することを表明した[2]。また、12月6日のテレビ番組では政界再編について「総選挙が終わって、その瞬間に判断する」と述べ、再編の可能性をにじませながらも選挙前の再編には否定的な考えを示した[3]。
- 自身の選挙区である広島県安芸郡府中町出身・同年齢の作家大下英治からは「しゅうちょく」さんと呼ばれている
[編集] 政策
[編集] 「上げ潮派」
財政再建に対しては、上げ潮派とされている。消費税を増税するよりも、まず政府の無駄な出費を減らし、欧米並みの名目経済成長率で極力解消させる方針を自著などでかねがね主張している。これを「悪魔的手法」と評した与謝野馨を筆頭とする財政再建重視派と対立しているとも言われる。
[編集] 「安心基盤口座」創設
個人や家族の「安心基盤口座」をつくり、「全ての所得補償」を「税の還付」と一体化していく制度を構築すべきと主張。これは社会保障番号を利用して国民一人が一つの口座を持つことで年金、各種手当、戻し税を受けられるものである。その中で「負の所得税」の導入も行われるべきであるとする。
[編集] ワークシェアリング導入
「職務給」制度によって正規雇用、非正規雇用の壁をなくし、ワークシェアリングを導入すべきと説く。自身のmixi日記では「非正規雇用を調整弁として正規雇用を安定化する終身雇用制度は改めるべきときです。「同一価値労働・同一賃金」の社会をつくります。」と述べている。
[編集] 公務員制度改革
公務員の天下りや渡りを全面的に禁止し、降任・降給も可能にすべきと主張。「官民の給与待遇格差」こそが日本社会における究極の格差であり、もっともアンフェアな格差であるとしている。
[編集] 再販制度の維持
自由民主党新聞販売懇話会会長代行であり、新聞の特殊指定、再販制度維持を主張。日本新聞販売協会の顧問でもあった。その分身でもある日販協政治連盟から多額の政治献金を受けている。新聞・出版業界の利害を代弁する活字文化議員連盟会長でもある。
[編集] 人権擁護法案の推進
古賀誠、二階俊博らとともに、人権擁護法案の積極推進派としても知られている。
[編集] 日本への移民受け入れを推進
外国人材交流推進議員連盟の会長として移民の受け入れに積極的であると言われる。日本における将来的な労働力不足への対応として、総人口の10%(約1000万人)を移民が占める『多民族共生国家』を50年がかりで作ると宣言している。日本を”移民国家”として定義し、「移民法」の制定や「移民庁」の設置を提言している。
[編集] 女系天皇支持
小泉内閣時代の皇室典範改正問題では、「安定的な皇位継承」のために皇位の女系による継承を支持した。
[編集] 世襲立候補の制限
岳父である中川俊思の後継者として政界入りしたが、政治家の世襲立候補に対して批判的な姿勢を取っている。
2009年4月23日の講演にて、秀直は世襲候補者を巡る議論について触れたうえで、「私には息子が2人いるが、自分の選挙区(衆院広島4区)を継がせるつもりはまったくない」[4]と断言した。同年5月13日発売の『週刊文春』には息子の俊直と共に登場し、秀直は「自分の選挙区から息子を出さない」、俊直も「父の選挙区から立候補しません」と発言し、『世襲放棄宣言』を発した[5]。しかし、息子への世襲を否定したものの、岳父から地盤を譲られた秀直本人は従来どおり立候補すると主張しているため、国土交通大臣の金子一義から「『世襲禁止』と言うなら、現職も(出馬を)やめなければ(いけない)。自分の身は安全に置いて、次はダメというのは国民が納得するのかなと思う」[6]と指摘されるなど、疑問視する意見が相次いでいる。
[編集] 言動
[編集] 道路関係団体との関係
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。
[編集] 統一協会・集団結婚に祝電
2006年6月に、統一教会の集団結婚式(天宙平和連合祖国郷土還元日本大会)に祝電を送ったことが報道された[7]。
[編集] ホワイトカラーの生産性
2006年11月、「会社のためと称して会社にぶら下がっている正社員はたくさんいる。企業の生産性をいうとき、ホワイトカラーが最大の問題ではないか」と、企業側の立場からホワイトカラーのあり方に疑問を投げかける発言をした。
[編集] ブログ・SNS
- 新聞記者出身らしく、自らのホームページ[1]のコラム連載を一日も欠かしたことがない。各紙社説や論説記事のほぼ全文を転載して叩き台とし、自らの所見を「中川の眼」と題し展開するスタイルが多い。その後、掲載媒体をウェブサイトからブログに移し、タイトルを「中川の眼」から「トゥデイズアイ」に変更した。
- 2009年5月1日より、mixi内に公認アカウントを開設している。マイミクシィは申請すると自動で承認される。日記はほぼ毎日更新され、選挙活動の様子を写真とともに綴っている。コメントは禁止されている。(「最大コメント数に達した為、これ以上この記事にコメントすることができません。コメント数の上限は0件です」と表示される)
[編集] 「忠誠心」発言
2007年2月18日に行なった宮城県仙台市での講演で、「首相が入室したときに起立せず、閣議が始まっても私語をやめないなど、忠誠心がない閣僚は官邸から去るべき」「閣僚や官僚には、首相に対する絶対的な忠誠心が必要だ」などと発言し、安倍内閣閣僚の緊張感が欠けていることを嘆いた。
中川の発言が報道されると、2月20日の毎週火曜日の定例閣議で、閣僚たちは内閣総理大臣が入室するやいなや一斉に起立して「おはようございます」とあいさつするなど、これまでと打って変わった態度をとるようになった。
当該発言に対し、厚生労働大臣柳沢伯夫からは「お互いに意見交換してるだけだ」、外務大臣麻生太郎からは「中川さんの言いたいことがよく分からない」、さらに、内閣総理大臣安倍晋三から「こういうのまでおしゃべりととらわれちゃうんだね」と反発を受けた。2月22日には派閥領袖からも批判が相次ぎ、津島雄二は「一部に忠誠心を持ってほしいという方がいるが、我々に大事なことは国家、国民に対して責任を果たすことに尽きる」と表明し、高村正彦も、小泉純一郎が「『鈍感力』が大事だ」と発言したことを踏まえ「閣僚の一挙手一投足には相当鈍感であったほうがいい」と皮肉交じりの批判を行った。
2月22日、自由民主党本部にて安倍に面会した中川は「ちょっと言い過ぎました」と陳謝した。安倍は「(安倍内閣の閣僚は)ちゃんとやっていますからどうぞご心配なく」と返答したが「必要ならまた言います」との中川の言葉には沈黙を保ったままだった。3月23日、朝日ニュースターの番組にて、自由民主党参議院幹事長片山虎之助は、中川の忠誠心発言に触れ「いい過ぎだ。国務大臣の任免の権限は自由民主党幹事長ではなく(内閣)総理(大臣)の権限だ」と指摘した上で、「たかだか与党の幹事長がいうことではない。分をわきまえないと」と中川を厳しく指弾した。
[編集] 党役員として内閣官房長官を叱責
閣僚の問題発言(「産む機械」「米軍沖縄基地」)などが目立つ中、内閣官房長官塩崎恭久を呼びつけて叱責した。党の幹事長が内閣官房長官を叱責するのは異例であり、産経新聞では「党高官低」を印象付けたと報じられた。
[編集] 麻生クーデター説
2007年9月12日、安倍晋三首相は突如辞任を発表。参議院選挙で歴史的敗北を喫した後もその職に留まり、政策遂行への意欲を示し続けていただけに、突然とも言うべき辞任宣言には様々な憶測が乱れ飛んだ。その決定的な理由とされたのが所謂「麻生クーデター説」である。つまり、インドなどアジア諸国外遊を終え帰国後発足した安倍改造内閣で安倍はまったく人事権を行使できず、幹事長に就任した麻生太郎と官房長官の地位に就いた与謝野馨が完全に人事の主導権を握り、最も信頼していた麻生に裏切られたと感じた安倍が絶望の極地に達し、辞任へとつながった。これがクーデター説と言われるもので、安倍首相辞任の同日に放送された「NEWS ZERO」で流布され始める。
これにより、町村派内で麻生擁立論が急速にしぼむなど、安倍後任に当初絶対的有利とされていた麻生は一夜にして失速、翌日出馬表明した福田康夫元官房長官に為公会を除く全派閥幹部や小泉純一郎前首相が支持を表明し、福田総裁への流れが作られることになる。だが、このクーデター説は後に風説の流布、デマであることが明らかになる。『週刊新潮』、『週刊文春』両9月27日号はクーデター説は悪質なデマであり、この件をマスコミに流したのが中川であると断じている。また、「クーデター説」定着に一役かったとされる片山さつきとはかねてから近しい関係にあり、郵政選挙の際、中川は応援に出向いている。
[編集] 麻生おろし
2009年7月に起きた、いわゆる麻生おろしの主導者の1人とされる。
[編集] 不祥事
[編集] 愛人への捜査情報漏洩問題
2000年、写真週刊誌等に中川が愛人と一緒に撮影した写真やビデオが掲載され、内閣官房長官辞任に追い込まれた。
2000年10月、TBSテレビ、フジテレビジョン、テレビ東京など主要テレビ局は、中川が愛人(とされる女性)に捜査情報を漏らす会話の録音テープを公開した[8]。この録音テープの内容は、「警視庁保安課が内偵捜査している」ことを女性(捜査対象者本人)に漏洩しているやり取りであった。さらに、当該女性は覚せい剤取締法違反容疑で家宅捜索を受けた経験があった。
職務上知り得た秘密を捜査対象者に漏らす行為は国家公務員法違反、捜査妨害容疑に該当する可能性があり、野党から追及された。2000年10月26日の衆議院内閣委員会では仙谷由人や長妻昭らが中川に対し直接質問するなど、国会審議でも取り上げられた。
長妻が提示した録音テープのやり取りによれば、中川とされる人物が「ともかく、なにか、覚醒剤の関係で警察も動いているよ、多少」「警視庁の保安課が動いているから。覚醒剤の動きが確かにあるよ。本当に……」「いや、君の関係を内偵しとるちゅうんだよ」と女性に対して発言しており、情報の出所については中川とされる人物が「それは警察情報だよ」「そう、私の方の情報だ」と発言している。このテープのやり取りについて、長妻は「どう考えてもあなたの声なんですよ、言い回しも含めて」と主張したが、中川は「そういう会話をした覚えはございません。記憶もございません。そしてまた、そのような情報を得てそういうことを伝えるなどという、そんなルートもなければ、そういうこともございません」と答弁し明確に否定した[9]。
また、中川の寝室内で撮影した愛人とされる女性の写真についても、国会で取り上げられた。その際の中川の答弁によれば、中川の運転手に対し見知らぬ女性が中川邸を見たいとねだったため、運転手が女性の要求に従い寝室に案内したことがあり、雑誌に公開された写真はそのときに撮影したものではないか、としている。中川の説明に対し、長妻は「常識で考えておかしい」「不可解な話」であると指摘している[9]。
しかし、10月27日になると中川の主張は一転し、中川は録音テープの会話は「自分の声であったかもしれない」と表明し、一連の騒動の責任をとる形で内閣官房長官辞任を発表した。
[編集] 在日韓国人にパーティー券を売らせる
2005年5月16日、在日韓国人系信用組合「近畿産業信組」の青木定雄(MKタクシー会長)会長や幹部が、本店の部長や支店長に指示し、自民党国会対策委員長の中川秀直衆院議員の政治資金パーティー券を販売させていたのが発覚。青木会長がオーナーを務めるタクシー会社エムケイが中川事務所から引き受け、近産信の職員に販売させた。枚数について中川事務所は「エムケイに百枚」、青木会長は「近産信で七十~百十枚」としている。
政治的中立を求めた中小企業等協同組合法に抵触する可能性があると報道される[10]。
[編集] ゴルフ接待問題
2006年7月、参議院議員世耕弘成、和歌山県知事木村良樹とともに競売入札妨害容疑で逮捕された容疑者からゴルフの接待を受けていたことが発覚。ゴルフにかかった費用は全て容疑者が負担した。
[編集] 財団法人自宅提供問題
2007年2月22日、民主党代表代行菅直人により、広島県東広島市の中川の自宅や後援会事務所が財団法人所有の土地に建てられていることが発覚した。
財団法人は公益法人(税制上も優遇されている)であり、政治家の後援会や個人の自宅として私的使用することが問題視されている。また、菅は、財団法人設立の経緯から、中川の義父が亡くなった際に相続税を支払っているのか疑問を呈した。
中川自身は、財団法人所有地に自宅や後援会事務所を建設した事実は全面的に認めている。また、当該の土地は義父が1961年に財団法人に寄附し設立したと説明している。違法性については、家賃を財団法人に支払っており、中川は法的にも問題ないとしている。
[編集] 系譜
- 中川家
(中川) 佐藤胖━━━佐藤秀直 ┃ ┣━━━━━中川俊直 ┃ 中川俊思━━佳津子
[編集] 政治資金
消費者金融など貸金業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)から政治献金を受けていると日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は伝えた[11] 。
[編集] 主な所属議員連盟等
- たばこと健康を考える議員連盟
- 活字文化議員連盟会長
- 日本・チリ友好議連会長
- 日本・メキシコ友好議連会長
- 日韓議員連盟副会長
- 日本・宇宙議員連盟会長
- アムネスティー議員連盟会長
- 地域廃棄物適正処理推進議連会長
- 弁理士制度推進議連会長
- 中小企業と地域再生議員連盟会長
- 自動車議連幹事長
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- 外国人材交流推進議員連盟会長
[編集] 脚注
- ^ 旧広島2区は必ず前職の誰かが落選する激戦区で、当時の中川は主に同じ自民党の池田行彦・谷川和穂・増岡博之、社会党の森井忠良等と定数4議席を争っていた。
- ^ 「反麻生」議連旗揚げへ 12月、中川秀、小池両氏ら
- ^ 政界再編「総選挙後に判断」 中川元幹事長
- ^ 「自民・中川元幹事長が『子供に世襲させない』宣言」『自民・中川元幹事長が「子供に世襲させない」宣言 - MSN産経ニュース』産経デジタル、2009年4月23日。
- ^ 『週刊文春』2009年05月21日号参照
- ^ 「世襲ダメなら『世襲党作る』!?――立候補制限自民賛否」『讀賣新聞』47859号、14版、読売新聞東京本社、2009年5月23日、4面。
- ^ 統一協会・集団結婚に祝電 小坂文科相・中川政調会長も 安倍官房長官、広島大会にも送付 しんぶん赤旗2006年6月25日
- ^ 『ニュース23』TBS系列、2000年10月26日放送分。
- ^ い ろ 「第2号――平成12年10月26日(木曜日)」『第150回国会 内閣委員会 第2号(平成12年10月26日(木曜日))』衆議院、2000年10月26日
- ^ 『産経新聞』2005年5月16日朝刊一面より
- ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 青木幹雄 |
第66代:2000年 |
次代: 福田康夫 |
| 先代: 浦野烋興 |
第54代:1996年 |
次代: 近岡理一郎 |
| 党職 | ||
| 先代: 武部勤 |
自由民主党幹事長 第39代 : 2006年 - 2007年 |
次代: 麻生太郎 |
| 先代: 与謝野馨 |
自由民主党政務調査会長 第47代 : 2005年 - 2006年 |
次代: 中川昭一 |
| 先代: 大島理森 |
自由民主党国会対策委員長 第45代 : 2002年 - 2005年 |
次代: 細田博之 |
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最終更新 2009年11月24日 (火) 13:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【中川秀直】変更履歴

